「夢と魅惑の全体主義」

 「夢と魅惑の全体主義」(井上章一 文春新書526)読了。なんともはや挑発的なタイトルです。著者は風俗史をはじめ様々な分野で健筆をふるう研究者、ナイトクラブに入り浸ってジャズピアノを弾きながら女性を口説くのに多忙なのかなと思いきや、本業もきちんとされていたのですね。(余計なお世話ですが)安心しました。本書は、ファシズム体制がいだいていた意欲は建築や都市計画に投影されるという観点から、ドイツ・イタリア・ソ連・日本のファシズム期建築を比較・考察したものです。なるほど、政治権力が民衆に対して何かをアピールする時に、古墳や天守閣の例をあげるまでもなく最も多用されるものは建造物です。それはそうですよね、否が応でも人々の眼に入るわけですから。
 前半はドイツ・イタリア・ソ連のファシズム期建築や都市計画の紹介です。著者は、権力の簒奪者が支配の正統性を補うために、明るく素晴らしい未来像を建築や都市計画という可視的な形で民衆に提示し大衆動員を行ったとまとめられています。今も残るそうした建築も詳しく紹介されているので、現地に行った時のガイドブックとして利用できます。ま、これについては漠然とした知識ではありますが、ある程度は知っておりました。ぐいぐいとひきつけられたのは後半の日本に関する記述です。日中戦争開始直後の1937年10月に政府は「鉄鋼工作物築造許可規則」を公布し、鉄材を50トン以上使う建築(※軍関係は例外)を禁止したそうです。これは知りませんでした。その結果、建設中の鉄筋コンクリート建築は未完成のままほうりだされ、官庁を含めて首都中枢に木造のバラック群があらわれたそうです。未来への幻想を提供するのではなく辛くて厳しい生活への覚悟を国民に求めた、あるいは独裁者の夢想ではなく官僚の現実主義が支えたのが、日本のファシズムであったと述べられています。こうした徹底的な禁欲精神の貫徹する社会も十分ユートピア的だというのが著者の意見です。
 日本の場合は支配の正統性を、言い換えると明るく素晴らしい未来を可視的な形で提示する必要がなかったのですね。もちろんそれを担保していたのは万世一系を誇る天皇制です。天皇制に暖かく包まれながら“堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍”べばそのうち明るい未来がやってくると信じる心性。何故こうしたメンタリティがねづいたのか、そして何故今もそこから脱却できないのか。いろいろと考えさせてくれる斬新な切り口の刺激的な本でした。

 追記。紀元2600年を祝う祭典(1940.11)の際に、皇居前につくられた仮設の祭殿が、小金井公園江戸東京たてもの園のビジターセンターとして残されているそうです。ニュルンベルクの党大会会場を永久建造物としていとなもうとしたヒトラーとの違い! 日本ファシズムの特質を雄弁に物語る証人ですね、今度見にいきましょう。
by sabasaba13 | 2007-06-13 06:08 | | Comments(0)
<< 「迷宮都市ヴェネツィアを歩く」 「反米大統領チャベス 評伝と政... >>