「「国語」の近代史」

 「「国語」の近代史 帝国日本と国語学者たち」(安田敏朗 中公新書1875)読了。昨日も紹介しましたイアン・ブルマが、「近代日本の誕生」の中で述べられた言葉が小骨のようにずっとひっかかっています。
 本書は日本の歴史について書いているが、同時に日本以外の国や地域について考える助けにもなれば幸いである。それも、単に過去の歴史を知るだけでなく、現代世界を考えるきっかけにもしてほしい。なぜならば現代は、近代化に伴う軋轢が再び混乱と暴力を招きかねない危険な状況になっているからだ。
 今、世界に大きな影響を与えているイスラム主義の勃興などもこうした文脈で読み解くことができそうです。腰をすえて粘り強く「近代化・近代性」という問題について考えてみようと思っていた矢先に出会ったのが本書。日本の近代化を支えるツールとしての「国語」がいかに形成されたのかを分析した労作です。筆者は近代化をこう考えておられます。均質で緊密な空間を醸成し、国民に均質的一体性をもたせ、そして国家が国民を掌握し、そうした国家による統治に順応する国民をつくりだすこと。その目的すべてに欠かせない最重要のツールが均質な言語である。そして近代日本においては、きわめて政策的な意図とともに国語学者たちによって均質な言語=「国語」が1900年をはさむ国民国家・日本の完成の時期につくられた。同時に「国語」は、他言語よりも優れた特権的なもの、日本文化の精神を体現するものだという神話も形作られた。「日本人にしか、日本語の機微・味わいは理解できない」という、現在でも横行している思い込みですね。そしてこれまで気がつきもしなかったのですが、「日本語」はやや遅れて1930年代前半に誕生した言語だという説を述べられています。「満洲国」建国の時期、つまり帝国としての日本が実体化する時期ですね。植民地拡大とともに、アジアの諸民族を支配・統治するために、日本人にしかわからない「国語」ではなく、異文化をもつ人々にも使いこなせる簡易化された「日本語」が必要となったわけです。なるほどこれは斬新な視点だと思います。日本の臣民を支配するために作られた「国語」と、異民族を支配するために作られた「日本語」。そして敗戦後も、統治に順応しやすく自文化の優越性を豪も疑わない国民を再生産し続けるという機能を「国語」は果たし続けている。学校のカリキュラムでなぜ「日本語」ではなく「国語」という呼称を使うのか、違和感を抱き続けていましたが、これで得心しました。「美しい日本語」ブームや音読ブームという胡散臭い現象がまかりとおっている今日、すこし冷静に「国語」と「日本語」の近代における歴史を知るのもわるくないと思います。そして均質な言語は統治のためのツールであると同時に、国家や社会を批判するための重要な武器でもあるのだということを銘肝しましょう。

 なお本書で引用されていた鶴見俊輔の一文が大変刺激的だったので、引用します。(『思想の科学』創刊号より 1946.5)
 米国から輸入された「民主」、「自由」、「デモクラシー」等のお守りが盛に使はれるに至つた。終戦後に簇生した各種文化団体が、その顔ぶれと傾向の如何を問はず、或は之等を誌名に入れ、或は趣意書の中に盛込んだ状況より察すれば、之等は明らかに新時代に即した魔除け言葉として用ひられたのであらう。更に戦前から戦中にかけて侵略を歓迎せるかに見えた評論家達が「民主」、「自由」、「平和」を謳つた事を見ると、彼等がその間の変化に恥しさを感じない所の根拠は、彼等が之等の言葉のお守り的性格を考慮した結果、言葉が変つたとて内容には変りがなくてよいのだといふ認識に達した事にもあるかと判断される。
 言葉をお守り・魔除けのように権威づけのために利用し、その内実をしっかりと吟味しない知的怠惰さ! 「構造改革」だの「教育再生」だのというお守り言葉が百鬼夜行のように徘徊している今だからこそ、記憶にとどめたい言葉です。
by sabasaba13 | 2007-03-07 06:08 | | Comments(6)
Commented by さっと at 2007-03-07 14:03 x
こんにちは。

少し前の新聞に、このような話が載っていました。要約しますと

   伊吹文科相が、「悠久の歴史の中で・・・大和民族がずっと日本の国  を統治してきたことは、歴史的に間違いのない真実」「日本は北海道   から沖縄まで日本語が通じる国です。日本は極めて同質的な国で    す」と発言していた。だが、北海道の北東部には、その昔、オホーツク  文化という  北方民族独自の文化があった。また、アイヌ語復権の   活動が続くなかで、「日本語が通じる同質的な国」とはどういうことか。
  不適格閣僚がまた登場したという感じだ。

伊吹文科相には、ぜひ、この本を読んでいただいて、しっかり歴史と「国語」のお勉強をしてもらいたいです。

長々と失礼いたしました。
Commented by sabasaba13 at 2007-03-07 21:29
 こんばんは、貴重な情報をいただき感謝します。なにせ最近ほとんどTVを見ず、新聞もきちんと読んでいないので迂闊にも知りませんでした。2/25に長崎県で行われた自民党支部大会における発言ですね。沖縄タイムスの適確な社説をあげておきます。
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070227.html
 その前段では、人権をバターに例え「どんなに栄養があっても、毎日バターばかり食べていればメタボリック症候群になる。人権は大切だが、尊重しすぎたら日本社会は人権メタボリック症候群になる」と述べています。こういう人物が教育行政のトップにいられるという、恐るべき現実に鳥肌がたちました。
Commented by at 2007-03-08 01:07 x
沖縄タイムス、拝見いたしました。私が引用したのは、北海道新聞のものなのですが、北と南の「中央政権の統治が及」んでいなかった地は、この発言に敏感に反応したようですね。妙なシンクロですが、北海道人としては、こういう味方(?)がいてくれて、心強いです。

私も北海道新聞の全文、貼っておきます。下手な要約なんかせずに、こうすればよかった(笑)
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20070301&j=0033&k=200703019155
Commented by sabasaba13 at 2007-03-08 19:39
 こんばんは。「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた」とはよくぞ言ったものです。日本ってどこまでの範囲? 日本人の定義は? 悠久とはいつから? 何時何分何十秒?というつっこみをする気も失せるほど傲慢にして曖昧な発言です。歴史学者のきちんとした反証・反論を期待します。
Commented by さっと at 2007-03-09 18:28 x
こんばんは。名前が「さ」になっていました。大変、失礼しました。
柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言もありましたが、今の政治家は言葉選びが下手ですよね。まぁ、首相が「美しい国」を連呼する時代ですし。
若輩者の私が言うのもおこがましい話ですが、なんでもかんでも、「~的」とつける若者やカタカナ語の氾濫、そして、この頃顕著な大臣の問題発言、等々。クラクラしてきます。
「郵政民営化を問う選挙」「いつ参拝しても批判されるのだから、8月15日に参拝しようが同じ」という一見筋の通っているような発言で演じられた「小泉劇場」に拍手していた我々国民も反省しなければいけないと思います。
Commented by sabasaba13 at 2007-03-09 23:55
 こんばんは。所詮、国民は己が知的レベル以上の政治家を持ち得ないという法則の見事な証明だと思います。かくの如きいかがわしき発言をしてもある程度の共感が得られるという状況を本能的に見切っているのでしょう、彼らは。ま、要するに私たちはなめられているのだと愚考します。
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