トリスタンとイゾルデ

c0051620_68721.jpg 先日の日曜日、NHKホールでダニエル・バレンボイム+ベルリン国立歌劇場による「トリスタンとイゾルデ」を見て聴いてきました。午後二時半ごろにJR原宿駅に着いて、ホールの方へ歩くと、おおっ、ゴシック・ロリータ姿の若い女性やアマチュアのロック・バンド、それを追っかけるファンや撮影する人たち。物珍しげに眺める外国人の姿も印象的でした。漠然と感じたのは、あるバンドと特定のファンが濃密な関係で結びついて閉ざされた音楽空間になっているということ。まるで透明にして巨大なカラオケ・ボックスです。人と人を結びつける音楽を取り戻すにはどうすればよいのだろう、などと柄にもないことを考えてしまいました。
 そしておおぜいの観客でごったがえすNHKホールに到着。このホールの「しょぼさ」にはいつも辟易します。安っぽい内装と調度品、せまっ苦しい座席、トイレ(特に個室)の少なさ。客を詰め込んで最大の利潤を得るためなのでしょうが、金輪際ここでオペラを上演するのはやめていただきたいと愚考します。とはいっても、席につき照明が落とされると、ワーグナーの世界に引きずり込まれます。騎士トリスタンは、年老いたマルク王(彼の叔父)の花嫁と定められたアイルランド王女イゾルデを、王の居城コーンウォールへ護送します。イゾルデは船旅の途上、かつて自分の許婚を殺したトリスタンとともに毒杯を仰ぐことによって復讐を果たし、屈辱的な結婚を拒否しようとしますが、侍女ブランゲーネが毒を愛の媚薬にすり替えていたために2人は激しい恋に陥ります。やがて2人の逢引きは発覚し、トリスタンは王の従臣の剣で深手を負います。事情を知った王が許しを与えるためイゾルデとともにトリスタンの居城ブルターニュに到着したときはすでに遅く、彼は絶命し彼女も息絶えてしまう、というストーリー。半音階を多用して、近代西洋音楽の基礎をなす機能和声を崩壊させた斬新な「トリスタン和声」が聴き所だとよく言われますが、私のような素人には細かいことはどうでもよろし。めくるめく終わりなく流れる官能的な音の渦に身をゆだね、心がとろとろに溶けてしまうような快感を幾度も味わえました。惜しむらくは、瀕死のトリスタンに会うために、イゾルデを乗せた船が近づいてくるシーンでもうひとつ盛り上がりに欠けたこと。「ここで息絶えてもいいや」と管楽器は咆哮してほしかったし、「腕も折れよと弾きぬく闘志」が弦楽器にはほしかったなあ。そして彼の死の後にイゾルデが歌う独唱「愛の死」も物足りません。クライマックスのところで音量と声の張りが欠けたためか、「さあ鳥肌を立てるぞ」と待ち構えていた身と心は肩透かしをくわされてしまいました。でもまあ全体として満足できる演奏でした。日頃、カール・ベーム+バイロイト祝祭劇場管弦楽団+ビルギット・ニルソンの名演・名唱を愛聴しているから、ついつい要求が高くなってしまうこともありますね。
 しかしあらためてこのストーリーには違和感を覚えます。愛の媚薬を飲む前から二人が互いに魅かれあっていたのはほぼ間違いありません。(イゾルデは仇であるトリスタンの大怪我を治療しました) だったら人間関係のしがらみや義理や面子などきれいさっぱり捨てて駆け落ちしてしまえばよかったのに。多くの悲劇を招くためにわざと意に反した行動をとったような印象さえ受けます。これに関しては、プログラムにあった演出家ハリー・クプファーのコメントが大変参考になりました。
 問題なのは彼ら(トリスタンとイゾルデ)がそうした社会的規範に反発する姿勢を一度として見せないことなのです。それどころか、彼らは社会の硬直した規範を受け入れ、自分を犠牲にしてしまう。

 (トリスタンの死)は許されぬ愛を交わした二人に下された天罰ではありません。自分の中の真実を押し殺し、現実との対決の中に解決を見出すことをはなから諦め、それゆえ死ぬことすらできなかった二人の招いた結果なのです。

 特定の社会的条件、たとえば慣習であったり、ドグマであったり、いつわりであったり、そういった条件に服する限り、道ならぬ愛は成就しないということ、そして、今となってはもはや何もかも手遅れだということ、その途方もなく深い悲しみを、イゾルデは最後の輝きの中で死へと導かれながら歌うのです。
 うーん、なるほど。そういう解釈もできるのか。三幕を通して舞台装置として使われた巨大な像(片方の翼が折れ顔を伏せてうずくまる天使? イカロス?)には演出家によるそういうメタファーがあったのですね。自ら翼を折り、現実から真実へと飛び立つことを放棄した二人… さまざまな解釈を許容する懐の深さが、優れた古典であることの証左でしょう。

 なお第一幕のクライマックス、愛の媚薬を飲んだ二人の見事な二重唱がホールに愛の嵐を満たして幕、至福の余韻に浸って私に山ノ神がぼそっと言った言葉は忘れられません。「トリスタン… でぶ」 それを言っちゃあおしまいだよ。

 追記。この公演はキャノンが特別協賛しており、プログラムに御手洗冨士夫キャノン会長・経団連会長のお言葉が載っておりました。これが傑作なので紹介します。あっご飯を食べている方、噴出さないようにご注意ください。お湯を沸かそうとしている方は臍の上に薬缶を置いてください。
 キャノンでは、世界の繁栄と人類の幸福の実現を目指し、企業理念として「共生」を掲げ、その理念のもと、グローバルな視点から国際社会の発展、環境保全、青少年の育成、社会福祉、芸術やスポーツなどの多様な分野における社会貢献・文化支援活動をグループ一丸となって推進しております。
 この方には廉恥心とか羞恥心とか人間性とかはないのでしょうか。労働者使い捨て政策の主導者にして、偽装請負で問題となったキャノンの会長。そうした違法行為をしながらも、政府の経済財政諮問会議において請負制度の緩和を求める没義道な御仁でもあります。青少年の希望や未来よりも、企業の近視眼的な利益を優先する御手洗氏。それと人類の幸福・共生・青少年の育成・社会福祉とどういう関係があるのでしょうか。できるものなら1800字以上2000字以内(句読点は1字とする)で説明してほしいですね。瞋恚の炎がめらめらと燃えてきます。おまけにこのプログラムは3000円!

 追記その二。今年、新宿で行われた「自由と生存のメーデー」では、「御手洗はキャノンの工場で働け!」という叫びがあがったそうです。異議なあし。(「プレカリアート」 雨宮処凛 洋泉社新書y)
by sabasaba13 | 2007-10-18 06:08 | 音楽 | Comments(0)
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