「靖国問題の原点」

 「靖国問題の原点」(三土修平 日本評論社)読了。筆者は経済学者ですが、ご本人曰く片手間の仕事として本書をまとめたものと謙遜されています。とんでもない! 精緻にして論理的な論考は、感情と主観に流されている凡百の靖国神社論をはるかに凌ぎます。まず靖国問題をこう定義されています。 戦前に国家の施設であった靖国神社が戦後は民間の一宗教法人として存続することになった事実と、にもかかわらず同神社の公的復権を求める社会的勢力が存在する事実の結果として生じた諸問題の総体 きわめて明晰な文章ですね。本書の意図としては、そもそもこの問題の発端となった靖国神社戦後改革それ自体が「駆け引きと妥協の産物」であったという歴史的事実にきちんと光を当てようというものです。そして最後の部分で、日本における「公」と「私」について分析しながらこの問題についての見解を述べるという構成になっています。
 靖国神社とは、天皇のための戦死がいかに価値あることかを宣伝し、生者に向かって後に続けとの激励を説く場であるととらえた上で、GHQによる戦後改革の中でこの性格を変えずに生き延びようとする神社側と、その軍国主義的性格を払拭させようとする民間情報教育局(CIE)の鍔迫り合いを描く部分が本書のメインです。詳細はぜひご一読いただくとして、結局はCIEの詰めは甘く、靖国神社は軍国主義的性格を温存したまま民間の一宗教法人として存続することになります。靖国神社における「公」とは戦死者を追悼するという意味ではなく、天皇のための死は特別に名誉あるもの=天皇家の「私」は全国民の「公」であるという意味なのですね。すべての人々の「私」を含みこんで屹立する「公」(天皇家あるいは国家)… アメリカ政府やCIEは、この日本における「公」のあり方を理解しきれなかったようです。
 そして戦後も「天皇のための死は特別に名誉あるもの」という一点を守り抜くために、靖国神社はありとあらゆる(時には節操のない)論法を駆使し続けます。宗教なのだから「信仰の自由」は保証されるべきだしどのような教義をもってもいいはずだ、あるいは宗教ではなくたんなく習俗・国民道徳なのだから日本人は全て敬意を表すべきだ。さらには公共の場で戦死者を追悼してほしいという遺族の自然な思いもからめとり、「天皇のための名誉ある死」という根幹をオブラートに包んでしまう。批判をする側も、靖国神社を宗教施設ととらえないと裁判闘争がしづらいので、相手の土俵にのってしまう。
 そして昭和天皇の戦争責任や十五年戦争の不当性を認めたくない=天皇制を揺るがせたくないと考える人々のよりどころとなるのが靖国神社の存在意義であると、著者は看破されます。
 「靖国問題」(高橋哲哉 ちくま新書532)とともに、この問題を考える上での必読書だと思います。特に、私も常々気にしていた「日本における"公"と"私"」という視点をとりいれた考察は新鮮でした。日本における「公」は、公共性という意味合いが薄いという事実を肝に銘じましょう。

 なお本書もPleiadesPaopaさんのコメントで教えていただいた本です。画面を借りてお礼を申し上げます、ありがとうございました。
by sabasaba13 | 2006-11-14 06:05 | | Comments(0)
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