フィラデルフィア美術館展

 先日、上野公園にある都美術館で「フィラデルフィア美術館展」を見てきました。時は12月中旬、いくら遅れたとはいえ、さすがに紅葉も色あせ、落葉している木々が目につきます。平日の午前中でしたのでそれほどの混雑ではなく、思う存分名画を楽しむことができました。
 フィラデルフィア美術館の歴史は、1876年に独立100周年を記念して開催されたアメリカ初となる万国博覧会から始まります。アメリカが未曾有の繁栄を享受した時代、近現代美術の収集に情熱を注いだ多くの個人コレクターの寄贈によって、約25万点の所蔵品を誇るアメリカ屈指の美術館へと成長しました。特にヨーロッパ、アメリカの近現代美術は、質量ともに充実したコレクションとして人口に膾炙されております。今回の展覧会は、47作家の77作品を展示し、19世紀後半から20世紀の西洋美術史の流れを辿るというもの。
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 うーん、まるで極上だけれども個性のない美術史の教科書を見ているようです。この時期の潮流を代表する、いわゆる高名な画家の作品はかなり網羅されているのではないのでしょうか。一貫したテーマもなく、「これでもかこれでもかこれでもか」と名画が並べられていました。ま、これはこれで凄いのですけれどね。よってあまり考えずに、「これ好き、これ嫌い、これどうでもいい、これ好き、これも好き…」と、ヒヨコの雌雄を鑑定するように、己の貧弱な審美眼のみを頼りにしながら順番に眺めていきました。しばらく立ち止まってしげしげと見入った作品も多々あります。クールベの透徹したリアリズムには恐れ入りますね。絵の具を盛り上げるように厚塗りしたモネの絵「睡蓮、日本の橋」は珍しいですね。視力が衰えた晩年の作品ですが、これまで執拗に追いかけてきた自然光を拒否して、己の内面を叩きつけたような凄みです。セザンヌの「カルチエ・フール、オーヴェル=シュル=オワーズ」(ゴッホ終焉の地)は、じっと見ていると、何が描いてあるのかがどうでもよくなり、全ての意味がゆるゆると溶解し、フォルムと色が美を奏ではじめる作品です。この前でしばらく意識が吹き飛ばされてしまいました。クレー作「魚の魔術」の前でもしばしうっとり。リズミカルな線と色が画面の中で輪舞を踊っているようです。果てしなく黒に近い青と、果てしなく青に近い黒が交じり合いながら画面を埋め尽くす背景の地に吸い込まれそうな気分。そしてお目当てのジョージア・オキーフ作「ピンクの地の上の2本のカラ・リリー」。過日放映された「美の巨人たち」と「世界名画の旅」(朝日新聞社)で、多少の予備知識は仕込んできました。女性の社会的地位が低かった20世紀前半のアメリカで、高校の美術教師として勤めながら画家をめざし、写真家にしてモダン・アートの紹介に尽力したアルフレッド・スティーグリッツに見出されてデビュー、そして彼と結婚。ニューヨークでの暮らしの中でひたすら花を描き続けますが、それを性的なものと揶揄されて傷心の日々を送ります。スティーグリッツの死後は、ニューメキシコにひきこもり、砂漠で風化した動物の骨をモチーフとした幻想的な作品を描きます。それはさておき、画面をはみだして咲き誇る二輪の巨大な花。これを女性性器と歪曲した気持ちもわからないでもありませんが、それ以前に喩えようのない"美しさ"に圧倒されます。彼女は「私は、私が見つめたように、みんなに花を見てもらいたかったのだ」と言ったそうですが、納得。世界は、こんなに美しいものでみたされているんだ、そして私たちはそれに気づかないんだ。一枚の絵でそれを心底思い知っただけでも、この展覧かに来たかいがあったというものです。彼女の作品とは、これから長いつきあいになりそうです。アンドリュー・ワイエス作「競売」にも、微かな不安をもって心動かされました。横長の画布にうねる丘、遠景には家を取り囲む群衆。前景には二台のトラックとそれがつけた荒々しい轍、そして騒ぎに我関せずと佇む二人の男。いろいろなイメージやドラマがもくもくと沸いてきます。
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 昼食は、近くにある「韻松亭」で茶つぼ弁当をいただきました。ていねいに味付けされた滋味あふれる野菜を食しながら、ふと考え込んでしまいます。そういえば、私が見惚れていた絵の前はがらがらだった… 人の山で埋まっていたのは、ルノアールとポスターやちらしで流布されていた絵のところだったようです。せっかく(たぶん)身銭を切って展覧会に来て、「この絵はポスター/教科書に載っていた」「この絵には○○が描かれている」という確認作業をするだけではちょっと切ないな。そういえば橋本治氏が「ひらがな日本美術史3」の中で、こんなことを言っていましたっけ。
 金があろうとなかろうと、「自分はこれがほしいか?」というシミュレーションをして、いい加減なものに驚かされないだけの度胸を養うのも必要なのである。「審美眼」とはきっと、この度胸のことだ。
 年末ジャンボ宝くじが当たって一億円が手に入ったと仮定しましょう。さあ何に使おうか。貯金するのか、家を買うのか、それとも本展で展示されていた絵を買うのか。もし買えるとしたら、どの絵にいくら支払う度胸があるのか。「ピンクの地の上の2本のカラ・リリー」だったら800万円? 「魚の魔術」だったら500いや600万円? 「カルチエ・フール、オーヴェル=シュル=オワーズ」だったら… この本を読んでから、こうしたシミュレートをするのが癖になりましたが、こうすると結構本気で絵に向き合えます。単なる確認作業ではなくてね。
by sabasaba13 | 2007-12-25 06:09 | 美術 | Comments(0)
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