「ブータンに魅せられて」

 「ブータンに魅せられて」(今枝由郎 岩波新書1120)読了。素晴らしい本に出合えました、これこそ読書の醍醐味。チベット仏教研究者として長くこの国と関わってきた著者が、篤い信仰に生きるブータンの人々の暮らしや、「国民総幸福」を提唱する第四代ジクメ・シンゲ・ワンチュック国王の施政などについて、暖かく熱っぽく語ってくれます。
 この国の精神的に豊かで人間的な暮らしについてはぜひ本書を読んでいただくとして、一つだけエピソードを紹介しておきます。ブータン人にとって仕事は二の次、家族に病人がでたら当然の如く家で看病し、会社や役所に出勤することなど考えられないし、周囲もそれを期待しない。仕事は人生の半分、残りの半分は自分の時間。ああ羨ましいですね。
 そして何と言っても刮目すべきは、国王が提唱したGNH(国民総幸福)という方針です。1976年、コロンボで開かれた第五回非同盟諸国首脳会議後の記者会見で、彼はこう語ります。
Gross National Happiness is more important than Gross national Product.
国民総幸福は国民総生産より大切である。
 その内容について、ドルジェ・ワンモ・ワンチュック王妃はこう語っておられます。
 きわめてわかりやすくいえば、GNH(国民総幸福)の立脚点は、人間は物質的な富だけでは幸福になれず、充足感も満足感も抱けない、そして経済的発展および近代化は人々の生活の質および伝統的価値を犠牲にするものであってはならない、という信念です。GNHを達成するために、政策的にいくつかの優先分野が設けられました。繁栄が、国のすべての地域に、社会のすべての分野に共有される公平な社会経済開発、汚染のない環境の保護および促進、ブータンのユニークな文化遺産の保存および発展、民衆参加型の責任ある良い政治。これが国王の政策の基本的なアイデアです。
 そして国王が主導して、こうした理念を実際に実現してきたのがブータンなのですね。例えば国土に占める森林の割合が60%を下回らないこと、環境を劣化させ、野生の動植物の生態を脅かす工業・商業活動の禁止などを、法律で定める。あるいは道路開発の決定権は地域住民がもち、「わたしたち自身のペースで、わたしたちの必要に応じて、わたしたちがそうすべき時」だと思ったら建設を行う。またブータンの水力発電所はすべて、日本に見られる巨大なダムを造って河川をせき止め、貯水した水をその地点で落下させて発電する「多目的ダム」ではなく、上流の小さな堰から山腹に設けられた長いトンネル(導水路)を通して下流の発電所まで水を導き、そこで落下させて発電し、その水をまたしえもトンネル(放流路)を通じてさらに下流で元の川に戻す「流れ込み式」だそうです。これだと、建築費も少なく、土砂の堆積が少ないため寿命も長く、環境破壊も少なく、ましてや村々を湖底に沈めてしまうこともありません。へえー、核(原子力)発電所をすべて即刻廃棄して、この方式の水力発電に切り替えるという選択肢はありえないのでしょうか。また、国民の政治参加意識を涵養するため、在位中に退位し、さらに議会制民主主義への道をしいたのも第四代ジクメ・シンゲ・ワンチュック国王です。

 こうしてみると、われわれがブータンに学ぶべき事がたくさんたくさんあると思います。さきほどの王妃の言葉を参考にしながら考えると、今、財界がバックアップして自民党・公明党および官僚が行っている政治の理念はGNU(国民総不幸)ですね。大企業と大都市だけを繁栄させる不公平な社会経済開発、環境破壊の黙認、そして民衆を参加させない官僚・政治家主導のいかがわしい政治。本書が多くの人に読まれ、GNHとGHU、どちらを選ぶのか真剣に考えるきっかけになってほしいと思います。この国にあふれる閉塞感を吹き飛ばす可能性を感じさせる一陣の薫風にたとえましょう、お薦めの一冊です。

 追記。こんな一文がありましたが、これは人類の田舎者気質の最後の対処策・楽観的知恵でもありますね。
 好ましくない事態を前にして、それを回避する対処策も尽き、もはや避けられそうになくなった時、「そのことを考えないようにすれば、ひょっとしてそのことは起こらなくなるかもしれない」と思うのが、ブータン人の田舎者気質の最後の対処策であり、楽観的知恵である。

by sabasaba13 | 2008-09-12 06:05 | | Comments(0)
<< 富嶽百景 瀬戸内編(9):祝島(08.2) >>