「なぜかいい町 一泊旅行」

 「なぜかいい町 一泊旅行」(池内紀 光文社新書260)読了。以前、「ひとり旅は楽し」でも紹介しましたが、筆者はドイツ文学研究者で、ふらふらと各地を一人で彷徨い歩くのが大好きな方です。しかも名所・旧跡にとらわれず、己の感性を頼りに、小さくて素敵な町に出会うことに喜びを見出す。大きさとスピードを果てしなく追い求める現在の社会の中で、ちょっと不便で少しずれた小さな町は避難所であるという筆者の考えには共感します。ひたすら利潤と利便を求めて組織やシステムを巨大化していく昨今の状況の中で、人間のサイズにあったほどほどの暮らしをするということは、大変大事なことだと思います。これからの日本の活路はこのあたりにありそうな気もします。不便だけれどもあくせくしない、互いに自滅してしまうような無茶な競争をしない小さな町づくり。市町村合併の動き(強制?)がそうした町の暮らしを破壊している状況に対しても、ふれられています。
 取り上げられている町は、斜里・上川・岩内(北海道)、金山(山形)、登米(宮城)、三春(福島)、大多喜(千葉)、渥美(愛知)、朝日(富山)、木之本(滋賀)、岩美(鳥取)、上関(山口)、津和野(島根)、佐川(高知)、星野(福岡)、湯前(熊本)。うむむむむ、私はこの中で三ヶ所しか行ったことがありませんが、この選択は渋い。そして筆者の眼差しは、そこでしっかりと土地に根ざしながら地道に暮らす人々にそそがれています。気に入ったエピソードを一つ紹介します。熊本のくま川鉄道に乗った時、地肌が眩しいほどみごとに頭を剃りあげた高校生が座っていました。すると車掌がしげしげと眺め、いきなりむんずと地肌をつかんで吟味し、一言。「こげんなふうには、なかなかできんとたい」 いいなあ。
 もちろん、それぞれの町はいろいろな問題を抱え、変革の波が押し寄せているのですが、あえて筆者はふれません。
 ただ行き過ぎていくだけの人間の正義派ぶった意見や予測は、たとえ正論であろうとも、いささかはしたない。
 どんなに素敵な町でも、所詮旅行者はそこを吹き抜ける一陣の風にすぎないのですね。まずは自分の住む町を暮らしやすくすることが先決。銘肝しましょう。
 これからの彷徨の参考にさせてもらうとともに、眼と感性をたよりに自分にとっての「なぜかいい町」を見つけたいと思います。
by sabasaba13 | 2006-10-21 18:49 | | Comments(0)
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