京都錦秋編(4):大山崎町歴史資料館(07.12)

 そして大山崎町歴史資料館へ。入口のところに二匹の蛙の銅像がありましたが、なんじゃこれはといそいそと近づくと、「天王山の蛙」という寓話を題材としたものでした。以下、大山崎ふるさとガイドの会のHPから引用します。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/ofg/index.htm

c0051620_841755.jpg むかしむかし、京のみやこに住んでいた蛙が、一度は難波(大阪)の街を見物したいものと望んでいました。あるとき思い立って難波見物にと出かけ、西国街道をぬけて大山崎へ出、天王山へ登って行きました。いっぽう、難波にも都見物をしようと思い立った蛙がおりました。これも西国街道を東へ、あくた川、高槻、大山崎と通って天王山まできました。山の頂上で二匹の蛙がばったり出会ったのです。おたがい同じ仲間同士、いろいろと世間話をし、これからの行き先も語り合いました。「ところで、こんなに苦しい思いで歩いてきたものの、まだ半分来たばかりじゃ。疲れるのう」「ここは名に負う天王山のてっぺんじゃ。京も難波も一面に見渡せるところじゃ。ためしにやってみるか」と、それぞれ自分の目的地のほうを向いて精一杯爪先だって背伸ぴをしました。しばらく目をこらしていましたが、京の蛙が言いました。音に聞えた難波の街も、みれぱ京の街と変わりはない。しんどい目をして行くこともない。ここからすぐにかえるとするわ」と。難波の蛙も目をぱちぱちして、「花の都と聞いてはいたが、難波と少しも違いはないわ。馬鹿らしい。かえるはかえるわ」とこちらもさっさと帰って行きました。
 一体どうしたことでしょう。蛙の目玉は頭の上に後ろを向いてついているのです。だから、むこうを見渡した気でいましたが、つまりは、自分たちが来た方角、京と難波を見ていたのです。自分自身のことを知らないで物を見ると、全く逆の方しか見えないとの、きつーい譬え話です。


 うわー、きっつー。なお出典は「鳩翁道話」、天保年間に上梓された石門心学者・柴田鳩翁の道話集です。二階の展示室に行くと、妙喜庵待庵の実物大模型展示や、山崎の戦いについての説明など小ぶりながらもなかなか充実した内容でした。油商人についてのTVモニターによる解説は要にして簡、大変わかりやすいもので山ノ神もご満悦のようすです。また鉄道に関する特別展示が開催されており、"桜井の別れ"の舞台がすぐ近くにあって、戦前はそこに駅がつくられ多くの人々が見学に押し寄せたということがわかりました。ふーん、なるほど。桜井の別れとは、1336年(建武3)年の湊川の戦い直前に、西国街道の桜井駅(現在の大阪府島本町)において行われたとされる楠木正成・正行父子による今生の別れに関する逸話です。国語や修身の教科書に掲載され、天皇への崇拝と献身を煽るために利用されました。
 さてそろそろ時間ですので、妙喜庵へと戻りましょう。近くの駐車場には「警告 柵を壊した人へ 警察へ届けを出しました 今後追及していきます」という断固とした意思をにおわせる表示がありました。煙草屋には「外国たばこ」という、時代を感じさせる看板。
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by sabasaba13 | 2008-05-26 08:05 | 京都 | Comments(0)
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