肥前編(31):昇開橋(07.9)

 さて松浦鉄道に乗って有田へ向かいましょう。車内には「チカン! もう言い逃れできません 警察の最新技術でチカンの証拠は見つけられます」という吊り広告がありました。チカンの証拠を見つける警察の最新技術とはどういうものなのだろう、興味があります。
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 有田で特急に乗り換えて約40分で佐賀駅に到着、お目当ては筑後川昇開橋です。さっそく駅構内にある観光案内所に行ってアクセスについてうかがいました。目的地に近いバス停を教えてもらい乗り場に行こうとしたら、「佐賀戦争の真相」という本が置いてありました。佐賀戦争? どうやら佐賀の乱をさしているようです。1874(明治7)年に佐賀で起きた士族反乱で、明治政府の開化政策に不満を持つ佐賀県士族約1万2000人が前参議江藤新平を首領にかつぎ、征韓や士族特権維持を要求して挙兵し県庁や佐賀城を攻撃した事件ですね。内務卿大久保利通はすばやく対応し鎮圧、江藤は鹿児島へ行き西郷隆盛に挙兵を求めたが拒否され逮捕され、江藤ら13人が死刑になりました。日本史の授業では、時代遅れの士族が起こした暴動というイメージをすりこまれましたが、切れ者・江藤のことです、そう単純な事件ではなかろうと思っていました。佐賀県人としてもそうした一方的な視方を押しつけられて忸怩たる思いがあるのでしょう、これは面白そう、後で購入しましょう。
 バス乗り場に行くと、一時間に一本のバスがついさっき行ってしまいました。うーん、隣にある喫茶店でモーニング・サービスを食しながら待つか、タクシーを使うか… この後に筑後吉井に寄るつもりなので、時間が惜しい… 乾坤一擲、タクシーで行きましょう。運転手さんに佐賀県の景気について訊くと、商店街の人出は昔の1/4に減ってしまったそうです。駐車場がないと店はつぶれる傾向にあるとのこと。車依存社会の弊害はこんなところにもあらわれています。約30分で到着、向かい合う二匹のキリンのような昇開橋の偉容が眼前に現れました。旧国鉄佐賀線の鉄橋で、筑後川を行き交う船の航行のために中央24mの桁部分が23mの高さまで上がるようになっています。1987(昭和62)年、佐賀線の廃止とともに鉄道橋としての使命を終えましたが、地元住民の強い要望により保存されることになり、現在では遊歩道として整備されています。しかも一日数回、桁を上下に可動してくれるそうです。さあさっそく渡橋しましょう。手前にある解説板によると、このすぐ下流に秦の始皇帝の命を受けた徐福一行が不老不死の仙薬を上陸したという言い伝えがあるそうです。いわゆる日本各地に残る「徐福伝説」ですね。徐福がやって来たという伝承を語り継ぐことが、その地域にどのようなメリットがあるのか。これは一考を要する問題です。そして金網には無数の錠がかけられていました。解説曰く"愛の錠を施錠し、永遠の愛の演出か? (「愛の錠」で「愛情」)" 山田君、座布団一枚もっていきなさい。
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 そして現在では遊歩道になっている橋をてくてくと歩き、無骨・重厚な鉄組みを見上げながら渡っていきます。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-04-20 08:00 | 九州 | Comments(0)
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