肥前編(35):筑後吉井(07.9)

 筑後吉井。有馬21万石の城下町であった久留米と日田を結ぶ豊後街道の中央に位置するところから、江戸時代に宿場町として栄えました。木蝋や酒などの製造と加工、集散といった商業地としての活発化とともに、吉井銀(がね)と呼ばれる金融業への投資が更なる富を蓄積していきます。見所は蔵造りが残る町並みですが、これは明治初期までに見舞われた三回の大火の結果だそうです。まずは「庄山」に行って美味しい豚肉を賞味いたしましょう。"豚豚子豚お腹がすいた、ぶう、豚豚子豚お腹がすいた、ぶう、豚豚子(以下略)"と軽やかに鼻歌を歌いながら、教えてもらった附近を経巡ったのですが…見当たらない。道行く人に訊ねても…わからない。困ってしまって、わんわんわわんわんわんわわん、とふざけている場合ではありません。まごまごしていると散策する時間がなくなってしまいます。豚肉は断念して、吉井の街を徘徊することにしました。まずは代表的な装飾古墳として知られる日岡古墳へ。装飾古墳とは、6~7世紀ごろに石室などに浮彫や彩色によって幾何学文様や器物・人物鳥獣を描いたもので、北九州に多く分布しています。当時の人々の精神世界を物語るようなユニークな図象に魅かれます。たしか日岡古墳は、六つの同心円が描かれた呪術的なものだったと記憶します。当然のことながら、内部を見ることはできません。なお舟や盾・蕨手文を描いた珍敷塚古墳も筑後吉井の近くにあるそうです。
肥前編(35):筑後吉井(07.9)_c0051620_655648.jpg

 そして吉井小学校のわきを流れる高新川ぞいを快走、いやあ素敵な街ですね。柳の並木や落ち着いた雰囲気の和風家屋が水路に映り、情緒にあふれます。
肥前編(35):筑後吉井(07.9)_c0051620_692080.jpg

 まず吉井に現存する唯一の屋敷型建造物である鏡田屋敷を見学しましょう。幕末から明治初期に郡の役所として建てられたそうですが、二階からは甍の波を見晴らせます。こちらに貼ってあった観光地図を見ると、村田正雄生家碑・王将碑も附近にあるそうです。居蔵の館の見学は時間の関係で省略。なお「日本人の住まい」(宮本常一 農文協)によると、土蔵造りを住居として用いることを"居蔵(いぐら)"と呼ぶそうです。
肥前編(35):筑後吉井(07.9)_c0051620_694848.jpg

 すぐ近くにあるのは菊竹六鼓記念館。菊竹六鼓(きくたけ・ろっこ 1880-1937)は筑後吉井出身の硬骨のジャーナリストです。2歳の時に骨髄炎を患い、手術の失敗により歩行が不自由となったため東京の新聞社に入れず、地元の福岡日日新聞社(現・西日本新聞社)に入社しました。1930年代、全国の大手新聞社が軒並み軍部支持の記事を掲げ、世論の軍国主義への誘導や逆に軍国主義世論への迎合をさらす中、ひとり編集責任者として敢然と軍部攻撃の論説を書いた記者です。桐生悠々とともに、忘れてはいけないジャーナリストですね。現今のジャーナリズムの体たらくを、彼はどのような目で見ているのでしょうか。なお中に入るとほとんど展示物はなし、ほとんど訪れる人がいないのでしょうか、残念でした。
肥前編(35):筑後吉井(07.9)_c0051620_6101560.jpg


 本日の一枚です。
肥前編(35):筑後吉井(07.9)_c0051620_6104024.jpg

by sabasaba13 | 2008-04-24 06:11 | 九州 | Comments(0)
<< 肥前編(36):筑後吉井(07.9) 肥前編(34):朝倉の三連水車... >>