「「反戦」のメディア史」

 「「反戦」のメディア史 戦後日本における世論と輿論の拮抗」(福間良明 世界思想社)読了。小泉軍曹の靖国神社参拝をめぐる議論で、気になることがあります。日本の加害責任を問う立場からの批判と、戦死者や遺族の心情に配慮する立場からの擁護と、両者の意見がかみ合っていないのではないか。私は前者の立場ですが、後者の心情を切り捨てるわけにはいかないでしょう。どう両者をつなげれば、有効な反戦の語りができるのか。
 この問題を考えるための重要ないくつかのヒントを教えてくれたのが本書です。まず著者は「論理や事実に依拠した公的な意見・政治意識」を輿論、「私的な感情にとどまる大衆的な叙情・情念」を世論として区別します。(もちろん完全に区別できるものではありませんが…) そして前線と銃後、学徒出陣、沖縄戦、原子爆弾による被爆、といった異なる状況の中で、両者はどのように語られてきたのか、またその語りはどのように変容してきたのかを検証しています。方法としては、文学・映画作品(「ビルマの竪琴」「二十四の瞳」「きけわだつみのこえ」「ひめゆりの塔」「長崎の鐘」「原爆の子」「黒い雨」)に対するさまざまな批評群の分析が中心となります。
 反戦の語りが、時代背景や政治的立場によっていかに別なものにすりかわっていくかがよくわかりました。例えば「原爆の子」(長田新編)に対する読売新聞の書評は「こういううったえこそ、世界にむかって日本人のみがなしうるうったえではなかったのか。日本中のおとなにかわって広島の子どもたちがそれをしてくれている」と述べていますが、筆者は被爆体験を当事者から引き離して国民化し、そこに敗戦国日本のナショナリティを読み込むものだと分析します。要するに敗戦によって失った自信や矜持を回復するために「唯一の被爆国」というナショナル・アイデンティティをうちたてたということです。しかしそこからは当事者の個々の体験、そして広島はアジア侵略の基点となった軍都であるという事実、さらに被爆した朝鮮人・中国人・アメリカ人捕虜たちの存在がかき消されてしまいます。さらに現在という時点から言うと、劣化ウラン弾や原子力発電所、ウラン採掘が原因で世界中に「ヒバクシャ」がいるのだという視点もなくなります。

 ではどうすれば有効な反戦の語りができるのか? そのヒントとなるのが、本書で紹介されている、長崎での被爆体験をもち、戦後は原水禁運動に関わってきた岩松繁俊氏の言葉です。長文ですが引用します。
 被害者としての立場をとことんまで追求してゆけば、ふたつの局面にぶっつからざるをえなくなる。ひとつは、他国の被害者との共通性の認識である。そしていまひとつは、いたましい被害者をうみだした加害者の存在への認識である。前者は戦争被害者としての共通認識による国際連帯の自覚であり、後者は被害者認識の極限における加害者認識への意識の転換である。
 世界中の戦争被害者と連帯し、そして加害者を明らかにしてその責任を追及すること。つけ加えるならば、被害者である自分が同時に加害者であったのではないかという自省。これをつきつめていけば、光明が見えてくるような予感がします。少なくとも「我慢だ待ってろ、嵐が過ぎりゃあ」と、まるで戦争を天災のように受け止める感覚をまず廃棄すべきでしょうね。
by sabasaba13 | 2006-10-22 07:59 | | Comments(0)
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