肥前編(21):針尾送信塔(07.9)

 さてタクシーに乗り込み波佐見の街中をぐるっと廻ってもらい、川棚駅へと戻りましょう。途中でもう稲刈りが終わった田もあり、稲架掛けがおわっていました。詳しくはないのですが、そのやり方は地方によって特色があるようです。そして虚空蔵山が見えるポイントで下ろしてもらい撮影。
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 そして川棚駅に到着すると、ほぼ三時間が経過していました。運転手さんに丁重に礼を言い、列車に乗り込みました。大村湾を左手に眺めながら、約十分でハウステンボス駅に到着。路線バスでは行けそうになく、タクシーを利用しようにもハウステンボスは駅の前にあるので乗り場などないでしょう。一台ぐらい駅前で客待ちしていてくれないかなあ、と淡い期待を抱いて駅前の道路(ハウステンボスの反対側)に出ると、一台客待ちをしているタクシーがありました。渡りに舟、さっそく乗り込み送信塔までの往復を依頼。運転手のKさんは話好きで気さくな方でしたが、これが運命的な出会いになろうとはこの時はつゆも思いませんでした。十分ほど走ると、おおっ、その天を突き刺すような偉容を一望できるポイントがありました。さっそく下車して写真撮影。運転手さんに、針尾瀬戸に近い三号塔は近くまで接近できるという情報があると話すと、「そうえいば子どもとカブトムシを取りにいったことがあるなあ」 これは期待できそう。さて針尾送信塔とは何ぞや? 「近代化遺産を歩く」(増田彰久 中公新書1604)から抄録します。1921(大正10)年、海軍が建てた三基の送信塔で、高さ135m、根元周り12mのコンクリート製です。1号は東シナ海、2号は日本海、3号は太平洋方面をカバーし、日米開戦の暗号文「ニイタカヤマノボレ」はここから発信されたそうです(異説あり)。塔の製作方法は、まず塔の中心にコンクリート・ミキサーをセットし、練ったコンクリートを周りの型枠に1.5mの高さまで打ち、少し固まったところでその上に同じ高さで継ぎ足し、上へ上へと継ぎ目なして伸ばしていくというものです。昼夜兼行で行われ、四年の歳月をかけて完成したそうです。もうこれだけでアドレナリンがびしびしと分泌してくるような話ですね。現在は海上自衛隊が管理していますが、送信塔としては使用されていません。撤去しようという計画ももちあがったのですが、なにせ費用がかかりすぎるのと、保存運動が起きて取りやめになったとか。なお強度については現在でも特に問題はないそうです。
 さて(たぶん)三号塔の根元に到着しました。いやああああああ凄い、凄すぎる。口を開けながら首が痛くなるほど見上げてしまいました。風雪に耐え屹立するその姿は神々しささえ感じます。これはぜひ触れてみたい。しかし柵等はないのですが、木々や草が密生しておりとても近づけそうにありません。蜘蛛の巣だらけになりながら運転手と附近をうろうろしたのですが、結局接近を断念しました。「根性なし!」と罵られる方もおられるでしょうが、半端な密生ではなかったですよ。もしかすると違うルートもありえるかと思います。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-04-02 06:23 | 九州 | Comments(0)
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