「お節介なアメリカ」

 「お節介なアメリカ」(ノーム・チョムスキー ちくま新書676)読了。いつもながら、該博な知識を駆使して、世界の現状をできるだけ公正・客観的に理解しようとする強靭な意志には満腔の敬意を表します。本書は、ニューヨーク・タイムズ通信社から配信されたOp‐Ed記事(社説の対向ページ。通常、外部の執筆者による署名入りの評論などを掲載)の中で、2002から2007年までのものをまとめたものです。一編が数ページという短さゆえに、かえってその舌鋒の鋭さが際立ちます。論題は、いま喫緊に解決すべき問題である、アメリカ軍によるイラク侵略、パレスチナ問題、核拡散の問題、そしてイランとアメリカの関係が主となっています。こうした問題群を貫いているのが、アメリカ政府の政策ですね。これに関する氏の批判は的確にして容赦ありません。
 アメリカが「正当な標的」に求める必要条件。その一、無防備であること。その二、侵略するだけの価値があること。

 (アメリカの)政権首脳にとっては、最も重要な目的はテロと戦うことではなく、世界の主要なエネルギー資源地の中心にある従属国に米軍基地を建設し、これにより競争国より優位に立つことであった。ズビグニュー・ブレジンスキーはこう書いている。「アメリカが中東地域の安全を保障する役割」(平たくいえば、同地域の軍事支配)を果たすことで、「ヨーロッパ経済、アジア経済を動かすための、間接的ながら、政治的に重要な影響力が得られる。両者とも中東地域から輸入されるエネルギーに依存しているからだ」

 トーマス・カロサーズ(カーネギー国際平和基金の「民主主義と法治主義に関するプログラム」所長)曰く「アメリカが民主主義を促進するのは、民主主義がアメリカの安全保障上、経済上の利益とうまく合致しそうな場合である。民主主義がそうした別次元の重要な利益と合致しない場合は、アメリカは民主主義を軽視し、あるいは無視さえする」

 2002年9月発表の国家安全保障戦略は、アメリカに、自らが「先制戦争」と呼ぶ行動を起こす権利を与えるものだ。実際のところ、それは「先制」戦争ではなく、国連憲章への直接的な違背である「予防」戦争を意味している。すなわち、この権利は、侵略行為を行う権利のことなのである。
 侵略行為の概念は、米国最高裁判事のロバート・ジャクソンによって十分明確に定義されていた。ジャクソンは、ニュルンベルグ裁判で、アメリカ代表の検事を務めた人物である。その概念は権威ある国連総会のある決議であらためて述べられていた。ジャクソンは、裁判所にこう提言した-「侵略者」とは、「宣戦布告の有無を問わず、武力によって他国の領土を侵略」するなどの行為を最初に行った国家のことである。
 明らかに、この概念には、イラク侵攻があてはまる。
 そしてアメリカ政府が次のターゲットとして狙っているイランについては…
 エネルギー資源が豊富な中東諸国のなかで、米国の基本的な要求を呑んでいないのは、イランとシリアの二国だけである。したがって、米国政府にとって両国はともに敵であり、とくにイランのほうは、はるかに手ごわい相手だ。

 米国政府からすれば、イラン政府の主な罪は、アメリカへの反抗であり、それは、1979年のシャー(国王)追放と、米国大使館人質事件までさかのぼる。それ以前に、アメリカがイランで果たしてきた恐ろしい役割は、歴史から抹消されている。イランの反抗への仕返しとして、米国政府は、サダム・フセインのイラン攻撃・侵略にあたって、すばやくその支援に回った。その結果として、何十万人というイラン人が死に、国土は瓦礫の山と化した。その後に続いたのが殺人的な経済制裁である。そしていま、ブッシュ政権下では、イランの外交努力を拒絶し、直接攻撃も辞さないという威嚇の強化が優先されている。

