「反骨 金子光晴エッセイ・コレクション」

 「反骨 金子光晴エッセイ・コレクション」(ちくま文庫)読了。「流浪 金子光晴エッセイ・コレクション」(大庭萱朗編 ちくま文庫)を読んだ後、ぼーっとしていたら続編が出ていたのですね。いかんいかん。さっそく拝読いたしました。どうすれば氏のような強靭な精神と知性をもつことができるのか、たぶん私にとって一生の問題だと思います。そうした息吹をより直截に感じられるエッセイの数々、たいへん魅力と含蓄に富んでいます。「社会/個人」「男/女」「青年/老年」の三編構成ですが、いくつか引用します。
 むかしから僕には、親友というのがいなかった。ほんとうのことは誰一人相談するあいてがいないので、なんでも自分で判断してかってにやる癖がついてしまった。だから、友人がいないで淋しいなどと感じたことはない。裏切られたところで、苦にもならない。心のなかで親疎はないので、気に入らないことをされても、特に怒るということはない。衆の力をかりて、のしかかってくる奴だけはやりきれない。どんなにそれが正義でも腹が立つ。個人に腹が立つというよりも集団の力のうしろであぐらをかいている個人の状態に嘔吐を感じる。戦争の時の日本人は、そのいちばんいやな面をむき出しにしていた。そういう奴こそ敵という感じがした。

 …ばらばらになってゆく個人個人は、そのよそよそしさに耐えられなくなるだろう。そして、彼らは、何か信仰するもの、命令するものをさがすことによって、その孤立の苦しみから逃避しようとする。
 世界的なこの傾向は、やがて、若くしてゆきくれた、日本の十代、二十代をとらえるだろう。そのとき、戦争の苦しみも、戦後の悩みも知らない、また、一度も絶望した覚えのない彼らが、この狭い日本で、はたして何を見つけだすだろうか。それが、明治や、大正や、戦前の日本人が選んだものと、同じ血の誘引ではないと、だれが断定できよう。

 日本人の美点は、絶望しないところにあると思われてきた。だが、僕は、むしろ絶望してほしいのだ。…開国日本を、いまだに高価に買いすぎたり、民主主義で、箪笥にものをかたづけるように手ぎわよく問題がかたづき、未来に支障がないというような妄想にとりつかれてほしくないのだ。しいて言えば、今日の日本の繁栄などに、眼をくらまされてほしくないのだ。
 そしてできるならいちばん身近い日本人を知り、探索し、過去や現在の絶望の所在をえぐり出し、その根を育て、未来についての甘い夢を引きちぎって、すこしでも無意味な犠牲を出さないようにしてほしいものだ。
 絶望の姿だけが、その人の本格的な正しい姿勢なのだ。それほど、現代人のすべての構造は破滅的なのだ。
 日本人の誇りなど、たいしたことではない。フランス人の誇りだって、中国人の誇りだって、そのとおりで、世界の国が、そんな誇りをめちゃくちゃにされたときでなければ、人間は平和を真剣に考えないのではないか。人間が国をしょってあがいているあいだ、平和などくるはずもなく、口先とはうらはらで、人間は、平和に耐えきれない動物なのではないか、とさえおもわれてくる。

 一つの国の暴力に対抗し、それより強力な暴力を備えることで、からくも一日一日の平安をかせぐべく、バランスをとるというやりかたは、どんなサーカスの空中曲芸よりも危険なものだ。そんなとき、正義だとか、自由のため、平和のためなどというあやしげな文句は、火の手に風を送るようなものだ。人間は、良識をもっているから、威嚇の限度を越えて、じぶんのからだに油をかけてマッチをするような、おろかな真似はしない、と多寡をくくっている人が多い。それならば、結構、というほかはない。人間は、常にそんなに冷静なものだろうか。例え、水のようにしずかであっても、またしずかであればあるほど、この先人類が何万年生きてゆくことの目標を失い、滅亡にしか価値のないことをそろそろ気付きはじめているのではないか、それとも単に錯乱しているのか、存続への断念に情熱をもつにいたったのではないか、と、いろいろろくでもないようなことを考えざるをえないようなうごきかたに、故意に片より出しているような現象に、あちこちでふれ、不安と失意が、会う人の表情の奥からのぞくのをみるようになった。
 最後の一文は『「八月六日」にあたって思うこと』の一部で、1965年8月9日に「週刊読書人」に掲載されたものです。氏の“絶望”の深さは、40年を経ても私の臓腑と脳漿に食い込んできます。権力・財力を持つ者には良識なぞない、ときちんと絶望すること。もう体に油をかけ、そしてマッチを箱から取り出すところまで、人類は来てしまいました。衆の力を頼らず、自分の頭で考え自分の足で歩く。未来についての甘い夢を見ない。無意味な犠牲を出さない。過去と現在についてとことん絶望する。孤立から逃げない。そして国を背負わない。金子光晴の強靭な精神と知性に学ぶのは、今を措いて他にはないでしょう。
by sabasaba13 | 2007-11-30 06:07 | | Comments(0)
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