「謎解き 広重「江戸百」」

c0051620_651461.jpg 『謎解き 広重「江戸百」』(原信田 実 集英社新書ヴィジュアル版)読了。広重(1797-1858)の「名所江戸百景」は高校生の頃から大好きです。彼の浮世絵との出会いは、永谷園のお茶漬け(今でもお湯をかけずにふりかけとして愛用)についていたふろくでした。その後本作を知り、近景に画面からはみ出すような物を描くというダイナミックな構図には驚かされました。大学生になり西洋美術史の勉強をするようになって、浮世絵が西洋絵画に与えた影響(ジャポニズム)は、色彩もさることながら、この大胆な構図によるものが大きいと知りました。ゴッホは「亀戸梅屋敷」を模写しているし、ドガの絵を見てもその影響はよくわかりますね。しかし広重はなぜこうした構図を選んだのか考えもしなかったのですが、それに一つの納得できる仮説をたててくれたのが本書です。そしてそれにとどまらず「江戸百」のさまざまな読み解き方について懇切丁寧に著者は教えてくれます。
 例えば「浅草金龍山」という作品。なぜ近景に雷門をもってきたのか。制作されたのは秋なのに、なぜ雪景色なのか。実は前年に安政大地震が起こり、江戸の町は壊滅し、浅草寺五重塔も曲がってしまったそうです。近景の雷門で浅草寺という場を提示し、遠景に塔を描くことでその修復がなされことを示し、雪景色=紅白(朱塗り柱と雪)にすることによって江戸の復興を寿ぐという仕掛けをほどこしたというのが著者の説です。なるほど。近景に描く大きな物で場所性を提示し、広重が関心をもつものを遠景に小さく描く。それができない場合には、鳥瞰で描く、これが「江戸百」の基本的な方針だということです。こうした手法を駆使して広重は、地震に打ちひしがれた江戸庶民を元気づけ、幕府の検閲を免れ、時によっては商店の宣伝をしたのではないか。
 基本的に私は、絵をじっと見て己の直観と美意識をたよりに「良い/悪い」を判断しています。それを撤回するつもりはありませんが、こうした本を読むと画家の手法を分析することの必要性も痛感します。そうすれば美的感興と知的感興があいまって、より大きな感銘を受けられそうですね。うしっもっと絵画史の勉強をしよう、という向学心を煽られました。コンパクトながらも、「江戸百」全作品が巻末に載せられているのも嬉しいかぎりです。
 なお著者があとがきで述べられていた、同時代の画家ジョン・コンスタブル(1776-1837)との対比は興味深いものでした。個人の収集家に向けて何気ない田園風景を描いたコンスタブルと、江戸の大衆に向けて都市の名所を描いた広重。私の力量を超えたものですが、イギリスと日本社会の比較分析をしたくなります。ただコンスタブルには産業革命によって荒廃したイギリスの自然や社会を追慕するという視線があったと思います。近代日本においては、そうした試みはあったのでしょうか。浅学にして詳しくは知りませんが、「名所」を描くという方法だと、次々と生れ出る新しい事物を描き続ければいいのですから、失われた自然・社会を描いて残すという動機はもちづらいのかもしれませんね。
by sabasaba13 | 2007-09-14 06:05 | | Comments(0)
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