「イスラーム誤認」

 「イスラーム誤認 衝突から対話へ」(板垣雄三 岩波書店)読了。知の歓びを十二分に味あわせていただきました。著者の板垣氏に感謝します。本書の中で、自らの課題意識をもつこと、事物の背景を見きわめる洞察力と公正な観察眼を駆使すること、問題の立て方をつねに問い直すこと、そして自分の仕事を、エリートの仲間うち行為としてではなく、社会から委託されたものとして、自覚的に社会に向かって説明しようとすることが大事だと述べられていますが、それらが十全な形で結実したのが本書だと思います。
 板垣氏はイスラーム学の泰斗、その氏が9.11からアフガニスタン戦争、イラク戦争にいたるまでの状況を、イスラーム世界の動きやそれへのアメリカの対応を軸に読み解いたのが第一部「世界の大変動とイスラーム」、そして日本が今後どうイスラーム世界と向き合っていくかについて述べたのが第二部「日本とイスラーム」。該博な知識を駆使しながら、眼光紙背に徹す、先入観やプロパガンダに惑わされずに世界の今を考察し、それを社会に向かって説明していこうという姿勢には頭をたれましょう。例えば、昨今のアメリカ政府の政策については下記のように適確・簡潔にまとめられています。
 米国の新保守派と呼ばれる人々が推進しようとしている「帝国」構想、すなわち秩序の破壊=創造を目指す世界つくり替え計画、そして石油資源の支配への衝動、しかも再臨するキリストが統治する千年王国の出現まで全世界的混乱が永続することを予定するキリスト教原理主義の終末論的思想、これらが結び合い支えあって新しい十字軍を煽っている…
 そして問題の立てかたの問い直し。氏はいわゆる近代化は7世紀のイスラーム世界からはじまったという斬新な提言をされています。その内容は、二項対立的な対決主義をしりぞけ文化多様性を重視する、そして人間の都市化・商業化・政治化を促進しつつ、異質なものをつなぐネットワーキングと文明間対話を実現するというものです。ヨーロッパの近代は、このイスラームの近代への反応と受容、そして劣等感と敵視からはじまった… 以下、引用します。
 19世紀にヨーロッパのアジア進出を受けてはじめて、アジアの「近代化」が問題になるのではなく、私たちは10世紀あたりからしだいに顕著なものとなっていくアジアの自前の近代化に目を向けなければならないでしょう。ウェスタン・インパクトとは、そのようなアジアの「近代」を破壊し制圧するものだったのです。他方、ヨーロッパは地続きのイスラーム都市文明における近代性の圧倒的影響にいやおうなく直面した。だから、逆に強烈な抵抗も生まれた。そこから両面価値(アンビバレンス)とか矛盾した感情(コンプレックス)として説明できる「好きだから嫌い」「偉いと思うから馬鹿にする」「恐怖のために攻撃的になる」といった心の葛藤が、ヨーロッパ人の側に生じた。イスラームを敵視し、それに身構える心理は、ここから起こってきたのです。軍事的な産業資本主義はその現れの一つです。
 うーん、と唸ってしまいますね。落鱗の思いです。この壮大な学説の当否を云々する力はとても小生にはありませんが、少なくとも歴史を見る視界が何かの呪縛から解き放たれ、ぱーっと開けたような爽快な気持ちです。この視点は、頭と肝に銘じておきましょう、あーなんか無性に勉強がしたくなってきました。
 そして戦争・紛争・テロといった問題を抱え出口が見えない世界に関して、氏の提言が万鈞の重みをもって響きます。全世界の政治的指導者、特にテロ国家アメリカ合衆国と、テロ支援国家イギリス・日本の政治家の耳に届きますように。
 問題の「解」は、…はなはだ単純なものではないだろうか。侵入者が引き揚げることである。イラクでも、パレスチナでも、その他どこでも。あとは、人類の英知を信じて、ともに大地の上に生をうけた者同士が棲み分ける「場」の自然の成り行きに委ねればよい。
 この「解」をつかみ損なえば、人類の将来は「共倒れ」であり、「共滅」にいたる恐れがある。

by sabasaba13 | 2008-01-13 07:07 | | Comments(0)
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