肥前編(19):川棚~日向の棚田(07.9)

 ここから車で十分ほど行ったところ、小串野駅のそばには「特攻殉国の碑」があります。碑文によると、戦時中に魚雷艇訓練所があった場所です。さらに震洋特別攻撃隊・伏竜特別攻撃隊の練成も行っていました。前者は爆弾を装着した小型高速艇による体当たり(筆者注:作家の故島尾敏雄氏もここで訓練されたとのこと)、後者は単身潜水して水中から攻撃する特攻、いずれも自爆攻撃ですね。この他にも人間魚雷「回天」乗組員の訓練もここで行われたようです。碑文の最後は、「今日焼土から蘇生した日本の復興と平和の姿を見るとき、これひとえに卿等殉国の英霊の加護によるものと我等は景仰する」という、あまりにも無邪気な一文でしめくくられています。戦死者の思いがどのようなものか確認できっこないのですから、当然生き残った者が自分の思いを投影することになります。この碑文を選んだ方々は、彼らが日本を"加護"(神仏が慈悲の力を加えて助け守る)している、つまり自分に死を強いた責任の所在は不問にして日本を守り続けていると思いたいのですね。でもその日本って何? 故郷、家族や友人、列島の自然とそこに住む人々、天皇制、戦前とかなりの部分で連続する政治システム、いろいろな内実があるはずなのに、それを十把一絡にするのはあまりにも無邪気すぎるし事態を曖昧にしようとする悪意さえ感じます。私が戦死者だったら、つまり私が投影する思いは、こうですね。故郷、家族や友人、列島の自然とそこに住む人々を守り続けたい、と同時に自分に無意味な死を強いた責任者、政治・社会システムを憎悪し続けたい。そして前者が後者を許容しているのであれば、日本をまるごと憎悪したい。死者に語らせるのはいいかげんにやめて、生者がきちんと語るべきだと思います。
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 さて川棚駅方面に戻り、次は日向の棚田をめざします。途中の坂道から対岸にある三本の巨塔がちらと見えました。針尾の送信塔だっ! こんなに近いところにあったのか… 予定では明日、佐世保から行くことにしていたのですが予定変更。今日、ハウステンボス駅で下りて寄ってみることにしましょう。そして駅方面へと戻りますが、途中に「キリシタン絵踏跡」がありました。この地のキリシタン摘発は過酷をきわめたのでしょう。街中にある常在寺には、「郡崩れ」による破却をまぬかれたキリシタン墓碑がありました。ここは川棚の町並み、大村湾を一望できる絶好のビュー・ポイントでもあります。
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 そして川に沿って虚空蔵山へと向かいます。途中の山腹には、防空壕の入り口が点々と連なっていました。運転手さんによると、空襲を避けるために移転された海軍工廠の地下工場だそうです。
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 やがて車は、谷の斜面に建てられている集落の間を走り抜けていきます。そして細長い谷の斜面を埋め尽くすかのように棚田群が、じょじょに姿をあらわしました。これは圧巻。地域の未来を明るくするための、血と汗のにじむ、しかし楽観的な努力を目の当たりにした思いです。ところどころに「ダム建設反対」というポスターや幟があったので運転手さんに訊ねると、何十年も前からあるダム建設計画が地元の反対でいまだ着工できないということでした。現長崎県知事の強硬な姿勢が、さらに反発をよんでいるそうです。長崎市本河内高部ダムのように、ほんとうに地元住民のためという高い志があるのだったら反対も起きないのにね。
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 本日の二枚は、常在寺からの眺望と日向の棚田です。
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by sabasaba13 | 2008-03-28 06:20 | 九州 | Comments(0)
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