瀬戸内編(18):江田島海軍兵学校(08.2)

 それではこの間を利用して、かつてここにあった海軍兵学校について説明しましょう。1888(明治21)年、東京築地にあった海軍兵学校が江田島に移転し、ここ江田島において、海軍兵学校生徒の教育が開始されました。当初生徒は表桟橋に係留された学習船「東京丸」で起居していましたが、1893(明治26)年に赤レンガの生徒館が完成し、以後、1945(昭和20)年12月1日に閉校となるまで、57年間にわたり、海軍士官養成の場となったわけです。(ちなみに訪問のお目当てはこの赤レンガ生徒館と大講堂) よって「江田島」と言えば海軍兵学校の代名詞。そして海軍兵学校卒業者は独特の仲間意識によって支えられ、下士官・兵とは意識のうえでも、また待遇のうえでも截然と区別された将校集団を形成しました。敗戦後は、11年間にわたり、米・英軍等が進駐、こうした施設を使用しましたが、1956(昭和31)年、海上自衛隊が施設を引き継ぎ、横須賀から術科学校が移転、翌年には海上自衛隊幹部候補生学校が独立開校し、そして翌々年には、海上自衛隊第一術科学校が発足したそうです。なお第一術科学校では幹部および海曹士自衛官に対し砲術、水雷、掃海、航海、通信等の術科教育や関連する調査研究を行っているとのこと。
 さて開始時間になると、いかにも海上自衛隊一筋という印象の屈強な初老男性と、若々しいというより幼い感じの自衛官の二人連れが入ってきました。彼曰く、この生徒は中学校を卒業してすぐ入学したばかりだが、もう中卒入学というルートは彼の代を最後にしてなくなったそうです。18歳未満の子供に銃を持たせないという国際条約を日本政府が批准したためとのこと。よかよか。どうやら若い自衛官がたどたどしく初々しく説明をし、それを初老の自衛官が補足し、半畳を入れて笑いをとるという構成のようです。それでは出発、あ、そうそう、校内では仮設の教育参考館内の展示物以外は、写真撮影はNo problemです。
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 まずは鉄骨煉瓦石造の大講堂へ。ここは1917(大正6)年に兵学校生徒の入校式、卒業式また精神教育の場として建築されたそうです。約2000名の収容能力があり、現在は幹部候補生、自衛隊生徒等の入校式、卒業式等儀式に使用されています。内部は音がよく響く大きな吹き抜けとなっており、正面には天皇が坐る玉座が設けられていました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2008-09-26 05:45 | 山陽 | Comments(0)
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