 イギリスの優秀な軍事史家コレリ・バーネット曰く「イランへの攻撃は、事実上、第三次世界大戦の幕開けとなるだろう」

 アメリカのイラク侵略は、事実上、イランに核抑止力を開発せよと迫ることになってしまった。イスラエルの軍事史専門家マーティン・ヴァン・クレヴェルドは、アメリカのイラク侵略後に、「核兵器を開発しようと努力していなかったのだとすれば、イランはむしろ正気ではないということになる」と書いている。この侵略がはっきりと伝えたのは、敵が無防備である限り、アメリカは意のままに攻撃を行うというメッセージだった。現在イランは、アフガニスタン、イラク、トルコ、そしてペルシャ湾岸に配備された米軍に包囲されている。そしてすぐ近くでは、核武装した国々(パキスタン、そして何といってもアメリカの支援のおかげで中東の大国になっているイスラエル)がにらみをきかせている。
 パレスチナ問題については…
 「パレスチナ人の自決権を尊重し、名誉ある解決策を与えること。それこそがテロ問題の解決法だ。沼地がなくなれば蚊はいなくなるのだ」 (イスラエル軍事諜報局前局長イェホシャファト・ハルカビ)
 そしてチョムスキー氏がいま、最も憂慮しているのが核拡散の問題と、核兵器の使用の危険性だと思います。
 われわれがキューバ危機を乗り切ることができた事実は奇跡であった。…ロシア潜水艦士官ワシーリー・アルキポフは、ロシアの潜水艦がケネディの「臨検ライン」付近でアメリカの駆逐艦から攻撃されていたとき、核弾頭を搭載した魚雷を発射せよとの命令を受けたが、それを退けたのだ。

 カーター元大統領曰く「(アメリカこそが)こうしたNPT(核拡散防止条約)弱体化の主要因になっている。自分たちが、世界をイラク、リビア、イラン、北朝鮮における核拡散の脅威から守っているのだと主張しているにもかかわらず、その指導者層は、現行の条約に定められた制約を無視してきたばかりか、(対弾道ミサイル、地中を貫通する「バンカーバスター」、そしておそらく新型「小型」爆弾などを含む)新型兵器を実験・開発する計画を推し進めている。また、過去の誓約をも放棄し、いまや核兵器を先制使用すると表明して非核保有国に対し威嚇を行う始末だ。

 マクナマラ(ケネディ政権国防長官)は、「アメリカの現行の核兵器政策」を、 「不道徳、違法、かつ軍事的に無意味であり、さらに、恐ろしく危険である」と見ている。なぜなら、その政策は「他国、自国のどちらにも、許容できないほどのリスク」(「偶発的な、あるいは不慮の核ミサイル発射」の「恐ろしく高い」危険性と、テロリストによる核攻撃の危険性の両方)をもたらすからである。そして彼は、「10年以内にアメリカ関連施設が核攻撃を受ける確率は50パーセント以上ある」という、(クリントン政権で国防大臣を務めた)ウィリアム・ペリーの見解を支持している。

