「気の向くままに」

 「気の向くままに 同時代批評1943-1947」(ジョージ・オーウェル 彩流社)読了。出典は失念したのですが、かなり前にオーウェルを紹介するこんな一文がありました。
 オーウェルがわれわれに遺したものは「真の人間らしさ」(DECENCY)とは何かという問いである。ナショナリズムと全体主義を憎み、インチキを排して、誠実を重んじ、普通の人の普通の言葉で、明澄に書くことを願い、一杯のおいしい紅茶の悦びを讃えた。全世界的な規模で政治的道義の低下が進みつつあるとき、何にもまして歪められるのは、われわれの歴史と言葉であると叫びつづけたこの「暖かい心をもって怒っている」オ-ウェルこそは、以前にもまして今日われわれのもっとも必要とする作家である。
 何もつけくわえることはありません、まったくもって同感です。ただ残念なことは、彼が忘れられつつあるような気がすることです。グローバリゼーションという“悪魔の碾き臼”によって世界がごりごりと挽かれ粉微塵にされている今だからこそ、彼の作品や評論を読み続けていきたいと思います。
 本書はオーウェルが1943年から1946年までイギリスの左翼系週刊新聞「トリビューン」に連載していた“As I Please”というコラムの完訳版です。テーマは、政治や戦争、ジャーナリズムや読書、クリーニングや水道管や廃墟に咲く赤い花の名などなど縦横無尽。ただその底には、客観的な真理と人間の連帯と小さな喜びを希求しつづける強い意志が流れています。そして時にはユーモアや皮肉をまじえながらも、適確かつ簡潔に事態を容赦なくえぐりだす文体の見事さ。いくつか引用しますので、その一端を味わってください。
 戦争が文明の骨組みを破壊するのは、それがもたらす物理的破壊によってではなく(戦争の結果は、最終的には世界全体の生産能力を増大することにさえなるかもしれない)、また人間の殺戮によってでさえもなく、憎しみと不誠実をはびこらせるからである。

 人類はこれから先もずっと、このような狂気に耐えつづけていけるのだろうか。

 肝心な点は、われわれの身に起こるほとんどすべての惨事が、まったく起こる必要のないものだということなのである。

 他人をいじめてやりたいという衝動を人間活動の主要な動機にしてしまう、現代生活の特質とはどのようなものなのか?

 話をすることなしに思考することは、ほとんど不可能である。…言論の自由を失うと、創造的な能力もまた枯渇してしまう。

 時事問題に関する本当の情報は(当時の新聞には)ほとんど掲載されなかった。世界は、王室、犯罪、美容院、スポーツ、ポルノ、そして動物たちに支配される居心地よい場所である。

 (イギリスの新聞の耐えがたい愚劣さの理由) ほとんど全部の新聞が少数の大資本家の手中にあり、彼らは資本主義が存続することに、したがって一般国民が考える力を身につけるのを阻止することに、関心をもつということである。他の理由は、平時、新聞は消費財、住宅金融組合、化粧品などの広告収入に依存しているので、人々が金を使う気になるような「陽気な精神状態」を維持することに腐心しているということだ。

 一市民を殺すことは悪であるが、千トンもの高性能爆弾を住宅地域に落とすことは善しとされる世界の現状を見ると、ひょっとするとわれわれのこの地球はどれか他の惑星の精神病院として利用されているのではないか、と考えたくなる。

by sabasaba13 | 2006-11-02 06:02 | | Comments(0)
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