先日、アラステア・フォザーギルとマーク・リンフィールド監督の「アース」を見てきました。動物が大好きな山ノ神推薦なので、てっきり「動物は可愛いよおおおお」という単純な映画なのかなと、あまり気乗りもせずに付き合ったのですが、さにあらず。最新の映像機器と技術を駆使して、美しい、というよりも荘厳な自然と、そこに生きる動物たちの姿を見事に活写した映画です。リンフィールド監督の「地球は特別な場所だ。この映画を観ながら、どれほど特別な場所なのかわかってもらえるだろう。我々が住んでいるのはこれほど特別な場所なのかということを」というメッセージにあるように、その地球(earth)を取り返しのつかない破滅の淵に追い込んでいる私たちへの警告でもあります。狂言回しを演じるのは、ホッキョクグマとアフリカゾウとザトウクジラの親子です。足場となる氷が減ってしまったため狩りが難しくなり、飢えながらアザラシを追い求めて彷徨うホッキョクグマの親子。群れからはぐれながらも、必至で水と食糧を求めて移動するアフリカゾウの親子。そしてオキアミを求めて熱帯から南極へと6000キロを旅するザトウクジラの親子、しかし海温の上昇がオキアミの減少をもたらしつつある。さらに、ホッキョクオオカミやチーターの狩りや、熱帯に住むゴクラクチョウたちの華麗なショー、世界一高低差のある滝・エンジェルフォール(ベネズエラ)の迫力ある映像、最先端のモーション・コントロール・カメラで撮影した桜の開花や紅葉の移ろいなど、見どころ満載です。私が一番胸を打たれたのは、アネハヅルの群れが暖かいインドで越冬するために、ヒマラヤ山脈を越えて飛んでいくシーン。恐るべき突風や乱気流に抗いながら、必死で態勢を立て直し山々を飛び越えていくその姿には目頭が熱くなりました。そしてジョージ・フェントンの曲と、それを奏でる重厚にして華麗なベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のサウンドが、より感銘を増してくれます。
フォザーギル監督はこう語っておられます。「もしこの映画を10年や20年先に撮ったとしたら、今回、大画面に映し出されたような驚くべき映像は撮れなかったかもしれない」 あらためて、今が地球とそこに暮らす生命を救えるか/救えないかの分水嶺なのだなと痛感します。太陽エネルギーと、水と、傾いた23.5度傾いた地軸がつくりだす四季の移ろい、そしてそれらを活用しそれらに適応しながら生命がつくりだした精緻なシステム。その一環に自らを組み込んできた人類が、産業革命以降、そこから離脱して破壊する側にまわってしまいました。それほど必要のないモノを大量につくって売り捌いて少しでも多くのマネーを得る。その結果としての二酸化炭素と有毒物質の大量排出が、温暖化や自然環境の破壊をまねている可能性はきわめて高いと思います。いいかげんに、こんな狂ったゲームをやめないと…
カート・ヴォネガットが言ってましたっけ。
最後の生き物が
われわれのせいで死ぬとき
地球がしゃべってくれたら
とても詩的(すてき)だと思う。
それもわきあがるような声で
できれば
グランドキャニオンの
大地から立ち上がるような声で
「お終いだ」
人間はここが好きではなかったのだ。
「あなたたちは、アースが好きかい? 嫌いかい? それともどうでもいいかい?」と問いかける良い映画ですね、お薦めです。
もう一つ印象に残ったのが、ライオンがアフリカゾウの群れを、ホッキョクグマがセイウチの群れを襲うシーンです。彼ら/彼女らは、円陣を組み、その中に子どもたちを匿って噛み付かれようと鋭い爪で攻撃されようと、それに耐えて必死に守ろうとします。群れをつくって助け合わないと、弱い動物は生き残れない、という地球からのメッセージですね。競争や疑心暗鬼によって"群れ"をずたずたに引き裂かれている私たち、今こそ銘肝すべきだと思います。そして子供たちを食い物にする企業の前に、あるいは行政が押しつける競争原理の前に、彼ら/彼女らを平然と投げ出す私たち。どうやら現代日本では、円陣を組んで子どもを守ろうとする本能が、どういうわけか雲散霧消してしまったようです。これはもしかしたら、われらの地球が人類を排除するために、免疫システムを稼動させつつあるような気もします。自己防衛のためには、これしかないのかもしれませんね。