美しき水車小屋の娘

 先日、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」を聴いてまいりました。場所は都営十二号線牛込柳町から徒歩五分ほどのところにあるトモノホール。このあたりはかつてのお屋敷町だったのでしょう、ところどころに古い洋館が点在するなかなか落ち着いた雰囲気です。またこのホールははじめて来たのですが、大きな邸宅の三階に小さなホールがしつらえてあります。個人で運営されているのでしょうか、内装や調度品にはこれといって目を見張るものはありませんが、座席数60ほどの小振りなホールです。歌曲を聴くにはちょうどよい大きさですね。テノールは大島博、珍しいことに、ギター(中根康美)による伴奏です。
 実は、歌詞を見ながらこの曲をきちんと聴き通したことがないので、演奏前の氏による解説は大変参考になりました。(対訳歌詞付プログラムあり) 要するに、修業のために遍歴する粉挽き職人が水車小屋の娘に惚れますが、彼女は狩人との恋に落ち、失意のすえ自殺するというお話です。まあしょうもないといえばしょうもないストーリーなのですが(山ノ神は「臓器提供ぐらいしなさいよ」と憤慨)、若者の憧れ、喜び、憎悪、絶望といった揺れ動く気持ちを、魅力的で親しみやすい民謡風メロディで綴っていくのがシューベルトの腕の冴え。大島氏は艶のある声とそつのない歌唱で、若者の心の揺らぎをよく表現されていました。特に自殺を決意する第18曲「しおれた花」の最後、「冬は去り、五月が訪れるのだ(Der Mai ist kommen, der Winter ist aus.)」のところでのデモーニッシュな歌唱と表情には一瞬息が止まりました。人間的なスケールのホールでしかも最前列に座ることができたためかもしれませんが、歌い手とシューベルトの気持ちがびしびしと伝わってきました。シューベルトの作品に魅せられた友人たが集まり彼の音楽に親しんだ集い(シューベルティアーデ)の雰囲気を少し味わえたような、贅沢なひと時でした。
 なおこの曲が書かれたのが1823年、ナポレオン戦争の余燼さめやらぬ中、ウィーン会議が開かれ(1814-15)、メッテルニヒによる反動政治が行われていた時代です。(シューベルトは1828年に死去) ナポレオンに対する敗北という屈辱の中から、国民国家を立ち上げようという動きが中欧ではじまり、ナショナル・アイデンティティを確立すべく様々な試行錯誤が繰り広げられていた時でもあります。「国民」をつくりだすための文化・伝統的基盤を見出そうという試みの中から生まれたのがドイツ・ロマン派であると考えますが、そうした動きとこの曲にどのような関係があるのか、あるいはないのか、興味があります。
 また主人公が粉挽き職人というのも興味深い。故阿部謹也氏によると、マクロコスモスに属する水をコントロールできる水車小屋の番人や粉挽き職人はかつては畏怖の、やがて賎視の対象となったそうです。いよいよ産業革命が地響きをたててヨーロッパ各国にひろまりはじめた19世紀前半という時期にこの曲が書かれたことと、何か関係があるのでしょうか。人々の意識から消滅しつつあるマクロコスモスへの鎮魂歌?
by sabasaba13 | 2006-12-07 06:07 | 音楽 | Comments(2)
Commented by 青森風土記 at 2006-12-09 23:10 x
「美しき(水車小屋の)娘」であって「(美しき水車小屋の)娘」では無いのは当たり前と思っていましたが、高校生の頃から、もしかして原語は後者ではないのかとひねくれて考えることがしばしばありました。原語はいかがでしたか?
Commented by sabasaba13 at 2006-12-10 17:32
 こんにちは。さっそく調べてみましたがドイツ語による原題は“Die schoene Muellerin”でした。変母音(ウムラウト)が表示できないので(できるのかな?)、oeとueで置き換えましたが、どうやら「美しい」という形容詞はないようです。「水車小屋の娘」「水車屋の娘」あるいは「粉屋の娘」と訳すべきなのかもしれません。最後の訳語だと不敬罪にあたるので忌避されたのかな? 勉強になる指摘を感謝します。
<< 「近代日本の誕生」 北陸・山陰編(16):三国龍翔... >>