庁内は躑躅が満開。目で楽しみながら数分歩くと、おおっ、忘れもしない1970年11月25日、三島由紀夫が自衛隊員に決起を訴えたあのバルコニーが…
講堂内に入ると、東京裁判当時の雰囲気(写真・フィルムでしか知りませんが)が残されていました。自衛隊の宣伝ビデオを見せられた後、武者小路さんの案内で構内を見学。左下の写真で言うと、正面が士官学校の卒業式に出席した天皇が座る「玉座」です。東京裁判では、ここには記者席が置かれました。その左側が裁判官席、右側が被告席です。対面の二階には傍聴人席が設けられました。感無量ですね、今歴史の現場に立っているんだ。しばし呆然とし、バシャバシャ写真をとりまくり、ふと気づくと入口中央のガラスケースに鎮座しているのは「パル判決書」! 彼は11人の裁判官の一人で、この裁判は不公正な復讐であり、日本の無罪をただ一人主張したインドの裁判官です。東京裁判についての小生のコメントは控えますが、防衛庁の姿勢はよくわかりました。でもこの裁判のおかげで昭和天皇の戦争責任は免責されたということはつけくわえておきます。
二階にのぼると旧陸軍大臣室で、三島由紀夫がたてこもり自刃した部屋です。眼前の窓を開ければ、すぐバルコニーに出られます。そしてドアには、彼が愛刀「関の孫六」で傷つけた跡が三箇所。そう、武者小路さんが指差しているところです。日本三大刀傷にしておきましょう。(あとは伏見の寺田屋と大坂の適塾)
そして次の目的地、厚生棟まで歩いて数分。その間、高台に林立するビル群の間をぬうように移動しながら、つくづく痛感したのは、「ここの人たちや組織や施設は、ただ税金と予算を湯水のように消費・蕩尽するために存在している」ということ。いや直感と予感と悪寒なんですけどね。でもそうとでも考えないと、クラスター爆弾を1,500発も所有していることが理解できない。
本日の三枚です。