「動物農場」

 「動物農場」(ジョージ・オーウェル 高畠文夫訳 角川文庫)読了。拙ブログでしばしばふれているジョージ・オーウェルの代表作の一つです。大学生の頃読んだのですが、現今の如きいかがわしい社会状況の中で読み返すと何か新しい発見があるかもしれないと思い再読しました。
 人間に苦しめられている農場の動物たちが、すべての動物が平等である理想社会をうちたてようと反乱を起こし農場主を追放してしまいます。しかし指導者となった豚たちは権力をほしいままにし、やがて動物たちは以前にもまして過酷な生活に落ち込んでしまうという寓話です。著者はロシア革命とその後のスターリン独裁を風刺するために書いたのですが、権力はどのように腐敗していくか、そして民衆がどのようにして権力に翻弄されるのかを洞察する材料になる傑作です。
 結局、動物たちは反対運動も反乱も起こさず、黙々と屈従しつづけるのですが、この歳になって彼らの気持ちが身にしみて実感できるような気がします。なぜこうした専制と腐敗に対して反発や反対や批判をしないのか? 指導者であるナポレオン(豚)が間違ったことをするはずがない、昔よりはましだ、豚たちが提示する以前より格段に多い小麦の生産量などの数字を信じよう、豚たちがみんなと取り交わした公約をよく覚えていない、自分たちの働きが足りない、などなど農場の動物たちはいろいろな理由をつけて忍従をつづけます。今のわれわれの姿が二重写しになってきますね。雌馬クローバーの「だれも思っていることがいえず、獰猛ですぐ唸り声をあげる犬たちが、ところかまわずうろつきまわっていて、自分の仲間が恐ろしい罪を告白してから、ずたずたに引き裂かれるのをじっと見守っていなければならないような、ひどい時勢になってしまったんだわ」という仮想のモノローグを読むと、いかに今の日本が「動物農場」に近い状態になっているかに気づき愕然としました。
 それではどうすればよいのか? オーウェルはその答えについては黙しています。もちろん「あなた方が自分の頭で考え自分の体で行動しなさい」ということだと思います。でもそのヒントは本書のいたるところに散りばめられています。いたずらに楽観はしないが、かといって悲観もしないオーウェルの考えが次の文にもよく表れています。
 そういわれても動物たちはけっして希望を捨てなかった。…イギリスの緑の野が、人間の足によって踏まれなくなるという、メージャー爺さんの予言した動物共和国は、いまだにその到来が信じられていた。いつの日か必ずやってくるであろう。近い将来ではないかもしれない。今生きている動物たちが、みんな死んでしまった後かもしれない。しかし、それでも、やがては実現するはずなのだ。
 しかし現実から目をそむけるわけにもいきません。臓腑を抉られるようなオーウェルの言葉を「気の向くままに」から再び引用します。ほんとにそうかもしれない…
 一市民を殺すことは悪であるが、千トンもの高性能爆弾を住宅地域に落とすことは善しとされる世界の現状を見ると、ひょっとするとわれわれのこの地球はどれか他の惑星の精神病院として利用されているのではないか、と考えたくなる。

by sabasaba13 | 2007-04-26 06:17 | | Comments(0)
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