散歩の変人
2024-03-19T06:33:44+09:00
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地球を彷徨し、本と音楽の海を漂う
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京都観桜編(7):東山(18.3)
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2024-03-19T06:33:00+09:00
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京都
そして南禅寺へ、こちらも満開の桜が咲き誇っていました。
哲学の道へ行く途中にあった喫茶店「サンタムール」で朝食をとることにしました。フルーツいっぱいの美味しいモーニング・サービスを堪能。なおご主人はサラリーマンで、土日のみ店を営業されているそうです。東京の西麻布へよく出張するが、喫茶店に入ったらモーニング・サービスが1200円、高すぎると憤慨されていました。ちなみにこのお店は600円でした。
哲学の道でも満開の桜を満喫。桜を愛でながら銀閣寺までそぞろ歩きました。
西田幾多郎の碑があったのですね、初めて気づきました。
人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行なり 寸心 コノ歌ハ西田幾多郎先生晩年ノ作デ書ハ昭和十四年ノ自筆ニヨッタ 人生ノ指針ヲ示シタ碩学ノ教エトシテ哲学ノ道ヲ散策スル人々ニ愛唱シテホシイ チナミニ寸心トハ先生ノ居士号デアル
昭和五十六年五月
「京都で二番目に美味しい ほんまもんのわらび餅」という看板もありました。一番美味しいわらび餅はどこにあるのだろう?
銀閣寺参道の桜も見事ですね。
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京都観桜編(6):嵐山公園(18.3)
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2024-03-18T07:12:00+09:00
2024-03-18T07:12:58+09:00
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京都
それでは塒に帰りましょう。自転車を返却し、延長料金を支払おうとしたら、おじさんは「ええから、ええから」と受け取りません。なんて良い人なんだ、ありがとうございました。おまけに駅の足湯200円の券とタオルをくれました。感謝感激雨霰。さっそくホームにある足湯に浸かってほっこりとしました。
嵐電に乗って嵐電天神川駅で地下鉄東西線に乗り換えて山科駅へ、また京阪京津線に乗り換えてびわ湖浜大津駅へ。浜大津駅のタクシー乗り場に客待ちの車がなかったので、歩いてJR大津駅に行くことにしました。途中にあった「下田屋」で夕食。
しめ鯖
サラダ
近江牛の煮込み
近江牛の石焼き
串かつ
近江黒鶏のもも焼き
焼きうどん
大津駅前には満開の桜、夜空に満月。
そして今夜の塒「ホテルテトラ大津」にチェックイン。さっそく窓からJR大津駅を見おろしましたが、屋根がじゃまでよく見えません。働く駅員さんの姿もありません。ツェルマット駅とは違うなあ。「真下に電車 トレインビュープラン」はもう利用することはないでしょう。
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京都観桜編(5):嵯峨野(18.3)
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2024-03-17T07:35:00+09:00
2024-03-17T07:35:25+09:00
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京都
二尊院も同様。
二尊院のとなりにある久遠寺は塀ごしに見事な桜が見られるのですが、残念ながら一般公開はされていません。
常寂光寺も同様。
ただこちらには気になるモニュメントが三つあったので、後学のため転記しておきます。まずは「女ひとり生き ここに平和を希う」という石碑です。
碑文を転記します。
1930年代に端を発した第二次世界大戦には、二百万にのぼる若者が戦場で生命を失いました。その陰にあって、それらの若者と結ばれるはずであった多くの女性が、独身のまま自立の道を生きることになりました。その数は五十万余ともいわれます。女性のひとりだちには困難の多い当時の社会にあって、これらの女性たちは懸命に生きてきました。
今、ここに、ひとり生きた女の"あかし"を記し、戦争を二度と繰返してはならない戒めとして後世に傳えたいと切に希います。さらに、この碑が今後ひとり生きる女性たちへの語りかけの場となることを期待します。
この碑は、独身女性の連帯の組織である独身婦人連盟の会員が中心となって、常寂光寺の支援のもとに建立しました。 碑文揮毫 参議院議員市川房枝
1979年12月 女の碑の会
戦争は、こういう形でも女性たちに犠牲を強いたのですね。そして忘れてならないのは、近代の日本社会は、女性を犠牲にすることによって戦争を可能にする強大な軍事力を築きあげたということです。『週刊金曜日』(№1403 22.12.2)から引用します。
「働く」からいまを見つめる 8 働き手を食いつぶす軍事費という放蕩息子 竹信三恵子 「戦争する国」だった戦前の日本の軍事費は、平時から一貫して3割、4割を占め、ほぼ10年ごとに起きる戦争のたびに、それが7割から8割にまで跳ね上がっていた。図表には収まり切らなかったが、日清戦争が起きた1894年にも69・4%、日露戦争が起きた1904年には81・9%にのぼる(帝国書院「歴史統計」サイトから)。