 インドを核取引に関する世界的規制から除外したアメリカの勝手な動きは、「前例のないもの」であり、もし原子力供給国グループのメンバーである「潜在的に核で儲けている主な国々」-安全保障理事会の常任理事国五カ国-がアメリカのやり方にならって「核拡散より利益を優先」すれば、核不拡散体制は、またさらに大打撃を受けることになるだろう。
 いま、地球をもっとも脅かしているのはこの核兵器の問題でしょう。アメリカの意図的な政策により、核兵器が身近な武器に変貌しつつあることが、そして近い将来に実際に使用されかねないということが憂慮されます。アメリカ政府にとって、核兵器が世界に蔓延するのは実は好ましい状況なのかもしれません。どこかの国あるいはテロリストが核兵器を使ってくれれば、核兵器を使用した唯一の国という汚名を返上でき、対抗措置として気軽に使用できるようになり、関連する大企業が莫大な利益を得られる… イラクや北朝鮮を核兵器開発に追い込んでいるアメリカ政府の真の意図はこのへんにあるような気がします。
 というわけで、アメリカの利益のためならば侵略攻撃をしてもかまわないという政策が、世界を不安定・恐怖・不信・戦争の淵へとひきずりこんでいます。これをきちんと把握しないと、世界の現状は理解できないし、未来への展望も見えてこないのではないのでしょうか。こうした背景をしっかりと報道せず、あたかも地震や津波のような自然現象として、各地域の紛争やテロを散発的に報道する日本のメディアには呆れるとともに憤りを感じます。ま、それに何の疑問も持たない国民にも大きな責任があるのですけれどね。
 しかし絶望は愚か者の結論、こうした状況を打破するための動きがあることについても、氏は述べられています。
 イラク人が、伝統的な「憲法上の虚構」を受け入れることを断固として拒否しているため、米国政府は、少しずつ譲歩せざるをえなくなってきている。それには「第二の超大国(セカンド・スーパーパワー)の支援もあずかっている。「第二の超大国」とは『ニューヨーク・タイムズ』のパトリック・タイラーが2003年2月中旬に起こった大規模な抗議デモ後の世界を指して評した用語である。このような反戦市民運動が、戦争の正式な開戦前に起こったのは、史上初のことであった。こうした動きが意味をもたないはずはない。

 (2006年12月に開かれた南米首脳会談で採択された)コチャバンバ宣言では、12カ国の大統領や外交官が、ヨーロッパ連合(EU)と同じような大陸共同体を、南アメリカでもつくる構想を検討していくことに合意した。
 ヨーロッパ人による征服以来500年が経ったいま、このコチャバンバ宣言は、南アメリカで起こっている最近の地域統合の動きが、新たな段階に入ったことを意味する。ベネズエラからアルゼンチンにいたるまでをひとつの亜大陸とするこの構想は、どのようにして帝国とテロがのこしてきた遺産と決別し、新たな未来を創造していけるかを示すひとつの実例を世界に見せることになるのではないか。
 アメリカは、二つの主要な方法、つまり暴力と経済的締めつけによって、長い間この地域を支配してきた。かなり大まかにいって、国際情勢には、マフィアの世界とかなり似たところがある。ゴッドファーザーは、気に食わないことをされたら、たとえ小さな商店主が相手でも容赦はしない-ラテンアメリカ人たちにとって、こんなことは嫌というほどわかっている。
 これまでのラテンアメリカ独立の試みは、地域全体としての協力体制がなかったという事情もあって、つぶされてしまった。(アメリカにとっての)脅威が複数あっても、そこに相互協力がなければ、ひとつずつ撃退されるのだ。
 アメリカにとって、真の敵は、常に独立を求めるナショナリズムであった。
 第二の超大国とも言うべき平和を求める世界の世論の沸騰、そしてアメリカ政府の暴走を食い止め地域の平和と安定を実現しようとする南米諸国の動きですね。後者については、ベネズエラ大統領ウゴ・チャベス、チリ大統領ミシェル・バチェレ、ボリビア大統領エヴォ・モラレス、エクアドル大統領ラファエル・コレア、ブラジル大統領ルーラ・ダ・シルバを中心とした中道左派政権の誕生とその反グローバリズム政策については多少の関心をもっていましたが、ここまで事態が進んでいることは本書で知りました。こうした動きに、日本政府、そしてわれわれがどうコミットしていくのか、あるいはしていかないのか、今こそ真剣に考えるべき時宜だと思います。
 そして日本がおかれている状況にも刮目すべきでしょう。
 ロンドン同時爆破事件の直後に、イギリス随一の国際問題研究所チャタム・ハウスは、ある研究報告を公開した。そこで出されている自明な-しかし同国政府は激しい態度で否定している-結論はこうである。「イギリスはとくに危険にさらされている。それは、アメリカに最も近い同盟国であり、(タリバン政権の転覆を目的とした)アフガニスタンでの、そしてイラクでの軍事作戦で、軍隊を展開しており、そして、アメリカの政策というバイクの(運転席のすぐ後ろに座っている)同乗者だからである。
 これは他人事ではありません。米軍に対する給油補給問題が喧しく報道されていますが、その油を使って、米軍がアフガニスタン(イラク侵略でも使用されている可能性が高そうですが)で何をしているのか、きちんと見極めないといけませんね。アメリカの政策というバイクの同乗者である以上、最強のテロ国家を支援しているわけですから、日本は事実上のテロ支援国家です。その危険性についての真摯にして冷徹な報道をするよう、心の底からメディアに望みます。

