肥前編(3):長崎(07.9)

 終点の蛍茶屋からさらに先に行くとお目当ての高部ダムがあるはずです。しかし高架道路が複雑にからみあい、見つけることができません。うろうろしたあげく、やっとトンネルの手前で発見しました。この間、ほとんどが坂道なので、電動自転車を借りられてほんとうに助かりました。
 ここでちょっとダムについてのお勉強。近代ダムには三つのタイプがあり、重力式ダム・アーチ式ダム・バットレス式ダム。重力式は土やコンクリートで堤防をつくり水をせきとめる、アーチ式はアーチの作用で水圧に対抗する、バットレス式は斜壁を背後から鉄筋コンクリート製の柱と梁で支えるというものです。この本河内高部ダムは、もっとも初期の重力式ダム。1885(明治18)年、長崎でコレラが猛威をふるい、これに対して長崎在住の外国人たちが上水道施設の建設を訴えます。これを日本人の手でつくろうと、長崎市・国は吉村長策(工部大学校助教授)に設計を依頼、彼は職をなげうって長崎にやってきます。そして外国の参考書をひもときながら独力で図面を書き上げたのが、この水道用重力式アーチダム・本河内高部ダムです。その完成度の高さにはお雇い外国人も驚愕したとか。いわば近代水道の記念碑的な作品ですね。そう、作品と呼びたくなるような、緑の芝生に覆われた柔和な表情のダムです。が、残念ながら立入禁止。金網越しに見ることしかできません。これはぜひ公開を望みます。なお吉村長策が設計した重力式コンクリートダム・布引五本松ダムが神戸にあるので、こちらもいつか見てみたいですね。現役で神戸の人たちに美味しく安全な水を提供し、しかも阪神淡路大地震でもほとんど損壊はなかったそうです。利権のためではなく、市民のためにという高い志をもってつくられ、しかも丈夫なダム、そんなダムだったら大歓迎なのですけれど。
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 さて駅に戻りましょう。途中に、原子爆弾投下後に救護所となった伊良林国民学校についての解説プレートを見かけました。現在では伊良林小学校となっており、二宮金次郎像も残されています。
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 しばらく走ると眼鏡橋。1634(寛永11)年に興福寺住職・黙子如定が架設した日本最古のアーチ型石橋です。風もないので、きれいな眼鏡の形を川面に映していました。その隣の袋橋のたもとには「上野彦馬生誕地」という記念碑があります。上野彦馬、下岡蓮杖とならぶ日本における写真術の開祖、広瀬淡窓に漢学を、ポンペに化学を、ロッシュに写真術を学び、1862(文久2)年に日本初のプロカメラマンとして長崎に撮影局を開きました。坂本龍馬の有名な写真は彼が撮影したものですね。
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 長崎駅で自転車を返却し、いよいよ軍艦島へと向かいましょう。駅前交番には「家出人相談所」という看板がかけられていました。このあたりでは、かなり多いのでしょうか。歩道橋には「人混みでの喫煙」禁止という表示があります。人様に迷惑をかけない限り喫煙を許容する、うん、これは真っ当な感覚だ。いいぞ、長崎市。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2008-02-24 06:48 | 九州 | Comments(3)
Commented by はじめまして at 2008-09-28 20:29 x
私の曽祖父、吉村長策について調べておりましたところ、長崎のダムを紹介されているこちらのブログに出会いました。
残念ながら私自身はまだこのダムを見ておりませんので是非一度見に行きたいと考えております。有難うございました。 吉村拝
Commented by sabasaba13 at 2008-09-29 21:51
 こんばんは。こうした邂逅があるとつくづくブログを綴っていてよかったなあと痛感します。吉村長策氏の業績については「近代化遺産を歩く」(増田彰久 中公新書1604)で知り、どうしても高部ダムをこの眼で見てみたいと長崎旅行に組み込んだ次第です。御子孫からのコメント、たいへん嬉しく思います。こちらこそ有難うございました。
Commented at 2009-03-31 15:57 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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