「京の路地裏」

 「京の路地裏」(吉村公三郎 岩波現代文庫)読了。京都に関するエッセイを書店・本屋で見かけると、つい手にしてしまう京都ファンの私。とは言っても、いかにも京都っぽい店をまくしたて京都を満喫しよう、てな本は真っ平御免。この魔都の襞々に分け入り、都人の暮らしを味あわせてくれるような本だったら即購入です。本書は、京都で育った映画監督の吉村公三郎氏(代表作は「安城家の舞踏会」「襤褸の旗」など)が、郷愁とともに京都へ捧げたオマージュです。名所旧跡案内でも有名店の紹介でもなく、京言葉や町屋での暮らしなど、市井の人々の日常をさっぱりとした文章で語ってくれる好著。
 例えば、京都の人は神社仏閣に敬称をつける。祇園さん(八坂神社)、知恩院さん、ケンネンジはん(建仁寺)、しかし豊国神社・南禅寺・三十三間堂にはつけない。デパートも同様で、大丸さん・高島屋はん、しかし三越・丸物には敬称をつけない。ふーん、敬称の有無と「さん」と「はん」の使い分けに微妙な差があるのですね。
 そしてシブチンについての逸話の数々。某家の嫁さんが息子に素うどんを外食させたところ姑に叱責され「そんな浪費をする嫁は家風に合いまへん」と実家に帰されたとか、大根を半分買おうとしたおばさんが店員の腕をつかんで無理やりに大きく切らせたとか… しかし外には格好よいところを見せたい、例えばお歳暮で鯛をもらったら表へ出て「よんべの鯛は美味しかったなあ」と声高に話し合う。自分たちは倹約(=シマツ)する一方で、観光にやってくる余所者からは高い料金をふんだくる。これは笑い話で終わらせてはもったいない、世界が今必要としている智慧と技術だと思います。
 そして食べもの。著者が特に豆腐を寵愛されているのは、紙背からひしひしと伝わってきます。
 世間一般の味覚が混乱し、宣伝に惑わされて、主体性を喪失しがちの当節、豆腐みたいなデリカシイを尊ぶ食べもののよしあしをよりわけるにはかなりの年の功が必要だが、その点ならいささか自信はなくもない。
 よってデリカシイを持ち合わせない店に対しては仮借ない言葉を浴びせます。例えば南禅寺そばにある湯豆腐の名店「奥丹」については、客が増えた結果、朝早くから鍋を火にかけておくものだから、昼近くになると豆腐が煮染まってかたく、昆布臭くなり閉口してしまったとか。手厳しいとは思いますが、豆腐を愛する京都人の心持がよくわかります。きっと「奥丹」はよそさんで一杯なのでしょうね。
 そして京都に関する卓見。「マルタケエビスニ、オシオイケ…」という京都の通りの名を覚える符牒がありますよね。なぜこれが生まれたのか。京都の生産・流通機構はややこしく、かつて問屋と一般消費者の間をとりもつ悉皆屋という商売があったそうです。この店の小僧さんは、朝から晩まで京染を営んでいる一帯を走り回る。彼らが通りを覚えるためにこの符牒がつくられたのではないか。
 また与謝蕪村の句を理解するには、彼が住んでいた京の路地の様子を知る必要があるということ。「いかのぼり 昨日の空のありどころ」「月天心 貧しきまちを通りけり」という著名な句も、細長い路地から見上げた空を想像しなければならないと、氏は述べられます。前者の句の情景がうまく描けなかった私は、これを読んではたと膝を打ちましたね。そうか、町屋に挟まれた狭い路地から細長い空を見上げて、「あっ昨日と同じところに凧があがっている」と蕪村は見たわけだ。

 というわけで、一読、また京都に行きたくなりました。京都の面白さは、そこに住む人間の面白さなのですね。でも思うに、「この街でみんなとうまくつきあいながら子々孫々ずっと暮らしていこう」と考える人が多い街なら、どこでも京都のように面白いのではないかな。日本各地を歩き回ると、そんな気がしています。そして日本の経済システムが、そうした地方の面白い街を切り捨て安楽死させようとしていることも。著者の言です。
 独身でいくらか経済的に余裕の出来たのはごく短い期間だったが、ひと仕事終わると身体を休めに京都にでかけた。今なら三時間で行ける京都は、遠い逃避のまちだった。そしてまちなかをほっつき歩いたが、すぐ退屈した。多少ムリをして泊まる高級ホテルの人が、お寺歩きをすすめたり、祇園あたりへ行って舞妓でも呼んだらといってくれても、何だかみなふる臭い感じで、興味ももてない。まちではいろいろな人達に接触も出来るし、その人達の住む家々も懐かしく、つまるところ魅力を覚えるのは「京都人」であった。そして、それは今も変わらない。

by sabasaba13 | 2008-04-06 07:04 | | Comments(0)
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