 世界の今について、そして未来について考えるための好個の一冊、お薦めです。それにつけても、なぜ破滅の淵に立つような禍々しい事態に、われわれ人類はなぜ陥ってしまったのか。いろいろな理由は考えられるでしょうが、その根本のところでは不可解さが残ります。「アフガニスタンの風」(ドリス・レッシング 晶文社)にこういう一文がありました。
 自分たちにとって害だと、おそらく取り返しがつかないことになると、誰もが知っているのに、なぜ止めようとしないのだろう。いったいわたしたちはどうなってしまったのだろう。
 本当に、私たちはどうなってしまったのでしょう。カート・ヴォネガットが言っていたように、われらが地球の免疫システムが人類を排除しようとしているのかもしれません。自己防衛のために…
by sabasaba13 | 2007-11-20 06:12 | | Comments(2)
Commented by みつひろ at 2007-11-20 11:11 x
こんにちは。
今日の文章は長くて気合が入ってますね。
図書館でこの本借りてみます。

 「自分たちにとって害だと、おそらく取り返しがつかないことになると、誰もが知っているのに、なぜ止めようとしないのだろう。いったいわたしたちはどうなってしまったのだろう。」

ほんとにそうですよ。NHKスペシャルの番組を観たときには無人兵器(ヘリも車も戦闘機も数年以内に実戦配備されるようで)もサイボーグ技術(ねずみの脳に電子機器を直結してラジコンみたいに操作できるんですからね。今は猿まで操作できるのではないでしょうか)もとんでもないことになっていましたよ。トンボサイズの偵察機もありましたね。

おぉ・・・なんてテリブルな現実・・・。社会的なイメージにしろ、人間のイメージにしろ、世界のイメージにしろ、今まで漠然と踏まえていた前提が急に崩れていくのは、とってもヘビーです。とほほ。

”仲間をつくって他者と交流し、土地に足をつけて未来を考える”
という言葉を拳拳服膺していきたいです。

お邪魔しました。



Commented by sabasaba13 at 2007-11-20 21:56
 こんばんは。長い引用ばかりで読みづらかったかと思います。ご海容ください。いずれ劣らぬ重要な内容ですので、時間を忘れてキーボードを叩いてしまいました。少しでも多くの人の目にとまれば幸甚です。

 テリブルな現実…まったくもって同感です。ただ、テリブルな現実を経験せずに自由と経済的繁栄を享受できたのは、第二次大戦後のわずかな一時期(1950~1980年ぐらいかな)の、いわゆる先進国で暮らしていた人たちだけでないのでしょうか。いつの時代も、ほとんどの地域で、あまりにも沢山の人々が苦しんできた/いるのではないかと思います。

 しかしこうした恐怖と欠乏を回避し公正な分配を実現する術を、われわれ人類は手にしているのではないかと考えます。少し前までは想像だにできなかったであろう、奴隷制の廃止や普通選挙権の確立も実現できたのですから。(再版奴隷制とも言うべき労働者酷使の現状は無視できませんが) 短期的には悲観論者、長期的には楽観論者でありたいと思います。
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