「ドストエフスキー 謎とちから」

 「ドストエフスキー 謎とちから」(亀山郁夫 文春新書604)読了。高校時代から大学にかけて、ドストエフスキーの小説は一通り読んだつもりでした。面白かったことは面白かったのですが、一生涯にわたり担い考え続けるべきテーマは心と頭に宿らず、齢○十年を重ねてしまった次第です。時々、大江健三郎氏が言われた「ドストエフスキーがある小説を書いた年齢になったら、その小説を読む」という言葉は思い出すのですが… しかし不思議なことに、ラスコーリニコフ、ムイシュキン、スタヴローギン、スメルジャコフ、アリョーシャといった登場人物の名前は忘れません。物覚えのわるい私にとって稀有なことなのですが。要するに、彼らからある衝撃を受けたのだが、それを言葉として血肉化する能力がなかったということなのでしょう。それを確認するためにも、もう一度読み返してみたい、誰か親切な水先案内人がいないかなあ、と情けないことを思っていた矢先に出会えたのが本書です。
 著者の亀山氏が東京外語大学で行った最終講義をもとに、ドストエフスキーの代表的な作品「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」を、物語層(登場人物の心理的葛藤)、自伝層(作者の人生と物語の関わり)、歴史層(小説全体と歴史との関わり)、そして象徴層(以上三つの層をみちびく高度な形而上的議論)という、四つのレベルで考察したのが本書です。
 今、ドストエフスキーを読むことにどんな意味があるのか? この本の最大の魅力は、亀山氏がつねにこう問い続けているところです。結論を言ってしまうと、彼が生きた時代(ロシア帝政末期)と、今の世界が酷似しているということです。アレクサンドル二世による不徹底な農奴解放(1861)は、同時に飢えと放浪への解放でもあり、農民は都市に出てその底辺部に巣くい飲酒・犯罪・売春の温床となるなど、深刻な混沌を生み出すことになります。言わばロシア世界の終末が垣間見えた時代なのですね。その中で呻吟し苦しみ悩み、そして他者の存在を軽視・無視する人々を、ドストエフスキーは容赦なく描きだし、そして究極のテーマにたどりつきます。「人間に人間を殺す権利があるのか」 「カラマーゾフの兄弟」の中で、アリョーシャがイワンに言う有名なせりふがありますね。
 兄さん、もうひとつ聞かせてください。ほんとうにどんな人間でも、だれそれは生きる資格があって、だれそれは生きる資格がないということを自分以外の人間について決める権利があるんですか。
 ひるがえって現在を見ると、世界の終末が垣間見える時代です。著者曰く、自我の矮小化、生命エネルギーの後退、迫り来る予測外の危険、そしてどのような悲惨にも反応しなくなるという恐ろしい病い=無関心の肥大化。よって彼の提示したテーマは有効です。いや、より重要性を増しているのではないのでしょうか。私思うに、グローバリゼーションとは、「市場にとって価値のない人間は無視してよい、その結果どうなろうと(たとえ死のうと)しったこっちゃない」とでも言うべき価値観が全世界を席巻している状況のことですから。生きる資格がある/ない、は市場が決める… もしドストエフスキーが生きていたら、テーブルをドンと叩いて"Het(ニェット)"と言うかもしれません。著者はこう述べておられます。
 ドストエフスキーがどこまでも否定しようとしていたのは、生命のエネルギーの枯渇が生む傲慢さ、神のまなざしを簒奪し、人をそそのかす偽の神になりかわろうとする傲慢さだった。
 それでは救いの道はどこにあるのか。これがもう一つの大きなテーマですね。これについてはぜひ本書を読んでいただきたいので、ヒントだけにしておきます。「カラマーゾフ」とはロシア語で「黒く塗る」という意味です。うーん、ローリング・ストーンズはこれを知っていたのかなあ。

 ドストエフスキーという大海に漕ぎ出すには、必携の水先案内です。お薦め。私もそろそろ船出をしようかなと思っています。よおそろー。
by sabasaba13 | 2008-04-04 06:16 | | Comments(2)
Commented by lplp at 2008-07-06 19:54 x
 亀山さんの講義聞いてみたいです。きっと考えさせられて、ためになることたくさんでしょう。
 ドストは、人生に何回も読みたいし、楽しめる作品を数々作っていると思います。ドスト、作品の中を探っていくとたくさんの問題や、時代の背景から感じられることは多いです。
 カラマーゾフの由来は、皇帝暗殺者の名前に由来しているそうですよ。
Commented by sabasaba13 at 2008-07-07 19:48
 こんばんは。同感ですね、わたしもぜひ亀山氏の講義を拝聴してみたいものです。ドストエフスキーの作品とはこれから末永くつきあっていくつもりです。おっしゃるとおり、現代にも通じる多くの問題をよみとれます。書評で紹介したアリョーシャの科白を、今、洞爺湖にいるみなさんに投げかけたいですね。
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