「幕末・維新」(井上勝生 岩波新書1042)読了。シリーズ日本近現代史全10巻の第一弾です。歴史に興味・関心をもっているので、ついついこうした一般読者向けの通史には手を出してしまいますが、失望はしないものの満足がゆく書にはなかなか出会えません。やはり冒険を避け批判を呼び起こさないよう無難な記述にまとめてしまうのかもしれません。本書もそれほど期待しないで購入したのですが、これが予想外の面白さ。「はじめに」で“維新史を描きなおす”と宣言しているのですから、著者の意気込みがわかります。
西欧列強による外圧にうまく対応できなかった退嬰的な江戸幕府を、革新的な西南雄藩が倒して日本の近代化を導き成功させた、というのが流布している一般的な通説でしょう。しかしこうした言説が、幕府を貶め維新を正当化するための、明治政府によるプロパガンダであることは理解していたつもりでした。それを一般読者向けの通史という形でまとめられたことに敬意を表します。豊富な史料の駆使と冷静にして論理的な記述、そこには破綻やデマゴギーは見当たりません。心の底から納得しました。 まず幕末の日本には深刻は対外的危機は存在しなかったことを、次のような明快な文章で述べられています。 幕府と薩長、両陣営の対立が深刻化する中で、日本に最大の影響力をもつイギリス外交は、中立、不介入の路線を確定しており、それを明確に表明していた。イギリスの判断の基礎には、列強の勢力均衡という日本の地勢、日本の政治統合の高さ、イギリス海軍の能力の限度、貿易のおおむね順調な発展、大名の攘夷運動の終息、西南雄藩の開明派の台頭などがあり、中立、不介入方針は確立されていた。そうした状況の中で、薩長は対外的危機を誇大にあおり、天皇の権威と藩の武力を背景にして民衆を動員し、武力討幕へと突き進んでいきます。その際に、穏当で、開明的で現実的な幕府の改革路線が、「神武帝より皇統連綿」の神話に基づく大国主義思想に依る孝明天皇のために、大きくつまずかされたのが決定的なポイントですね。その後のこの国を呪縛する、日本の優位性を万世一系に求める発想を生み出した孝明天皇とそれを巧みに利用した薩摩・長州藩。そしてこれははじめて知ったのですが、長州藩がその卓越した軍事力=奇兵隊を創設する際にも対外的危機を利用したのですね。攘夷を決行し、当然のこととして予見できる欧米からの報復と藩の敗北という「死地」を意図的につくることによって藩士や藩民に衝撃を与え、武士と庶民混成の軍隊結成を強行する。 こうした対外的危機の宣伝と、天皇の権威と、軍事力を巧妙に組み合わせて、近代日本は「大国」へと成り上がっていくわけですが、その基本的な枠組みが幕末の時点で形成されていたことを知って蒙を啓かれた思いです。 そして「規律」や「勤勉」という意味での近代化なら、江戸後期には欧米とは違う形ながらもすでに成熟しつつあったことも、豊富な事例とともに紹介されています。さらには江戸庶民の訴願する実力の高さと、その訴願を受け付け、献策を容れる柔軟性のある江戸幕府の支配という指摘も鋭いですね。幕府持続の秘密の一つがここにあったのですね。もちろん条件は違いますが、今のわれわれが学ぶべきことも多々あるようです。例えば引用しますと… 土地所有は用益の共同性を備えた仕組みによって、江戸後期の農業は、成熟し、近代化しつつあった。ところが、農業における共同性に無理解で、ひたすら全国均一の法則を主張する大蔵官僚は、これらの定着した村の慣行を固陋として切り捨てる。共同の所有や用益は、人を怠惰にするという理屈であった。うーむ、経済効率と個人的利益のために共同性を抹殺しつつある現今の政治は明治政府の政策の継続だったんだ。なおこうした前近代の日本の庶民の実力を生涯をかけて追い求め探求したのが、宮本常一なのだと考えます。 他にも参考や勉強になる内容がてんこ盛り。幕末・維新の歴史に興味がある方だけではなく、できるだけ多くの人に読んで欲しい本です。またこうした偏見や先入観にとらわれない近代日本の歴史の見直しを、学校の歴史教育にも取り入れて欲しいと切に願います。それにしても、安倍伍長、「美しい国」というイメージ(妄想?)をぶち壊すとか言って本書を発禁にしないでくださいね、切に願いします。 最後に、琉球処分に際して、清国の初代駐日大使何如璋が語った言葉を引用します。この言葉を叩き付けたい相手が、今の日本ではものすごく増えているような気がするなあ。 無頼の横(よこしま)、痩狗の凶なるものあり
by sabasaba13
| 2007-01-09 06:09
| 本
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Comments(11)
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mihira-ryosei at 2007-01-20 21:29
久しぶりに訪問したら、奇しくも、わたしのブログでもとりあげた本でした。びっくりしました。同じこと考えている人が
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mihira-ryosei at 2007-01-20 21:31
(すいません送信ボタンクリックしてしまいました)
おられるのだなあと妙な気分です。ではでは。
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sabasaba13 at 2007-01-21 09:34
