「ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る」(梅森直之編著 光文社新書301)読了。いやあ面白かった、読み進めるうちにドッグ・イヤーがどんどん増えて本の厚さが1.35倍になってしまいました。
氏はナショナリズム研究の泰斗で、代表作は「想像の共同体」(NTT出版)です。今、地球と人類を破滅の一歩手前まで追い込んでいる諸問題、テロや武力紛争、環境破壊、経済的不平等と格差などを考える時に、ナショナリズムという視点は欠かせません。“われわれ(自国民)”を脅かす“やつら(他国民)”、あるいは“われわれ”さえ良ければ“やつら”はどうなったっていい、という発想が事態を悪化させているのではないでしょうか。何故、“われわれ国民”という広漠にして根拠のあやふやな一体感が生れたのか、そして何故、“われわれ”と“やつら”を截然と区別してしまうのか。たしか森巣博氏が紹介されていたエピソードですが、ユダヤ人強制収容所の看守をしていたドイツ兵に、なぜあのような残虐な行為ができたのかと訊ねたところ、彼はこう答えたそうです。「まずわれわれと彼らを分けた。あとは簡単だった…」 “国民”という想像力の産物のために、過去二世紀にわたり数百万の人々が、殺し合い、あるいは自らすすんでいったという冷厳なる歴史的事実にこだわり、それを解明しようとしているのがベネディクト・アンダーソン氏です。しかし“国民”=空想されたでっちあげと単純に切り捨てているわけではありません。「想像の共同体」より引用します。 ナショナリティとナショナリズムが文化的人造物であること、これを正しく理解するためには、それがいかにして歴史的存在となったか、その意味がときとともにどのように変化してきたか、そして今日、なぜそれが深く情念を揺さぶる正統性をもつのか、これを注意深く検討する必要がある。…この文化的人造物が、これほどにも深い愛着(アタッチメント)を人々に引き起こしてきたのはなぜかそう、ナショナリズムとは近代の産物ではなく、過去から連綿として存続してきた心性であるということ。そして近現代において特に人々の情念を揺さぶり、深い愛着を引き起こすようになったというのが氏の主張です。 前置きが長くなりましたが、その氏が2005年4月に来日して早稲田大学で行った二回の講演を収録したのが本書です。予想外の軽妙洒脱な語りに引き込まれてしまいました。中でも生い立ちと研究者としての歩みについては、非常に興味をもちました。「わたしは幸福なことに、複合的な家族背景を有しています。父はアイルランド人で、母はイギリス人です」 イギリス税関官吏として中国に赴任した父親のもとで生まれ、十歳まで中国で過ごします。その後ケンブリッジ大学に学び、そしてアメリカのコーネル大学に移りインドネシアの研究者になることを決意します。「アメリカはアジアを包括的に支配しようという野心を持ち得た唯一の国でした(現在も持ち続けています)」 つまり、冷戦という状況下で、帝国主義的支配するためにアジア全体を研究する必要性をアメリカは考えていたのですね。その渦の中に彼は飛び込んだわけです。そして一国だけを研究するのではなく、常にアジア全体を視野に入れながら各国を比較し、しかも人類学・歴史学・政治学・経済学を包括できる総合的な能力を身につけるという研究システムが、彼にとって大いに役立ったようです。帝国主義国(イギリス・アメリカ)と植民地(アイルランド・中国・インドネシア)、それぞれに深く関わってきた体験が、ナショナリティに対する彼の柔軟にして複眼的な思考を可能にさせる素地を生んだのでしょう。 そしてこの本の白眉は、後半部分、政治学者・梅森直之氏によるベネディクト・アンダーソン論です。中でもアイデンティティに関する説明は簡明にして当意、これまで聞き及んだ中でもっとも納得のゆくものでした。備忘のため、私なりに要約しておきます。人間は他の動物に比べて、遺伝的なプログラムやモデルによって行動が制御される比率が低い。岸田秀氏曰く「本能の壊れた動物」ということですね。よって人間の行動は可塑性が高く、これが良くも悪くもさまざまな面における進歩の源です。しかし、各人が好き勝手な振る舞いをしていたら、当然暮らしていけなくなる。そこで人間は「行動を支配する制御装置=文化」をつくりだした。そして「文化」がうまく機能するためにつくられた型がアイデンティティであり、個人はこの型にはめられることで、社会における適切な振舞いを無意識に実践することができる。日本人だからこうすべき、女だからああすべき、農民だから…というわけですね。そしてナショナリズム、すなわち自分は何人であるかという自覚は、今日において、もっとも支配的な要素となっている。しかしそれは適切な振舞いの基準を確固たるアイデンティティから「自然に/無意識に」みちびきだすことを意味するので、なぜそういう行為をするのかについて深く考えなくなる。つまり思考の停止です。とりわけそれが露になるのは、自分と異なる考え方や行動の仕方をする誰か(他者や異文化)に出会ったときだ。その違いについて深く考えようとせずに、その人物のもつアイデンティティという型のせいにして理解した気になる。「あいつは女だ、あいつは中国人だ、あいつはオウム真理教徒だ…」 単一のアイデンティティという型に堅くしばられてしまうと、他のアイデンティティを理解する努力を放棄してしまうのですね。そして理解不能な薄気味の悪い存在として、容易に排除の対象にすることができます。前記の看守のように… 「まずわれわれと彼らを分けた。あとは簡単だった…」 とはいっても、人間はアイデンティティなしには意味ある生を送ることはできない。このことを認めながら、なおほかの誰かのアイデンティティに深く寄り添うにはどうすればよいのか。答えは自分の中にあるとアンダーソンは言います。自らのアイデンティティを構成する複数の要素を発見すること、そしてその全てに深く寄り添うことによって、どの要素からも一定の距離をとること。そのすべてでありながら、そのどれでもない自分を認めること、それが他者の理解につながる。うーん、なるほど。さしずめ私だったら、「日本人」「江戸っ子」「AB型」「みずがめ座」「宿六」「チェリスト」「変人」といったところです。よって私は、この列島に住む人々を、「日本人」という単一にして強固なアイデンティティ=型にのみはめこもうとする全ての試みに反対します。 世界や日本の現状を考察するための前提条件を示唆してくれる好個の一冊、お薦めです。
by sabasaba13
| 2007-09-28 06:11
| 本
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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