蔵出しシリーズ、今なにかと話題になっている、軍需産業を潤しキックバックをもらうために血税を湯水のように蕩尽し続けている利権の巣窟・防衛庁(現防衛省)編です。極東国際軍事裁判(東京裁判)の舞台となった市ヶ谷の旧士官学校大講堂が移築・復元され、見学できるという噂をきいて、四年前に行ってまいりました。予約が必要なので(03-3268-3111)三日前に電話を防衛庁に入れ、姓名・住所・電話番号・職業を伝えると、いきなり「貴様はいかがわしいブログで反政府的な言辞を弄している非国民だな! 大阪湾の水は冷たいでえ」と恫喝されるかと思いきや、綾小路さん(仮名、以下同)という女性の方が「お待ちしています」と言いながら優しく微笑んでくれました(たぶん)。ああよかった。
当日身分証明が必要だと言うので、パスポートを持参しながら、ああこれで私は防衛庁のブラックリストに入れられてしもうたと気が滅入りながらも、9:40に市ヶ谷の防衛庁正門に到着。集合場所に行くと、ぬぅうわんと、あの綾小路さんが「お待ちしておりました」とにこやかに出迎えてくれました。(実話) しかも美人!(実話) その上携帯電話の番号まで教えてくれました。(嘘) ま、それはともかく立入証を首からぶらさげさせられたわれわれ十数人の見学者は、前後を綾小路さんと武者小路さん(仮名、以下同)という二人の美女にはさまれ、もう一人陰険そうな男性職員も付き添い、厳重な警戒態勢のもと見学に出発したのでした。
ツァーが終わったら綾小路さんに「お嬢さん、そこの喫茶店で日本の防衛について語りませんか」なんて言えればなあ、と夢想していたところ、彼女と男性職員の会話がもれ聞こえてきました。嗚呼、彼女は人妻で、GW中に旦那さんが東京ドームの巨人―広島戦に出入りの業者に接待され、その日は広島の友人が彼女のもとを訪れることが判明。というわけで野望は瓦解しました。(今にして思えば山田洋行の接待?) 気を取り直して、解説します。ここ市ヶ谷台は二十三区内で二番目に標高が高い地点で(ちなみに一番はどこでしょう?)、おまけに良質の水も沸くので江戸時代から軍事的な要衝だったそうです。伊達政宗がこの地を拝領することを望んだが、幕府は許さず、御三家の尾張家の上屋敷となりました。そういえば長谷川辰之助(二葉亭四迷)もここで生まれたんですね。明治になると新政府が取り上げて、兵学寮をおき、その後陸軍士官学校が置かれ、1941年には大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が置かれました。敗戦後、占領軍に接収され、(ウムムム、「終戦後、進駐軍に接収され」というと確かにマイルドになりますね)、東京裁判の法廷として利用されました。その建物が取り壊された時に、ファサードと大講堂を移築して記念館として公開しているわけです。