「アラン」

 アイルランド旅行の予習として、ドキュメンタリー映画「アラン」のDVDを購入して鑑賞しました。監督は地質学者、探検家でもあるロバート・フラハティで、製作年は1934年です。舞台は、アイルランドの西、大西洋に浮かぶアラン諸島。「過酷」「苛烈」「不毛」「辛酸」、どんな言葉を使ってもフレンチクルーラーの味に思えてしまうほどの島々です。周囲は断崖絶壁、土壌も森林もなく岩と石が島を覆い、冬場には凄まじい波と風が襲います。前説曰く、「自立を人生最高の宝とし、生きるために闘う」島ひとの姿を淡々と描いた一時間強の映画が本作です。結末まで紹介しても輝きを失うような柔な映画ではないと確信しますので、あらすじをどうぞ。
 夫は槌で岩を砕き、妻と子は海草、さらには岩の割れ目にたまった塵を集めて石の上に敷き詰めます。こうして長い年月をかけてわずかな畑をつくりジャガイモを栽培してきたのですね。そして男たちは漁を主な生業とするのですが、カラック(currach)と呼ばれる小舟を使います。これが薄い木片を編んで、そこに布地をコールタールで貼りつけただけの代物です。この舟に数人の男たちが乗り込み、手漕ぎで漁をするのですが、特に貴重な獲物がウバザメ。食用にするとともに、その肝臓を煮つめてとった油が島で唯一の明かりとなるわけです。粗末な小舟と銛・ロープのみを武器として、体長数メートルにおよぶ巨大なサメとまるまる二日間格闘し、やっとのことで男たちはしとめます。このシーンは、いろいろなアングルから撮影した短いカットをつなぎあわせ、手に汗握る臨場感です。これでこの冬を越せると喜びに沸きながら、みんなでサメをひきあげる島ひとたち。
 そして時は秋、雲が重くたちこめ、断崖に牙を剥く高波が冬の前触れを予感させます。妻は海草を山のように担ぎ、飛沫を浴びながら崖ぞいの道を畑へと向います。漁から戻らない夫たちを心配して海を見やる彼女。島を叩き壊さんばかりに荒れ狂う海。そこに木の葉のように翻弄されながら、小舟が戻ってきます。岩の間をかろうじてすりぬけるように舟を操る男たち、そして浜に駆け寄り祈るように見つめる妻と子。間一髪で浜にたどりつき陸地へと逃れますが、小舟は波にさらわれ粉々に砕け散ってしまいました。「ああもう舟がない。漁に行けない。食物も灯油もないよ」と嗚咽する妻。しかしすぐに彼女は安堵したようにぽつりと呟きます、「でも生きている」

 ちゃちなコメントをするのがこっぱずかしくなるような重厚な映画ですが、あえて一言。自然の凄さ、そして人間の卑小さと偉大さを、ぎゅっと凝縮した見事な作品です。己一身の知力・気力・耐力のみを頼りに敬意をもって立ち向かってくる存在に対して、自然は必ず恩恵をもたらしてくれるのだと思います。どんな恩恵を? 生きる糧を与えるとともに、いつまでも変わらぬ姿でありつづけるという恩恵を。機械と科学技術をもちいて自然へのジェノサイドを行うわれわれに対する警告として受け止めたいですね。さもないと恩恵ではなく、自然界システムの崩壊というとてつもない復讐を覚悟しなければならなくなるでしょう。
 最後のシーンで、海を見つめる父と子の顔がアップで映し出されますが、その表情は形容のしようがない、しかしとても心打たれるものでした。絶望でも、憤怒でも、安堵でも、希望でも、悲哀でもありません。勝手な思い込みは重々承知の上であえて言えば、自然に対する大きな畏敬と、生きていることへの小さな感謝。
 というわけで「自然に優しい」と増上慢な戯言を気軽に口にする現代人に打ち下ろされた巨大な鉄槌、これはお薦めの映画です。なんとしてもアラン諸島(イニシュモア島・イニシュマーン島・イニシィア島)に行ってみたくなりました。
by sabasaba13 | 2008-06-25 06:07 | 映画 | Comments(1)
Commented at 2008-06-25 19:46
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