東京錦秋と戦争遺蹟編(1):殿ヶ谷戸庭園(07.12)

 秋がなくなった。そう思いませんか。いつまでも残暑が続き、過ごしやすく時節をつかの間味わうと、もう冬です。おそらく地球温暖化の影響でしょうが、このままだと恐るべき事態が到来するのではないかと不安になってしまいます。「自分たちにとって害だと、おそらく取り返しがつかないことになると、誰もが知っているのに、なぜ止めようとしないのだろう。いったいわたしたちはどうなってしまったのだろう」(ドリス・レッシング)
 時は十二月中旬、さすがに東京の紅葉も見頃かなと思い、錦秋(冬?)を愛でに、どこかに行くことにしました。インターネットでいろいろと調べたところ、国分寺にある殿ヶ谷戸庭園が穴場だという情報を入手。せっかく武蔵野まで行くのですから、以前から気になっている近辺の史跡をいくつかからめてみましょう。高尾の浅川地下壕、橋本の近くにある絹の道資料館、そして日立航空機立川工場変電所。それではいざ出立。
 中央線で国分寺駅に到着、念には念を入れて早めに家を出たので、まだ開園まで少々時間があります。となったら、駅前の喫茶店でモーニング・サービスをいただきながら道行く人をぼーっと眺めるのが王道。しかしきょろきょろと捜しまわったのですが、地元資本の喫茶店が見つかりませぬ。せんかたなし、○ス○ー○ーに飛び込んで朝食と珈琲をいただくことにしました。この手のチェーン店は味とメニューが画一的なのも嫌ですが、何よりも利潤が中央に吸いあげられ地元に還元されないのが気に入りません。その地の食材も使わないしね。二階席から外を眺めていると、電信柱に「お鷹の道」という案内板がぶらさがっています。おたかのみち? 土井たか子生家への参道? 駅前に戻ると観光案内図があったので、これ幸い、さっそく確認するとどうやら湧水のある遊歩道のようです。これは面白そう、庭園を見た後に歩いてみましょう。
 国分寺駅から左手に歩いて数分で、殿ヶ谷戸庭園に到着です。ここは大正時代に、後の満鉄副総裁・江口定條の別邸としてつくられ、赤坂の庭師「仙石」によって造園された回遊式林泉庭園です。その後、三菱財閥の岩崎彦弥太に買い取られ、現在では東京都の所有になっています。国分寺崖線の縁にあり、段丘崖や湧水のある変化に富んだ地形が特徴だそうです。それでは入園料(!)150円を払って中に入りましょう。それにしても「公園」と名乗る以上、ぜひ無料にしていただきたいですな。東京オリンピックなどと浮かれて無駄な出費をするぐらいですから、十分に可能なはずです。でもそういう無定見な人物を強制収容所所長に選んだのは都民ですから自業自得ですね。入口から左手に歩いていき木々におおわれたトンネルを抜けると、紅葉亭という和建築が姿をあらわします。ここから擂鉢状の傾斜地とその底にある次郎弁天池を見下すことができます。そしてあたりを彩る見事な紅葉。池のほとりにおりると、地下水が崖下から地表に湧き出す湧水源、いわゆる「ハケ」がありました。対面の斜面を昇ると馬頭観音が鎮座しておりました。この間のアップ・ダウンによって移ろい変わる光景は視線の快楽、たいへん魅力的ですね。紅葉も、腕も折れよと、力一杯輝いてくれました。うーん、ここは本当に穴場中の穴場でした。六義園旧古川庭園小石川植物園小石川後楽園も結構ですが、もみじの数と色づき、池と湧水、変化に富んだ景観を考えるとここに軍配をあげましょう。訪れる人もまばらなので、落ち着いた雰囲気の中ゆるゆるとした気分で錦秋を楽しむことができました。なお萩のトンネルや藤棚もあるので、一年中楽しめそうです。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2008-06-26 06:08 | 東京 | Comments(0)
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