「モーツァルト 天才の秘密」

 「モーツァルト 天才の秘密」(中野雄 文春新書487)読了。「死とはモーツァルトが聴けなくなることだ」と言ったのはアインシュタインでしたっけ。最近、ほんの少しだけその気持ちがわかるようになりました。彼の評伝も幾冊か読んだのですが、彼の音楽の軽やかさとは程遠い堅苦しいものが多く、いささか閉口してしまうものでした。そして先日出会えた本書は、一味違います。まるでモーツァルトの音楽に共鳴したような、軽やかまろやかな著者の語り口に大満足です。彼や父レオポルトの手紙を手際よくまじえながら、旅とともに彼の音楽がどのように変化・進化していったかを平明にして含蓄深く描きだした著者の力量には脱帽。
 著者は中野雄氏、音楽プロデューサーとして活躍されており、ウィーン・フィルや故丸山真男氏との親交も深い方です。(両者に関する著作もあり) よって本書の白眉は、そうした経験をもとに、音楽が生まれる現場の目線でモーツァルトの音楽を分析しているところにあります。例えば、音楽関係者の間には「レッスン百回、本番一回」という言葉があるそうで、不特定多数の聴き手を前にして、お金を取って弾かなければ音楽家は進歩しない。うん、これは納得です。そしてモーツァルトは自作を聴衆の前で自ら演奏するという数え切れないほどの経験を積み、それが彼の音楽を鍛え上げた。以下引用です。
 ステージで自ら演奏していれば、聴き手が自分の音楽のどこに共感を示し、どの点に不満を抱くか、反応を直接にわがものにできる。経験は次作に必ず生かされるだろう。モーツァルトは現代の作曲家に比し、何倍か、何百倍かの頻度で、そのような経験を味わう機会に恵まれていた。
 モーツァルトの音楽は、実戦に鍛えられた音楽である。一作一作に生活と人生がかかっていた。だから聴く者の心を打つ。
 さらに音楽プロデューサーという日々の仕事の上で氏が実感しているのが、音楽家として成功するための必要条件は「音楽が好きであること、特に自分の専攻している楽器が、好きで好きでたまらないこと」ということです。そしてモーツァルトは…
 …群百の音楽家に比して、百倍も千倍も努力した人であった。ただ、彼はその"努力"を「つらい」とか、「もういやだ」と思わなかっただけの話である。
 うーん、これも納得。彼は大好きな音楽を学習することを全く厭わず、それをどんどん吸収する類い稀なる能力があったのですね。そして旅。彼の作曲技法は、父レオポルトによる薫陶ももちろんあるのですが、旅先で先輩作曲家に教えられたものがかなりの比重を占めるそうです。これは本人に語ってもらいましょう。父に宛てた手紙の一節です。
 凡庸な才能の持ち主なら、旅などしようがしまいが、いつまでも凡庸なままです。しかし卓越した才能の持ち主ならば―ぼく自身がその才能の持ち主であると自負しても、罰は当たらないと思いますが、いつも同じ場所に留まっていたら駄目になってしまいます。(1778.9)
 音楽を根っから愛し、作曲技法を身につける努力が苦にならず、旅先でさまざまな音楽家の薫陶を受け、そして結実した曲を聴衆の前で演奏して次なるステップへと自らを鍛え直す。これまでモーツァルトというと、頭の中にすぽぽんすぽぽんと次から次へメロディが湧き溢れ、ただそれを五線譜に書き写すという、貧弱かつ失礼なイメージしかありませんでした。今にして思えばひどいものですねこのイメージは、まるでmusic machineだ… でも本書のおかげで「天才の秘密」の一端に触れ、半歩でも近づける存在になったような気がします。感謝。
 それではひるがえって、今の自分に、根っから愛しそのためにする努力が苦にならないものがあるのだろうか、とふと考え込んでしまいました。読書、チェロ、テニス、どれも中途半端だなあ。あえてあげれば旅ですか。モーツァルトには及びもせぬが、せめてなりたや散変に、と言われるように(別に言われなくてもいいけど)旅を続けていきたいと思います。
 なおモーツァルト晩年の傑作、弦楽五重奏曲第三番(ハ長調 k515)と第四番(ト短調 k516)の存在を教えてもらえたことも大きな喜びでした。さっそくアマデウス四重奏団+セシル・アロノヴィッツのCDを購入して、毎日聴き惚れています。

 追記。丸山真男のこんな素敵な言葉も教えてもらいました。
 教師の最重要課題のひとつは、学業終了後、弟子が独りで学ぶ癖と、独りで学ぶ方法を修得せしめることである。

by sabasaba13 | 2008-04-15 06:09 | | Comments(0)
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