「戦争の克服」

 「戦争の克服」(阿部浩己・鵜飼哲・森巣博 集英社新書0347A)読了。以前「ご臨終メディア」で紹介しましたギャンブラー森巣博氏が、国際法学者の阿部浩己氏と哲学者の鵜飼哲氏をゲストにむかえ、「どうしたら戦争をなくせるか」という難問に挑んだ、大変刺激的な本です。自らをチューサン階級(中学三年程度の学力しかない)と卑下しながらも鋭く挑みかかる森巣氏に対して、両氏とも誠実かつ丁寧に専門知識を披露してくれます。テーマとしては、近代における戦争の歴史、現在の戦争および日本との関わり、国際法と戦争、そしてこれからの展望。ただ奔馬の如き森巣氏が進行役なので、話があっちこっちに飛び跳ね一貫性に欠けるのが残念ですが、大きな瑕疵ではありません。それを補ってあまりある興味深い内容がてんこ盛りです。
 例えば、国連で採択された人種差別撤廃条約には、個人通報制度という仕組みが整備されているそうです。これは国内で人種差別を受けて最高裁まで争ったけれど救済されなかった時に、個人で国際的委員会に人権救済を申し立てられるという画期的な制度です。しかも信じられないほどリベラルな勧告が出され、各国の裁判所に大きな影響を与えているそうです。しかしアメリカと日本だけが、自国の最高裁の方が質が高いという理由でこの制度を受諾していません。悪い冗談だとしか思えませんが、事実です。
 また本来ならば裁かれるべき違法行為が、国家間力学のなかで放置されてしまうような時に、かわりに市民が裁くというのが民衆法廷です。これは単なる模擬法廷ではなく、きちんとした証拠を集めて法的な判断を下すのですから、国家の犯罪を明示し国際世論を動かす力をもっています。なお慰安婦問題で昭和天皇は有罪であるという判決を下した女性国際戦犯法廷もその一つ。これを報道しようとしたNHKに圧力をかけて内容をずたずたにさせた疑いがあるのが、もちろん安倍伍長。
 そしてこれは迂闊にも気づかなかったのですが、国家権力にすりすりと寄り添うメディアや裁判官を批判するだけではなく、良い報道をした少数のメディアや良い判決を下した少数の裁判官たちを様々なかたちで支援や応援をするべきだという指摘です。彼らが孤立しない環境をつくることが大事なのですね、銘肝したいと思います。なお難民の不認定処分を取り消させ、外形標準課税に関して東京都を敗訴させるなど、行政に厳しい優れた判決を下す藤山雅行という裁判官(東京地裁)がいるそうですが、石原強制収容所所長は「変わった裁判官がいると聞いています」と言ったそうな。
 個人通報制度を受諾するよう政府に働きかける、あるいは民衆法廷に注目し、良心的なジャーナリストや裁判官を支援する、そうした地道な実践を積み重ねることによって「戦争の克服」という壮大な夢にたとえわずかな一歩でも確実に近づけるのだと痛感しました。もちろん、必ず選挙に行ってろくでもない政党には絶対に投票しない、あるいはいかがわしい企業の製品やサービスをボイコットするという基本的な戦略も有効でしょう。いずれにしても重要なのは、戦争を克服したいという思いを共有する人々と連帯し団結し大きなうねりをつくっていくことでしょう。政治家や官僚や財界が最も怖れているのがこのうねりであり、それゆえに競争原理と治安の悪化を鼓吹して何としてでもわれわれを分断しようとしているのでしょう。最後に、阿部氏の滋味深い言を紹介します。
 戦争を克服することは、本当はいとも簡単なことである。国際法を守ればよい、ただそれだけだからである。…一度、人権や人道、刑事、軍縮、環境などにかかわる国際法を本気で実現するよう力を尽してみてはどうだろう。そのとき、戦争を遂行する条件は著しく減殺されるはずである。もちろん、そうはいっても言うは易く行うは難し。現実はけっして一筋縄ではいかないが、それでも平和という「現実」を追求する営みは、戦争をして人を殺したり殺されたりする「現実」にひれ伏すよりは、はるかに意味のあることではないのか。

by sabasaba13 | 2006-11-12 08:13 | | Comments(0)
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