「ダブリンの市民」

 「ダブリンの市民」(ジョイス作 結城秀雄訳 岩波文庫)読了。夏休みにスコットランド・アイルランド旅行を計画しています。基本的に見知らぬ土地に行く時は前もって下調べをするのですが、今回はどういうわけか何をとちくるったのか、それとともにアイルランド出身の作家の作品を読んでみようと思い立ちました。そう、ジェームズ・ジョイスです。告白すると、以前に丸谷才一訳「ユリシーズ」第一巻の三分の二ほど読んだところで挫折した苦い記憶があります。覆轍をくりかえさぬよう、今回はその前章とも言うべき「ダブリンの市民」と「若い芸術家の肖像」から読んでみることにしました。そうすればストーリーへの理解も深まるのでは、という素人考えです。ただし手に負えなかったら、大日本帝国陸軍・海軍のようにずるずると泥沼にはまるのではなく、潔く撤退しようと心に決めたら少し気が楽になった次第です。
 地雷原を進むようにおそるおそる読み始めたのですが、予想外にこれが面白い。中編集なので読みやすいということもあったのですが、何よりも興味深いストーリーと鋭い描写・表現に惹かれました。イギリスによる政治的支配とそれに抗しえぬことに対する鬱屈、カトリックによる精神的支配とそれに対する疑問、そしてそうした状況を包み込むダブリンという閉塞的なしかし魅力的な空間。中でも「対応」という掌編が面白かったですね。上司に怒鳴られる無能な書記ファリントン、しかし酒場に行き仲間と飲み騒ぐと元気になるのですがたまたま腕相撲に負けてしまう。そして家に戻り子供にあたりちらし虐待を加える彼。ジョイスは、酒場の場面でのみファリントンという実名を使い、他の場面では単に「男」という匿名化した表現をしています。職場でも家庭でも交換可能な存在、個人として立ち現れるのは酒場においてだけです。しかしそこでの敗北がふたたび彼を匿名化し、子供への殴打としてそのフラストレーションを爆発させる。アイルランドという国の描写でもありますね。そして被害者が加害者となるという、たぶん現在の世界でもっとも真剣に考え解決しなければならない事態を、すでに予見していたかのようです。いやこれは過去からの人類普遍の現象なのかもしれません。それを突き放すように冷たく鋭く描くジョイスの筆致。アメリカ帝国の植民地状態となっている日本の人々が、アジア諸国に対して攻撃的になる心理に思いを馳せてしまいました。
 さて次は「若い芸術家の肖像」に挑戦です。はたして私は「ユリシーズ」にたどりつけ、そして読了できるのでしょうか。乞うご期待。

 追記。諸般の事情でアイルランド旅行は中止となりましたが、しばらくジョイスの作品を読み続けていこうと思っています。
by sabasaba13 | 2007-07-20 06:05 | | Comments(0)
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