瀬戸内編(12):室津(08.2)

 さて船の出航時刻は12:30、そろそろ港へ戻りましょう。今歩いて来た道を戻り、一時間ほど歩いて宿に到着。ご主人に丁重にお礼を言ってお別れです。そして港へ行き船に乗り込みました。定刻通り船は出航、これで祝島とはお別れです。再見!
c0051620_633290.jpg

 さて柳井へは戻らずに、祝島から40分ほどのところにある半島の港町・室津で途中下船をしました。お目当ては四階楼です。船を下りて、係員の方に所在を訊ねると、海沿いの道を右手に歩けばすぐだということです。さっそく行ってみましょう。少し歩くと左手に「五卿の宿・肥後屋跡」という石碑がありました。1863(文久3)年8月18日の政変で、京都を追われ長州に向かった三条実美ら尊攘派七公卿のうち三人が、翌年薩摩・会津を追い落とすため長州軍ともに京都に攻め上る際には五人が宿泊した肥後屋という本陣がここにあったそうです。そしてそのすぐ先に、1879(明治12)年に建てられた、擬洋風木造四階建の四階楼が見えてきました。何ともはや、どんどんどんどんと重箱を四つ積み上げたようなユニークな形状の物件です。施主はこの地で活躍した維新志士・小方兼九郎で、迎賓のためにつくったとのこと。
c0051620_64075.jpg

 左隣にある郷土史学習館に入ると、無料で内部を見学できました。唐獅子牡丹を描いた巨大な鏝絵には、目を見張ります。そして圧巻は四階部分にある畳敷きの大広間。四方に配置された縦長の窓には、色鮮やかなステンドグラスが配されており、天井には鳳凰の彫刻が取り付けられています。いやはや、当時の人はこれを見てぶっとんだでしょうね。「とにかく目立つものをつくっちゃえ」という小方兼九郎の意気込みがひしひしと伝わってきました。なお彼は長州奇兵隊の参謀として活躍した後、郷里の室津に戻り、汽船宿の経営にあたり村会議員にもなったそうです。なおこちらの学習館には、室津に立ち寄った朝鮮通信使が書いた扁額も展示されていました。
c0051620_642961.jpg

 さてここからバスで柳井に向かいますが、少々時間があるので町を散策しましょう。幸い、郷土史学習館で室津・上関の案内地図をもらえました。半島の先にある室津とすぐ向かいの長島にある上関、古来ともに風待ち・潮待ちの港として繁栄したそうです。室津上関さおさしゃ届く、なぜに届かぬ我が想い、という高杉晋作の唄もあるそうな。今では橋がかかっているのですが、時間の関係で上関の徘徊は省略。室津の地図に載っていた「旧映画館寿座」と「昔のいなり湯」に行ってみることにしました。しかあし、いずれも跡形もありませんでした。古い映画館や銭湯は観光の目玉になりそうな予感を感じているのですが、惜しいことです。諸般の事情があるのかないのかわかりませんが、壊したら二度と取り返せないものなのにね。途中に六角井戸がありました。平戸に同型のものがあり、王直や倭寇と関係があるという話を聞いたことがあります。今調べてみると、水不足で悩んでいる村に立ち寄った弘法大師が、手に持った六角の錫杖で地面を突くと水が湧き出でてきた、という伝承も各地にあるそうです。ちょっと気になるので、これは解説板がほしいところ。なお「原発に反対し上関町の安全と発展を考える会」という看板を見かけました。
c0051620_645876.jpg


 本日の一枚です。
c0051620_651931.jpg

by sabasaba13 | 2008-09-17 06:06 | 山陽 | Comments(0)
<< 瀬戸内編(13):室積~周防大... 瀬戸内編(11):祝島(08.2) >>