こんにちは。ブログを拝見いたしました。近現代史に関する、勘定的ではない理性的な議論をする上で、参考になる一冊。ぜひ一人でも多くの方に読んで欲しいですね。
貴記事、最後の、清国の初代駐日大使何如璋の言葉、で思い出しました。台湾出兵の真っ最中、駐清日本公使柳原前光が旧知の李鴻章を表敬訪問した際、李鴻章はテーブルを叩いて激昂しました。
"日本は二百余年もの長期にわたってわが国と条約関係がなかったにもかかわらず、一兵もわが領域を犯したことはなかったのに、いま初めて条約を結んだところ、たちまちわが国に軍事行動をしかけてきたが、これは許せない不信行為であるし、余は皇帝ならびに人民にたいしてまったく面目がたたない。" 下記参照。 「李鴻章の激怒」http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2005/08/post_30c4.html
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sabasaba13 at 2007-05-07 21:02
こんばんは。同事件の後に、森有礼外務卿との間に次のようなやりとりもあったようです。森有礼「通商と云ふが如き事は条約に照して之を行ふ様な事もありませうが、国家の大事と云ふ事になりますと、只誰が、いづれが強いかと云う事によつて決するもので、必しも条約等に依拠する必要はないのです」李鴻章「それは謬論だ。強きを恃んで約に背くと云ふ事は万国公法も之を許さゞる所です」森 「万国公法又無用なりです」李「約に背き公法に背くは、世界各国の容れざる所です」
「幕末・維新」のTB、こちらにするべきでした。反省。
明治維新以降、今日まで、日本政府の外交原則は、「法に従わず、力に従う」です。それがこの国で言われるところの「現実主義」。この公理にしたがって、喜んで米国の走狗となり、日本より国力が格下であるはずの、韓国・中国は、当然日本につき従うべきであり、靖国神社にとやかく言うのは格上の国に失礼である、となるわけです。「美しい国」どころか、世界に冠たる「恥ずかしい国」なるべし。
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sabasaba13 at 2007-05-12 21:52
こんばんは。日本政府の外交原則は今では「アメリカ政府の尻の穴を喜んでなめる」という地点まで堕しているのではないでしょうか。原則以前の脳死状態だと痛感します。ほんとに恥ずかしいですね。そしてその政府のあり方・やり方を黙認している私たちも…
「多数者が少数者に統治されることの容易さ、そして、人々が自らの感情と情念を支配者のそれらのために放棄する是非を問わない従順―哲学的な眼をもって人の世を考える者にとって、これほど驚くべきことは他にない。この驚異がいかなる手段によって実現したのかと問うならば、力 force は常に被統治者の側に在る以上、統治者は意見 opinion 以外に頼るものはないことが、見いだされる。したがって、政府の基礎とは意見だけである。そしてこの格率は、最も自由、最も民衆的な政府と同じく、最も専制的な、最も軍事的な諸政府にも適合するのである。」
D.ヒューム「政府の第一原理について」『市民の国について』上、岩波文庫(1982年) 我々はメディアを通じて、意見 opinion をコンロールされがちです。現在の統治状態、すなわち、継続する Meiji Constitution を打破するには、代替的意見を発し続けること、これしかないでしょう。 blogもそのメディアの一つだとおもいます。
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sabasaba13 at 2007-05-14 19:36
こんばんは。含蓄に富んだ言葉を教えていただき感謝します。何度もかみしめています。安倍伍長が首相でいられるのも、石原強制収容所所長が三選されたのも、意見の為せる業なのですね。ただ「恥ずかしい国、日本」においては、“空気”という得体のしれない要素もからんでいると愚考します。“空気”の研究をされた方は山本七平氏ぐらいでしょう、本格的な解明を期待します。
どうも。「安倍伍長」「石原強制収容所所長」は、good、ですね。
「空気」ですか。土曜深夜NHKで再放送している「デスパレートな妻たち」に、名門小学校のPTA会で、独裁者に手を拱いて、いい事も言えない母親たちを面白く描いていました。また、「赤狩り」当時の米国にも、自由な少数意見を封殺する「空気」は存在しました。ですから、ある条件下では、どこでも起こり得る現象だと思います。言論の自由=少数意見表明の自由、存立の要件、ですね。山本氏本は読む機会があるときに、論じてみましょう。
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sabasaba13 at 2007-05-20 15:55
こんにちは。もちろんいつでもどこでもあった現象でしょうが、日本の場合は勝手に空気を読んで自粛してしまうという傾向が強いような感触をもっています。山本氏の著作で、対米開戦時の軍部首脳の「とても反対できる空気ではなかった」というコメントがいくつか紹介されていたと記憶しています。「空気」で戦争を始めた国も珍しいでしょう。
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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