「若い芸術家の肖像」

 「若い芸術家の肖像」(ジョイス 丸谷才一訳 新潮文庫)読了。「ダブリンの市民」を恙無く読み終わり、次に挑んだのが本作です。主人公のスティーヴン・ディーダラスは「ユリシーズ」でも重要な人物として登場しますが、ジョイスの半自伝的小説とも言われます。幼年期から青年期にかけて、スティーヴン彼が葛藤・苦悩とともに成長していく姿を描いた教養小説でもあります。なおディーダラスという姓は、ギリシア神話に登場する伝説的な大工、工匠、職人、発明家であるダイダロスの英語読みです。弟子のタロスが鋸を発明すると、その才能を恐れて彼を殺したためにアテナイを追放された。その後ミノス王の保護の下に入りますが、王の怒りを買い、息子イカロスと共に塔に幽閉されてしまいます。ダイダロスとイカロスは人工の翼をつくり逃亡しますが、その途中でイカロスは太陽に接近しすぎて、翼の蝋が溶け墜落死。彼は脱出に成功し、シチリア王の元に身を寄せることになったそうです。この神話が小説の骨格となっているのですね。芸術上の新しい美を創造しようとするスティーヴンですが、彼は囚われの身です。彼が幽閉されている塔は、カトリックそしてアイルランド。そして彼は自由を求めてカトリック信仰から、そしてアイルランドからも脱出します。果たして彼の目論みは成功したのか、それとも… その後日談が「ユリシーズ」で描かれているようです。
 正直、読み通すのに時間がかかりました。何と言ってもカトリックに関する教義や儀式の叙述が晦渋なためです。何度か撤退しようと思ったのですが、どういう理由からかふみこたえました。特段、無理をしたわけではないのですが、今もって不思議です。信仰、祖国、異性に対して真摯に悩みぬくスティーヴンの若者らしさに惹かれたのかもしれません。あるいは年をとるごとに文体も成長していくというジョイスの奇抜な、ある意味では当然の試みのせいかな。また処々にちりばめられた、はっとするような文章表現のおかげかもしれません。たとえば…
 暮れなずむ土地が背後へとかけ去り、四秒ごとに電柱が窓のそばをすばやく過ぎさり、そしておし黙っている数人の番人がいるだけの小さな駅がかすかに灯をちらちらさせながら、夜行列車によって背後に投げすてられると、それは一瞬、暗闇のなかで、まるで機関手がうしろに撒き捨てた火の粉のよう。
 横光利一も影響を受けたのかな。それはともかく、いよいよ「ユリシーズ」に挑戦。「ダブリンの市民」の登場人物や、スティーヴンとの再会が楽しみです。
by sabasaba13 | 2007-09-27 06:09 | | Comments(0)
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