「裁判員制度の正体」

 「裁判員制度の正体」(西野喜一 講談社現代新書1903)読了。誰も求めたわけでもなく望んだわけでもない裁判員制度が実施されようとしています。こりゃそろそろ本気でその内実を知っておくべきだなと思っていた矢先に、本書に出会いました。この制度が決定するまでの過程、その仕組みと内容、そして様々な問題点を、私のような素人にも分かりやすく述べられています。ほとんどすべての人に関わってくる制度なので、より多くの方に読んでほしいですね。
 一読、背筋を冷汗が走りました。十分な時間をとって中身を吟味せず見切り発車の形で施行を焦っているため、あまりにも問題が多すぎます。まず国民の過重な負担。もし裁判員として指名されたら、われわれは休暇をとって参加しなければならないのですが、その間に蒙ったさまざまな不利益についての補償は何もありません。(幾許かの日当・旅費は出ますが) 例えば業務をほったらかした結果、左遷・馘首の憂き目に会った会社員に対しては、「それは法律違反だから、裁判に訴えればいいじゃん」ということです。これは苦役ですね。その背後には、国家が強制する苦役には文句を言わず耐え忍べという発想が垣間見えてきます。
 さすがに表立って「耐え忍べ」とは言えないので、負担はそれほど重くないというイメージ作りに法務官僚は奔走しているようです。いかにも軽いイメージの上戸彩氏をCMに登場させて、懸命に負担の軽さをアピールしていますよね。しかし裁判を短期間で簡単に終わらせようとすれば、当然手抜き審理が横行します。またそうした手抜きを許容するためのシステムづくりも行われています。(例えば部分判決制度) 真相追及が図られず、冤罪がみちあふれる事態が現出しそうです。
 それにしても政治家・官僚がこうしたシステムを打ち出した、本当の意図は何なのでしょう。これは推測ですが、凶悪な刑事裁判において死刑判決を数多く出させことが狙いなのではないでしょうか。死刑制度の維持拡大、そして国民の目を小悪・中悪に向けさせ、その犯人を死刑にすることによってストレス解消・ガス抜きをさせる。巨悪に対しては批判の眼がいかないように… 最近過熱している、賞味期限切れを隠蔽した企業に対する容赦ないメディアの糾弾は、これを裏付けているのではないかな。
 そして著者は、この制度を即時中止し、現行の裁判制度を信頼して維持すべきだと述べられています。前者には異存はありませんが、後者には異議あり。それはあまりにも楽天的すぎますね。官僚・政治家・大企業など支配者集団の意向に沿った判決の多さや、起訴=有罪という裁判所の職務を放棄したかの如き現実(有罪率99.9%!)を鑑みると、とても信頼できる代物ではありません。こうした点に言及がなかったのが残念でした。なおこの問題に関しては、以前に掲載した「愉快な裁判官」(寺西和史 河出書房新社)をご覧ください。
 そしていかにしてこのいかがわしい裁判員から逃れるかについてのノウハウが最後にまとめられていますが、これは大変参考になりました。断言しますが、施行が近づくにつれ、裁判員逃れのためのマニュアル本が多数出版されると思います。「裁判員免役心得」とかね、そう、まるで1872(明治5)年の徴兵告諭の時のように。著者が喝破されているように、これは徴兵制の地ならしなのかもしれません。

 追記。先日、「戦後日本は戦争をしてきた」(姜尚中・小森陽一 角川oneテーマ21)を読んでいたところ、韓国では、裁判の判決や裁判官の履歴・過去の判決文までオンラインで見られるそうです。いかがわしい裁判員制度を遮二無二ごり押しするよりも、積極的な情報公開のほうが最重要にして喫緊の課題でしょ、裁判所のみなさん。
by sabasaba13 | 2007-11-28 06:08 | | Comments(0)
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