さて次はすぐ隣にある浅草神社、言わずと知れた三社祭の祭神を祀ってあります。こちらにあるのは恵比寿、七福神の中で唯一日本の神です。出自は、夷三郎(伊弉諾・伊弉冉尊の三男)、山幸彦、事代主命(大国主命の子)、少彦名命といった諸説がありますが、漁業の神そして商売繁盛の福神です。ところがご本人が見当たりません。朱印をおしてもらった社務所で訊ねたところ、本殿に祀られているが秘仏・非公開だということです。いけませんねえ、正月くらい顔を見せなくちゃ。関西人だったら「なめとんのか、こらあ」と言って暴れますよ。やむをえず社務所に飾られていた写真を撮影しておきました。
近くにかかっていた絵馬には「抜け毛がへりますように。若返れますように。仲良く一年すごせますように」という切実なもの、「けえんかちようちんんんばりますたこ」というシュールなものがありました。前者について、えべっさんになりかわってお答えしますと、夫婦仲良くするためには神頼みではなく、文句も言わずに重いドラ焼きをかつぐなど血の滲むような不断の努力が必要です。ね、山ノ… あれっ… 消えちゃった…
きょろきょろしていると鳥居のあたりで猿回しが行われています。やはりそこで食い入るように見物していました。TVでよく見かけるあの方(名前は失念)ですが、ちょっと猿も人も疲れ気味なもののやはり面白かったですね。
浅草神社の脇には「新門辰五郎」と彫られた鳥居がありました。スーパーニッポニカによると辰五郎は町火消十番組の頭取と浅草奥山の香具師・大道商人の取締りを兼ねる侠客ですが、大名火消との喧嘩がもとで捕らえられ、佃島に送られました。その獄中で江戸大火にあい、囚人を指揮して消火に大活躍し、特赦。1862(文久2)年には一橋慶喜の上京に随行し、よく警護の任を果たしたそうです。彼が寄進した鳥居なのでしょうか。
次は毘沙門天のいる待乳山聖天です。隅田川の方へしばらく歩くとそこは花川戸、履物の問屋街です。花川戸公園には、「履物問屋街発祥碑」、九世市川団十郎の歌を刻んだ「助六歌碑」、「姥池之旧跡」という碑がありました。今戸通りにぶつかるところには、古い門柱が対になって並んでいます。戦禍をくぐりぬけた浅草寺参道の門柱を再建したものだそうです。
そして今戸通りを北へと向かいますが、さすがにまだほとんどのお店は営業していません。でも「靴・袋物・爬虫類製品全般卸」とか「革は君塚」といった看板をよく見かけるので、靴をふくむ革製品の問屋が集まっているのがよくわかります。
浅草神社から20分ほどで待乳山聖天に到着。毘沙門天はインドが出自、北方を守り、財宝・富貴を司り、仏法を守護する神といわれています。朱印をもらって、本殿に入ると、薄暗い中遠くに小さな毘沙門天像がありました。
なおこちらは、無病息災・夫婦和合・子孫繁栄のご利益がある絡み合った二股大根がシンボルとなっています。
本殿脇には、ちょっと珍しい銅造の宝篋印塔がありました。また江戸の名残をとどめる築地塀も一部残されています。