「お鷹の道」の終着点から国分寺駅までは、住宅街を抜けて徒歩十数分です。さすがに♪お腹と背中がくっつくぞ♪状態となったので、昼食をとることにしました。あたりを見回し、「創業昭和四十三年 オヤジがこだわりつづけた伝説の味 スタミナ飯店 国分寺店」というど派手な看板を視認。"昭和" "オヤジ" "伝説" "スタミナ"という語彙からは、団塊の世代をターゲットにするぞという意思をひしひしと感じます。チェーン店らしいのですが、地元資本のような匂いがするので許容しましょう。さっそく入店し、炒飯を所望しました。凄い… 量が… ゆうに1.8人分はありそうですが、「食べ残す」という言葉は私の辞書にはありません。当然の如く完食しましたが、炒飯の素らしき顆粒状の物質が小さいだまとなってゴロゴロ入っているのには閉口。もう二度とこの店に来ることはないでしょう。 Auf Wiedersehen.
さて国分寺駅から中央線に乗って高尾へと向かいましょう。めざすは浅川地下壕です。三十分ほどでJR高尾駅に到着し、「日本の戦争遺跡」(平凡社新書240)の地図をたよりに南方へ行ってみましょう。ここは中島飛行機の疎開地下工場のために、1944~45年にかけて陸軍によって掘削された全長10kmにおよぶ日本でも最大規模の地下壕です。しかし高い湿度と低温で作業効率は上がらず、結局エンジン10台を完成させただけで敗戦をむかえたそうです。なおここでは朝鮮人労働者約1200人も従事させられていました。いろいろと調べたところ、ある程度の人数がそろい事前に申し込まないと、内部の見学はできないようです。よって今回は入口を見るだけでしょう。駅前にある地図を見ると近くに浅川小学校があるので、表敬訪問。歴史の古そうな小学校には奉安殿・二宮金次郎像が残されている可能性があるので、とるものもとりあえず立ち寄ってみることにしています。前者に邂逅できることは、盲亀の浮木・優曇華の花、ほとんどないのですけれど。こちらでは金次郎像がありました。さて高乗寺の方へゆるやかな坂道をのぼること、十数分。
それらしい物件を見つけましたが、念のため寺務所で尋ねたところ、間違いありません。直径2mほどの入口に地下牢のような頑丈な木の格子がとりつけられ、中に入ることはできません。なお附近ではきれいに色づいたもみじを何本か見ることができました。お寺さんのバスが駅へ送迎してくれるそうなので、便乗して高尾駅に到着。
本日の二枚は高尾の紅葉です。