上野公園編(1):国立西洋美術館(07.12)

 「ル・コルビュジエを見る」(越後島研一 中公新書)を読んで、ル・コルビュジエの作品をこの目で見てみたいという野望に駆られてしまいました。かといって、ふらんすへ行きたしと思えども、ふらんすはあまりに遠し、とりあえず日本にある唯一の作品・国立西洋美術館(1959)をじっくり拝見することにしましょう。時あたかも十二月初旬、上野公園の紅葉も味わえればいいな。
 JR上野駅公園口の前にある横断歩道を渡ると、すぐ目の前にあるのが東京文化会館。その真向かいに建っているのが国立西洋美術館です。ムンク展が開催されていましたが、オスロで見てきたのでこれはパス。平常展示の入館券を購入して建築の内部をじっくり見ることにしました。前掲書から引用します。
 美術館を設計するよう依頼され、1955年に彼は、敷地を見るために最初で最後の来日を果たした。豊かな緑に恵まれた上野の丘に立った彼は、想像力を膨らませ、やがて、三つの異なる個性の建物が並ぶ「上野文化広場」とでもいうべき提案を生み出す。しかし当時の日本では、他の二棟を建設するほどの予算はない。だから現在の西洋美術館は、三人組の片割れが、当初予定されていた二人の話し相手を欠いたまま建っている、いわば孤独な姿なのだ。
 なるほどねえ、1955年といえば、まだ高度経済成長が始まったばかりの頃ですね。予算不足から一棟のみしか依頼できなかった事情は理解できます。なおその相棒として設計された建築が、彼の記念館、ル・コルビュジエセンターとしてチューリヒにあるそうです。これはいつか行ってみたいな。
 彼はこの建築を設計するにあたり、無限成長美術館を構想していたとのことです。細長い通路の渦巻きとなっている空中の箱を中心に、展示を鑑賞しながらぐるぐると進み、外周の通路に至ると外へと突出している階段を降りて退出するというプランですね。どんどん外へ成長させることができるので、収蔵品の増加に対応できるよう考案したそうです。しかし実物を見ると、中途半端に終わってしまったのがよくわかります。ピロティをくぐり中央へ至り、スロープを昇って二階の中心部分に着き、そこから展示を見始めるところまでは当初のプランどおりですが、渦巻き状の展示スペースはひと廻りで終わってしまいます。今は使われていない、左手にある外付けの階段はぐるぐる廻った後に退出するというプランの名残なのですね。
 外に出て、外観をじっくり見てみましょう。ピロティ部分が小さいためか、全体的に頭でっかちの鈍重な印象を受けます。ただ随所に彼らしいデザインがほどこされているのに気づきました。例えば、建物右手にある逆三角形のユニークな柱は、彼の代表作であるマルセイユの高層集合住宅「ユニテ・ダビタシォン」(1952)の引用でしょう。「どっこいしょ」と何かを持ち上げているような人間的な印象を受ける、微笑ましい造形です。左手側面にある突出した窓枠は、彼が得意としたブリーズソレイユ(日射を遮るためにつくられた装置)の一種だと思います。
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 これまで何回も訪れて何回も見てきたはずの建物ですが、見るべきものを仰山見逃してきたをあらためて痛感しました。虚心坦懐に作品に向き合うのも大切ですが、ある程度の関連知識も重要ですね。少しのことにも先達はあらまほしき事なり、です。そして前庭で展示されているオーギュスト・ロダンの「地獄の門」「カレーの市民」「考える人」、エミール=アントワーヌ・ブールデルの「弓をひくヘラクレス」を拝見。紅葉をバックにして見ると、また一味違ってきます。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2008-06-21 07:43 | 東京 | Comments(0)
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