「チョムスキーとメディア」

c0051620_17151771.jpg 先日、山ノ神と映画「チョムスキーとメディア マニュファクチャリング・コンセント」を見てきました。映画館は渋谷にあるユーロスペース、“欲望以外のものへの無関心”という妖気が漂う土地柄ですので足を踏み入れたくはないのですが、選択の余地はありません。せんかたなし。さてハチ公前からBunkamuraへ向かおうとすると、山ノ神は私の上着の裾をひっぱって原宿方面を指差します。「こっちよ、私来たことがあるんだから」 これは明らかな勘違いなので、説得・折伏・懇願して109ビル方向へと引率。眼前にBunkamuraが現れると、彼女曰く「いつ移動したのかしら?」 あなたはウェゲナーか!!! チケットを購入しましたが開演まで小一時間ほど時間があります。Bunkamuraミュージアムでは「ティアラ展」を開催しておりますが、二人とも食指を動かされません。こういう時の暇つぶしはできれば本屋、なければ書店にかぎります。近くにある「ブックファースト」という書店があったのでさっそく入店、入口のところに村上春樹訳「ロング・グッドバイ」(レイモンド・チャンドラー 早川書房)が平積みにされていたのを見て、私の欲望にパチパチと火がつきました。売られた喧嘩は買うぜ、マーロウ。待ち合わせ時間と場所を決めて、散会。「競争やめたら学力世界一 フィンランド教育の成功」(福田誠治 朝日選書797)、競争原理にはほとほと愛想をつかしているので即購入、「世界を見る目が変わる50の事実」(ジェシカ・ウィリアムズ 酒井泰介訳 草思社)も面白そうだなあ、しばし逡巡して購入、「反米大統領チャベス 評伝と政治思想」(本間圭一 高文研)、アメリカ帝国に敢然と立ち向かうベネズエラの大統領、興味があるので購入。ふうっ。というわけで四冊のお買い上げ。山ノ神と落ち合い、映画館へと向かいました。
 ノーム・チョムスキー、アメリカの言語学者で、人間のなかに言語を生み出すメカニズムを仮定し、これをすべての人間が生まれながらにもつ遺伝的なものだとする生成文法の理論した方です。と同時に、ベトナム戦争以降、政治活動も精力的に行い、アメリカ政府の政策を舌鋒鋭く批判し続けている思想家・活動家でもあります。彼の書いた評論を数冊読み、「チョムスキー 9.11」という映画を観て、彼に畏敬の念をもつようになりました。状況を鋭く解き明かす分析力、論理的な言葉としてそれを批判する知的能力、そして何よりも眼前の不公正・不正義に対して抗議の声をあげる勇気と行動力。知識人という言葉が死語になりつつある今、私が尊敬する知識人の一人です。本作は、メディア批判に関する彼の講演を中心に編集した長尺2時間47分の映画です。途中に五分間という、喫煙者を嘲笑するような短時間の休憩が入りますが、あっという間に充実した時間が過ぎていきました。サブ・タイトルの“マニュファクチャリング・コンセント”とは「合意の捏造」という意で、アメリカのジャーナリスト、ウォルター・リップマンが1920年代に使った言葉だそうです。そういえば、彼がマッカーシズムを批判した「世論」(岩波文庫)という本を買った記憶があります、読んではおりませんが。権力者とメディアが、民主的になされたかのように合意を捏造し、大衆を無力化していく仕組みを分析して批判するという内容です。快刀乱麻を断つ、豊富な実例や関係者へのインタビューなどをまじえて、アメリカのメディアの問題点をつぎつぎに暴いていく手際の見事さに。は感服しました。例えば、ジェノサイドの報道には三つの種類があると彼は指摘します。無視されるジェノサイド(東チモールにおけるインドネシア軍の虐殺)、自らが行う建設的なジェノサイド(アメリカのカンボジア攻撃)、相手側が行う許されないジェノサイド(ポル・ポトによる虐殺)。同じジェノサイドでも、利害関係によってメディアの扱い方が大きく違うことがよくわかりました。
 なお、なぜ彼が不公正や不正義に立ち向かうようになったのかについて、こう語っていました。小学生の頃、友人がいじめられた時に最初はそばに寄り添っていたのだが、やがていたたまれなくなってその場から逃げ出してしまったそうです。そして二度とこのようなことはすまいという強い思いを抱くようになったとのこと。人々を分離させ孤立させ無力化させようとする権力者に対して立ち向かう闘志は、ここからはじまったのですね。プログラムに掲載されていたチョムスキーの言葉です。
あちらが人々をお互いから引き離し、孤立させようとするなら、
私たちは、その逆をいきましょう。
つながるのです。
各々の地域社会にオルタナティブな行動の拠りどころが必要です。
他人との連帯のなかで、
自分自身の価値観を身につけ、
自衛の手段を学び、
自分の生活に主導権を取り戻し、
そして周囲の人々にも手をさしのべるのです。
 最後の場面で、一人の聴衆が彼に対して「またこの国を誇れるようになる日がくるのでしょうか?」と訊ねました。彼の答えです。「その“国”が政府を意味するのだったら、ありえません」 同感、愛国心における“国”を“政府”にすりかえる詐欺には気をつけましょう。振込詐欺、おれおれ詐欺よりも、よっぽど悪質です。ほんとは法律で取り締まってほしいのですけれど。
 ほとんど手弁当でこの映画をつくりあげた二人の監督、マーク・アクバーとピーター・ウィントニックに感謝したいと思います。どうもありがとう。

