防衛庁編(5):四ツ谷近辺(03.4)

 山手線のガードをくぐって常円寺。建築家の辰野金吾と息子でフランス文学者の辰野隆の墓があるはずなんですが、見つからず。かわりに便々館湖鯉鮒の狂歌碑をゲットしました。「三度たく米さへこはしやはらかし おもふままにはならぬ世の中」 なるほどなるほど。ちなみに揮毫は大田南畝です。
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 踵を返して東方へ。野口英世記念館の近くに、斉藤茂吉の終焉の地である「斎藤神経科」があるはずなんですが、発見できず。残念。ふう月堂で珈琲とサンドウィッチを食して一休み。次は田宮神社と陽運寺。どういうわけか両方とも「お岩稲荷」なんですね、これが。まずは田宮神社へ。
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 そして陽運寺ではこんな絵馬をゲット。「一日も早く○○○との縁が切れますように」 お岩稲荷に願掛けするってことは、こりゃそうとうの悪縁なんだなあ。誰か知人の名前でもあるかなと野次馬根性丸出しで数枚めくったところで、「もしや俺の名前が…」とはたと気づき中断。いや、別に心当たりや疚しいところはまったくないんですが。(・_・;)(;・_・) オロオロオロオロオロオロ
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 このあたりはアップダウンのはげしいところで、長い坂道をくだると愛染院にいたります。塙保己一の墓所です。江戸後期の国学者。武蔵の農民の子で、7歳で失明。江戸で賀茂真淵らに学び、抜群の記憶力で和漢の学に通じました。国書編纂に志し、1793年に幕府に和学講談所の設立を許され、「群書類従」530巻ほか膨大な編纂事業を継続しました。私が尊敬する人物です。盲目の農民の子が、これだけの偉業をなしとげたこともすごいと思いますが、それを可能にした江戸期の文化的な土壌の豊穣さにも注目したいですね。
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 この後四ツ谷方面に歩き、二葉亭四迷が一年間住んでいた旧居跡を訪れて合掌。本日のお散歩は終わりです。
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 というわけで、防衛庁見物ツァーはお勧めですね。綾小路さん・武者小路さんに会えるし、一見の価値ありです。各官庁でもこうしたツァーを組んでほしいな。「旧大蔵省御用達ノーパンしゃぶしゃぶ店めぐり」とか。(今は昔となってしまいましたが、連中の愚行を忘れぬためまじに史跡として認定してほしいものです)
by sabasaba13 | 2007-12-24 20:23 | 東京 | Comments(0)
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