「ジャズ喫茶 四谷「いーぐる」の100枚」

 「ジャズ喫茶 四谷「いーぐる」の100枚」(後藤雅洋 集英社新書0421F)読了。おしょすい(※仙台弁:「こっぱずかしい」の意)話をしますが、私、高校生の時、ジャズ・ミュージシャンになるのが夢でした。五木寛之の「青年は荒野をめざす」(文春文庫)を読んで、主人公ジュン(だったかな?)の生き方に憧れたのと、同じ頃に購入したレコード「マイルス・アット・カーネギーホール」のかっこよさにぶちのめされたのがきっかけです。単純ですね。自分の地味な性格からしてバンドを支える縁の下の力持ち・ベースを弾きたい、そのためには基礎からしっかり学ぶべきだと考え、大学のオーケストラに入ってコントラバスを弾きはじめました。方向性は間違っていなかったのですが、明らかに努力不足でしたね。冬のように重く春のように華麗で夏のように烈しく秋のようにクールなベーシストをめざしたのですが挫折。以後、楽器をチェロにもちかえて、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲をいつの日にか完奏するぞという見果てぬ夢を追っているところです。今度はけっこう努力していますけれどね。
 閑話休題。というわけでもっぱらジャズは聴くだけになってしまいました。CDを購入するにあたってやはり頼りにしてしまうのは、名盤案内です。後藤氏によるガイドブックを以前読んだことがあるのですが、力まず驕らずさりげなく軽やかな語り口で、そうまるでトミー・フラナガンのピアノのようにジャズの魅力を伝えてくれたのが印象的でした。本書も一種の名盤ガイドブックなのですが、氏が1967年以来経営しているジャズ喫茶「いーぐる」の歴史とともによくかけてきた/リクエストの多かったアルバムを紹介するという、ちょっと面白い趣向です。例えば次のような一文はいかがでしょう。
 …ジャズ喫茶では、ジョン・コルトレーンのような過激な演奏が、単なる音楽としてではなく、一種の政治的メッセージとして受け取られていた面が少なからずあった。セクト同士の争いではより過激な主張をしたほうが勝利を収めるという法則そのままに、彼らは(本心はともあれ)よりアナーキーな演奏をよしとした。
 そうした傾向は本来の音楽的嗜好に基づいていないので、どうしたって無理がある。無理と言えば、政治だって一部の確信犯的革命家は迷いもなかったろうけれど、一般の付和雷同的にデモに参加した層は、次第に激しくなる学生運動についていけない思いを内心抱いていた。 
 ちょうどそんなとき起こった浅間山荘事件は、大手を振って学生運動から足抜けする格好の口実となったのである。そして、そうした緊張から弛緩へと変化していく時代の気分を代弁するかのようなチック・コリアのユートピア的音楽は、ジャズ喫茶からコルトレーンやらアルバート・アイラーの狂暴な音楽を駆逐していったのだった。
 うーん、なるほど。60年代後半から70年代前半にかけての時期ですね。私はこの頃小~中学生だったので社会の状況については疎かったのですが、時代の貴重な証言だと思います。もちろん反論のある方もおられるでしょうが。良し悪しは別として、ジャズやロックなどの音楽が政治や社会の状況からインスパイアされた時代であり、それを映し出す鏡がジャズ喫茶だったのでしょうか。いろいろな人が次から次へリクエストした曲を、みんなで様々な想いを抱きながら共有するという独特の雰囲気は、その後ジャズ喫茶に行くようになった私にも多少覚えはあります。音質の良いオーディオ機器・ウォークマン・iPodなどの普及で、音楽鑑賞が個別化した今ではちょっと信じられないことですけれどね。
 もちろん、著者お気に入り/お薦めアルバムの紹介も盛り沢山。これまで馴染が薄かったアル・ヘイグ(「インヴィテーション」)やエロール・ガーナー(「コンサート・バイ・ザ・シー」)やリー・コニッツ(「アイ・コンセントレイト・オン・ユー」)のアルバムをさっそく購入して、今楽しんでいるところです。

 追記。神保町の「響」がなくなっていたのは先日視認しましたが、仙台の「カウント」はまだ営業されているのでしょうか。この本を読んだら、無性に懐かしくなってきました。
by sabasaba13 | 2008-06-10 06:09 | | Comments(0)
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