 追記。この映画はかつて山形国際ドキュメンタリー映画祭で上演されたそうです。以前に拙ブログで紹介した「ダーウィンの悪夢」という素晴らしい映画もそうなのですね。今年は10月4日~11日に開催されるそうです。かなり質の高そうな企画のようなので、行ってみようかな。もし石原強制収容所所長が三選を果たし「東京の悪夢」という事態が現前したら、山形県に永久避難したいところです。金山という素敵な街もあるしね。

●山形国際ドキュメンタリー映画祭 http://www.yidff.jp/home.html
by sabasaba13 | 2007-03-25 07:37 | 映画 | Comments(6)
Commented by 立花ノリミ at 2007-03-25 14:33 x
チョムスキーがあんなに Media に出て思いっきり左翼的メッセージを発信できていた時代とは、今は隔世の感がありますね。
Mediaによる思想統制は今もあたりまえに行われているとおもうし、
私としてはネットの世界が順調に育って
本当に民主的なあり方が達成できれば、と願うばかりです。
ネットで小説を発表しているのもそういう活動の一環としてです。
よろしければのぞいてみてください。
http://web.mac.com/norimibungaku/
Commented by sabasaba13 at 2007-03-25 17:55
 こんにちは。もう思想統制をする必要がないくらい、みんなの思考力や判断力や批判力が枯渇しているような悪寒におそわれています。どうしたらそうした力を身につけることができるのか… おっしゃるとおりインターネットの活用も大事でしょうが、同時に従来のメディアを真っ当なものにするための努力も必要だと思います。
 さっそく貴サイトを拝見したいと思います。どうもありがとうございました。
Commented by 立花ノリミ at 2007-03-30 22:27 x
 確かにそうですね。本当は教育から変えていく必要があるのだと思います。まず、子供に意見を言うようにうながすこと。大人がそれをきちんと受け止めること。自由な(とまでは言わないでも、枠からずれたような)考えを持っていても、そのことで責めたりしないこと。
 読む人が自然にそういう方向を目指すようになるような小説が私の理想かもしれません。
Commented by sabasaba13 at 2007-04-04 17:18
 こんばんは。「私は貴方の意見には反対だが、貴方がそれを発言する権利は命にかけて守る」と言ったのはヴォルテールでしたね。自分と異なる意見こそが大事なのであり、それを尊重することがより良い方向へと事態を動かしていくもっとも重要な原動力だと思います。
Commented by Survivart at 2007-04-15 17:22 x
「マニュファクチャリング・コンセント〜マスメディアの政治経済学」の翻訳家・中野真紀子さんと、「ビデオニュース・ドットコム」代表のジャーナリスト・神保哲生さんをゲストに向かえ、「放送から考える」と題したトークイベントを4月21日に行います。これは先日始まったYouTube連動展覧会「Double Cast」の関連イベントなのですが、詳細はサイトでご確認ください。
http://doublecast.survivart.net/event/index.html#t06
Commented by sabasaba13 at 2007-04-16 19:00
 こんばんは。サイトを拝見いたしました。大変興味を引かれますが、残念ながら当日は仕事があるため参加できません。これからも貴重な情報を教えていただけると幸甚です。
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