「占領と改革」

 「占領と改革」(雨宮昭一 岩波新書1048)読了。シリーズ日本近現代史全10巻の第七弾です。「アジア・太平洋戦争」と同様、こちらも読み応えがありました。著者のねらいと視点はきわめて斬新です。冷戦終結後、現在に至るまでアメリカは世界各地における抵抗を抑えて帝国的支配を展開しています。その際において、アメリカは日本において成功したと一般に言われている占領政策を理想的なモデルとして援用し続けているのではないか、というのが筆者の問題意識です。氏はそれを「無条件降伏モデル」として概念化されています。以下、引用します。
 開戦過程では、相手に対するいっさいの、あるいはその基本的な自立性の放棄を求め、さもなくば開戦をせざるをえない選択を迫ること。戦闘過程では壊滅的な無差別爆撃、原爆投下などで徹底的に殲滅しようとすること。戦争終結過程は講和ではなく、無条件降伏であること。占領過程では被占領側の生き方、考えたかを含めて全面的に改造しようとすることである。
 よって、日本の占領はあらゆる面で成功した理想的な事例であるという思い込みをきっちりと批判しないと、これからもアメリカはこのやり方を世界の各地に押しつけ続けるという危惧です。相手を自立した存在として認めず、関係自体を消滅させるような一方的な占領ということですね。その結果、日本のケースでは戦争責任を曖昧にしてしまうという事態につながったと著者は述べられています。またアメリカの歴史の中でもこのモデルは、先住民との内戦過程、南北戦争の内戦過程などにあらわれており、その意味でアメリカの長い戦後はまだ終わっていないとも述べられています。うむむ、これは刺激的な考察ですね。対等な関係を否定し、相手を一方的に叩きのめし、そしてアメリカが良しと考える価値・システムを押しつけ相手を改造・同化する。そもそも先住民に対してこうした行為をしながら出来上がったのがアメリカですから、これはこの国の根幹に関わる問題かもしれません。
 それではどう批判するのか。こうした同化型占領がなくても、日本の民主化は進展しえたということを立証するによって、というのが著者の主張です。これは、相手の自立性を認め、自力による民主化への動きを尊重しなさいという、アメリカへの批判でもありますね。本書では、大正期以来伏流水のように脈々と流れていた民主化への動き、総力戦体制下における労働者・小作人・女性の社会的地位の向上とそれに即した改革などを中心に、その論を進めています。ただその評価がかなり甘いかな、というのが率直な感想です。例えば、総力戦体制下において、女性が職場や大政翼賛会などの幹部へ進出したことに触れ、遅かれ早かれ婦人参政権の付与はありえたと結論づけるのはいささか短兵急ではないかな。またGHQやアメリカの強圧的な命令がなかったとしたら、官僚や軍部がそうやすやすと権力や権威を手離すことはなかったと思います。
 アメリカの推し進める民主化と、日本側に存在した民主化への動きが合流してできあがった、「アメリカが嫌な顔をしない範囲での民主化」というのが実情に近いのではないかと考えます。ただ「官僚に好き勝手なことをさせない」という民主化の核心は、いまだ根付いていませんけれど。
 そろそろこの時期のことを冷静に振り返り、本格的な考察・分析・批判をするべきではないのかな。その一石となる好著、お薦めです。
by sabasaba13 | 2008-07-18 06:12 | | Comments(0)
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