「マンガ蟹工船」

 「30分で読める… 大学生のための マンガ蟹工船」(小林多喜二 藤生ゴオ作画 東銀座出版社)読了。原作については多言を要しないと思いますが、念のためスーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
 小林多喜二の中編小説。1929年(昭和4)5、6月『戦旗』発表。第二次世界大戦前は検閲制度による伏せ字が多く、68年(昭和43)の『定本小林多喜二全集』版でほぼ完全に復原された。北洋の蟹工船漁業で起きた事件をもとに「植民地における資本主義侵入史」をえぐろうとした。季節労働者として雇われ、国威発揚の美名のもとに悪辣で残忍な搾取にさらされた未組織労働者が、自然発生的な闘いに立ち上がり階級意識に目覚める姿を描く。権力を握る「悪玉」的人間の描き方などに類型的な弱点もあるが、集団描写のみごとさと社会的、歴史的現実の把握と告発の深さ、強さにおいて、当時のプロレタリア文学の理論的、実作的水準を一挙に高めた画期的作品である。
 さて以前にも書きましたが、若者の間でこの作品が静かなブームになっているそうです。その火付け役の一つがこのマンガ版だと知り、後学のために読んでみました。絵については、可もなく不可もない、下手ではないが格別上手くもない、しかし見やすい中庸を得たものだと思います。大きな破綻や瑕疵もなく、手堅くストーリーを再現してあるので、入門書としては合格ですね。それよりも驚いたのは、「30分で読める… 大学生のための」というタイトル。勝手な憶測ですが、今の大学生は活字を嫌い、しかもマンガを読むのでさえ三十分ほどしか集中力が持続しない、という現状を物語っているのでしょうか。そうではない大学生も多いと思いたいのですが、もし過半数がそうなのだとしたら…やはり愕然とします。「私の読書論」をぶちかます力量と才覚はとてもありませんが、やはり他者、異文化、歴史、未来、そして自分を知り理解し考えるための有効な架け橋が読書だと思います。読書をしないということは、未知なるものへの無関心と表裏一体ではないのかな。読書人口の減少は若者だけの問題ではないという漠然とした予感もありますが。ま、本書がきっかけとなって、原作を読んでみようとする方が増えれば、上梓された意義は十二分にあるでしょう。
 そしてこの小説に共感する若者がいるという事実には、慄然とします。蟹工船内での過酷な労働を、「生命的(えのぢまと)」と表現した登場人物がいます。命を磨り減らす労働、ということでしょうね。原作が書かれてからほぼ八十年が過ぎたのですが、私たち、特に若者がおかれている労働環境および条件がふたたび"蟹工船的"なるものに戻ってしまったということですね。モラル・エコノミーを破壊し、「合法的な範囲で、あるいはばれなければ、人間の健康・生命よりも利潤を優先してよい」という時代=近代がはじまったのが(国や地域によって差異はありますが)19世紀だと思います。しかし二度の世界大戦に対する反省、および1945~75年の好況によって、「利潤と同時に人間も大事に(あるいはそのふりを)しなければならない」という福祉重視の社会が先進国を中心に浸透していきました。よってこの時期は、ある意味ではそうした特殊な状況下でのみ開花し得たのかもしれません。その反省の気持ちが薄れ、好況が終焉を迎えた今、再び19世紀のような状況に戻ったということなのでしょう。ポスト・モダンどころではありません、近代のつきつける「人間よりも利潤を重視」という問題を、結局われわれは根本的に解決していなかったのですね。

 上司や同僚の、そして政治家・官僚・財界・資産家の叫び声が聞こえてきませんか。

                    え
 おい地獄さ行ぐんだで!
by sabasaba13 | 2008-06-01 08:42 | | Comments(0)
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