そして白眉が、町屋を洋風に増改築した擬洋風建築の「旧五十嵐歯科医院」です。前面を埋めつくすガラス窓を見ただけでも只者ではないことがわかります。内部を見学できるというのでいそいそと入りますと、細緻な彫刻が施された欄間、趣味の良い襖絵、凝ったつくりの引き手、さらには部屋の中にしつられた電話室や巨大金庫などなど、眼を奪われるものばかりです。そしてガラス戸と障子から漏れ入る光が織りなす陰影の美しさ。目の向きによって、畳の反射はこれだけ違うんだ…
二階に上がると、そこは診療室・技巧室・待合室です。広々としたリノリウムの床に、大きなガラス窓から燦燦とふりそそぐ陽光と、それが描く影。
こちらも素晴らしい。というわけで、蒲原で一押しの物件です。なお一階の和室で珈琲をいただけるという嬉しいサービスもあり。また蒲原に関する観光地図もここでいただけます。
さてさてまだまだ見ものは続きます。志田家では珍しい蔀戸が残されています。上下二枚に分かれている戸で、上半分を長押から吊り、下半分は懸金で柱にとめてあります。
その先にある増田家では、美しい格子戸をおがむことができました。うーん、ここまで見事だとこれはアートですね。家の方が長年丹念に拭き掃除をしてきたのでしょう、その質感には神々しささえ感じます。
そして道は直角に左折し、国道とぶつかります。左手にあったブロック塀の頂部は猫よけのためか三角形にしてありますが、「あぶないのでブロックベイの上で遊ばないで下さい」という警告がありました。あのとがった三角の上で遊べるのか、やるでねがっ、蒲原っ子。ちまちまちまちまちまちまちまちまちまちまちまちまとファミコンで遊んでいる全国の子供たちに、爪の垢を煎じて送ってあげてくださいな。ある家の玄関にはツノガイがぶらさげてありましたが、これは魔除けでしょうね。
そして今来た道をふたたび新蒲原駅へと戻りました。インパクトのある一発芸や、統一感のある街並みがないためなのでしょうか、観光地としてはまったくの無名なのですが、これほど蒲原が面白い町だとは思いもしませんでした。まだまだ各地にはこんな町がたくさんあると思います。それを見つけるのは、やはり何事にも退屈しない精神だと思いますね。
はじめのうちは気がつかないていどだが、ある日きゅうに、なにもする気がしなくなってしまう。なにについても関心が持てなくなり、なにをしてもおもしろくない。だがこの無気力はそのうちに消えるどころか、すこしずつはげしくなってゆく。日ごとに、週をかさねるごとに、ひどくなるのだ。気分はますますゆううつになり、心の中はますますからっぽになり、じぶんにたいしても、世の中にたいしても、不満がつのってくる。そのうちにこういう感情さえなくなって、およそ何も感じなくなってしまう。なにもかも灰色で、どうでもよくなり、世の中はすっかりとおのいてしまって、じぶんとはなんのかかわりもないと思えてくる。怒ることもなければ、感激することもなく、よろこぶことも悲しむこともできなくなり、笑うことも泣くこともわすれてしまう。そうなると心の中はひえきって、もう人も物もいっさい愛することができない。ここまでくると、もう病気はなおる見こみがない。あとにもどることはできないのだよ。うつろな灰色の顔をしてせかせか動きまわるばかりで、灰色の男とそっくりになってしまう。そうだよ、こうなったらもう灰色の男そのものだよ。この病気の名前はね、致死的退屈症というのだ。
~ミヒャエル・エンデ作「モモ」より~
野球がスローで退屈と思う人、それはその人が退屈な心の持ち主にすぎないからだ。
~レッド・スミス~
本日の二枚です。