「強制された健康」

 「強制された健康 日本ファシズム下の生命と身体」(藤野豊 吉川弘文館)読了。病者・障害者の存在を視野に入れた日本近現代史を書きたいという著者の思いがあふれた本です。また、近代日本の歴史をサクセス・ストーリーとしてのみ描こうとする国家主義的歴史観からは無視され、マルクス主義歴史観からはルンペン・プロレタリアートとしてしか見られなかった人々を、「普通」の歴史上の存在として描きたいとも語られています。その思いが結実したのが本書。ファシズム期における医療・衛生政策、人口政策を研究するための第一歩であると、氏は位置づけられています。なおファシズムの定義の一つとして、著者はこう述べられています。
 生殖段階から国民の健康と体力を国家が管理し、「人的資源」として利用もすれば廃棄もする体制、「生存に値する生命」と「存在するに値しない生命」を国家が選別した体制
 厚生省の新設、厚生運動の提起、「厚生」から「健民」へ、国立公園と厚生運動、「健民」の証明、ファシズムの遺産、以上六章による構成です。まだ研究は端緒についたばかりなのでしょうか、ややまとまりがよくないという印象を受けました。これからの研究の進展に大いに期待したいと思います。ただ国民を資源として選別し、徹底的に利用・廃棄しようとする酷烈な国家意思については、よくわかりました。国家の政策に利用できる健康な身体=優良な部品・素材・資源をつくりあげるとともに、健康ではない=国家の役に立たない身体は悪であるという意識を国民の間に醸成する。
 ん? さきほどの定義をあわせ考えてみると、現政府がしていることと同じですね。違う点は、その選別に"市場"もからんでいるということかな。うん、これでメタボと喫煙の撲滅を怒号する現政府の意図も見えてきます。医療費の抑制とともに、政府・企業の役に立つ健康にして有為な人物とそうでない人物を選別し、前者を徹底的に利用し、後者を廃棄する。今の世の息苦しさは、健康な身体で何かの為に役立つ/政府・企業に利用されることを強要されることからきているような気がします。ただぼーっと生きているだけの人間は、もはや生存を許されなくなる時代が、ほら、すぐそこまで来ていますよ。国家と市場に殺されないためにも、こうした研究が多くの人の手に届くことを切に願います。

 なお人の命を屁とも思わない厚生労働省の傲岸不遜な態度には長い長い歴史があることもよくわかりました。
by sabasaba13 | 2008-05-04 08:50 | | Comments(0)
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