「シッコ」

c0051620_6102679.jpg マイケル・ムーア監督の最新作「シッコ」を見てきました。これまで彼の作品を「ボウリング・フォー・コロンバイン」「華氏911度」と見てきましたが、本作に最も感銘を受けました。お薦めです。
 SICKOとはどういう意味か? 名著・アメリカ俗語辞典(研究社)には当該の言葉はなく、SICKIE=精神的に病気の人という言葉がありました。まあそういうニュアンスのスラングだと思います。アメリカにおける医療のSICKOな実態を描いたドキュメンタリー映画です。前二作のように直截的に怒りを為政者や企業にぶつけるのではなく、アメリカ民衆を非人間的な状況に追い込んでいる市場原理主義・新自由主義を冷静に暴くとともに、そこから抜け出るための燭光を灯そうとした作品だと思います。市場原理が、人の健康や命に関わる医療において貫徹されると一体どうなるのか、よーくわかりました。アメリカでは、民間の保険会社が医師に給料を払って管理するHMO(健康維持機構)がとられています。「手段を選ばずに最大の利潤をあげる」という原則によって、治療は不必要と判断した医師には「無駄な支出(保険金の支払い)を減らした」として報奨金を与え、加入者には何かと理由をつけて保険金を払わない。そして多額の献金で政治家を操り、保険会社に都合のいい法律を作らせる。国民は高い保険料を払っても、一度大病にかかり大怪我をすれば破滅です。保険会社という私企業の利益の前に、一人ひとりの命や健康など顧みられない。
 これに対してカナダ・イギリス・フランスでは医療費は全額無料です。何故か? マイケル・ムーアが各国を回って医師や関係者にインタビューをすると、たいていこういう答えが返ってきます。「助け合うためです」 それでは何故アメリカは国民皆保険や無償化が実現できないのか。イギリスの政治家トニー・ベンはこう答えます。「イギリスでは政府が国民を恐れる。アメリカでは国民が政府を恐れる」 ではなぜアメリカ人はそういう"シッコ"な状態になってしまったのか。人々の健康や命を軽視してまでも私企業の利益を優先する政府にNOと言えないのか。この答えを見出すために、ムーア監督はこれからも映画を撮り続けていくにちがいありません。
 それでは燭光はどこにあるのか。最後のシーンが雄弁にそれを物語っていると思います。9.11の時に犠牲者を救うために瓦礫の中で救助活動を行った有志の人々が多数いたのですが、その結果塵埃により肺や呼吸器に大きなダメージを受けました。しかしアメリカ政府はこうした人々に助けの手をさしのべず無視しています。キューバのグアンタナモ米軍基地ではテロ活動の被疑者に手厚い医療を施していると知ったムーア監督は、彼らともに船でキューバに渡航し、基地に向かって「同じような医療処置を!」と叫びますが勿論これは黙殺されます。一同はハバナに行き、試しにそこにある病院を訪れたところ、すぐに治療を受けられることになりました。パスポートも身分証明も必要なし、ただ名前を記入するだけで、治療・入院・義歯の作製・リハビリテーション計画の助言すべて無償です。涙ぐむ彼らに対して、キューバ人医師は「患者の痛みを取り除くのは当然のこと」とにこやかに微笑みます。このシーンで私の涙腺も全開。だって、アメリカ政府はキューバに対して敵性国家だとして長期間にわたる嫌がらせをしてきたわけです。当然キューバ人のアメリカに対する反発は大きいものでしょうが、病や障害に苦しんでいる個々人とは何の関係もない。
 その直後のシーンは、入院費・治療費を払えない患者を深夜の街角に秘かに放り出すアメリカの病院の姿が映し出されます。監督の叫びが聞こえてくるようですね。「この差はいったい何なんだ! アメリカはなぜこんなふうになったんだ!」 そして囁き声。「まず知ろう、そして考えよう、そして行動しよう」 ここに燭光があります。
 さてこれは他人事ではありません。奈落をゴールとする新自由主義マラソンで先頭走者アメリカ政府の後を必死に追っている日本政府も、こうした利潤優先の医療システムを導入しようとしています。後はわれわれが知り、考え、行動することができるかどうかにかかっています。
 なお前述のトニー・ベンが含蓄に富む言葉を吐いておられました。うろ覚えですが、たしかこんな内容でした。「政府が国民を服従させるときには、教育と健康と自信を打ち砕く」 銘肝。

 そうそう、最後に「カート・ヴォネガットに感謝する」という言葉がタイトル・ロールにあらわれましたが、この二人にはどういう関係があるのでしょう、興味ありますね。"シッコ"を暴き、呪詛し、笑い飛ばすという共通点があるかと思いますが、人類の"シッコ"を批判し続けた故ヴォネガット氏の方にスケールの大きさを感じます。あらためてご冥福を祈ります。
by sabasaba13 | 2007-09-11 06:10 | 映画 | Comments(0)
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