こんな社会で社会保障に回せるカネがひねり出せるわけがなく、保育も介護も、困窮からの救済も、基本的に「戸主」の自己責任となる。その手足とされたのが女性だ。女性に社会進出などされては、家庭内での無償の保育や介護を、公費で代替しなければならなくなる。だから、女性は無権利状態のまま家庭内に留め置かれた。「家」制度と性差別は、こうした低福祉社会の土台だった。(p.42~3)
そして戦後の日本社会は、同じく女性を犠牲にすることによって、経済成長という見えない戦争を戦ってきました。『女性不況サバイバル』(竹信三恵子 岩波新書1981)からの引用です。
つまり、女性は、家庭内で無償労働を担って社会保障費を抑え込む要員とされ、男性は、これを「扶養」する重圧に耐える代わりに、「世帯主」という仕掛けを通じ、給付金など女性に入ってくるカネを管理する立場を与えられるということです。「女性の無償労働力を維持することで成り立ってきた国の諸政策の下請け役」とでも言いましょうか。(p.236)
戦争であれ、経済成長であれ、女性を犠牲にしないと維持できないシステムから一刻も早く脱却すべきです。そして女性も、障碍者も、過疎地域も、高齢者も、子供や若者も、外国人も、誰も犠牲にならず皆が幸せになれるシステムを構築しましょう。
二つ目は、砂田明の記念碑です。
碑文を転記します。
「あねさん。魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんをただで、我がいると思うしことってその日を暮らす。これより以上の栄華のどけえいけばあろうかい。」
石牟礼道子原作 砂田明脚色
現代夢幻能「天の魚」 砂田明は1928年京都に生まれる。47年神戸高等商船学校卒業後上京、新劇俳優としての活動を始める。70年石牟礼道子「苦海浄土」に触発されて水俣巡礼行脚。72年水俣に移住。75年「祖さまの郷土水俣より」を上梓。79年袋神川に生類合祀廟「乙女塚」を建立。一人芝居「天の魚」の全国勧進行脚を始める。81年紀伊国屋演劇賞特別賞を受賞。82年金城実作「海の母子像」を水俣、沖縄、長崎等に建立する運動を始める。詩劇「鎮魂歌」を上演。92年「天の魚」上演実に556回に及んだところで病を得、93年享年65才で没す。
当山志縁廟への納骨を機縁に、故人を敬愛する多くの人々相集い金城実作のレリーフでこの記念碑をつくる。
1997年4月吉日
石牟礼道子が現代夢幻能をつくったことは知っていましたが、それを一人芝居で演じた砂田明という俳優の存在は知りませんでした。不勉強ですね。彼の名前は頭にしっかりとインプットしておきます。
三つめは『塵劫記』の記念碑です。
碑文を転記します。
塵劫記の著者吉田光由幼名与七のち七兵衛久菴と号した 京都嵯峨の角倉家の一員である 寛文十二年十一月廿一日没 寿七十五 詳略数種の塵劫記を刊行し草創期のわが国算学の発展に貢献した 以後の珠算書及び算学書はほとんどこれにならった また兄光長とともに数学と土木技術を駆使し菖蒲谷隧道を通して嵯峨の地をうるおした
塵劫記刊行三百五十年を記念し角倉家ゆかりの常寂光寺にこの顕彰の碑を建てる
昭和五十二年十月十日
塵劫記に吉田光由か、懐かしいですね。大学受験のときに一所懸命暗記した覚えがあります。彼が角倉家の一員だとは知りませんでした。でも富士川や高瀬川の開削をしたのが角倉家ですから、そうした土木工事を行なうにあたって必要な数学や計算を吉田光由に学ばせたのかもしれません。歴史の奥は深い。
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労働組合への弾圧
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2024-03-16T05:58:00+09:00
2024-03-16T05:58:51+09:00
2024-03-16T05:58:51+09:00
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鶏肋
さらに太田氏は、この国の近未来を予見します。このまま過酷な労働条件が続き、格差社会が耐えられないものになると、労働運動や反貧困の民衆運動が激化する可能性・危険性が高い。それを恐怖する財界・政府の意を呈した警察権力は、労働運動への峻烈な弾圧を行なうに違いない、と。いやこれは近未来の話ではありません。関生支部への弾圧など、警察による労働運動への弾圧はもうすでに始まっています。心してかからねば。
「関生支部」と、それに対する弾圧について触れておきましょう。長文ですが、とてもとても大切なことなのであえて引用します。じっくりと読んでいただけると幸甚です。
『週刊金曜日』(№1417 23.3.24)
警察・検察による産業労働組合「関生支部」弾圧事件(上) 中川七海・渡辺周 警察と検察が一体となって、労働組合を弾圧している。弾圧されているのは、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(関生支部)だ。関西で生コンを運ぶミキサー車の運転手らでつくる労組で、幹部と組合員が次々に逮捕されている。2018年からの逮捕者数は、延べ89人に上る。検察の取り調べでは組合の運動を「どんどん削っていく」と脅した。23年3月2日には大津地裁で、組合トップの湯川裕司委員長に対して実刑4年の判決が下った。一連の弾圧により、1300人いた組合員は600人にまで減った。
関生支部は、賃金アップや休日の取得など組合員たちの暮らしを豊かにいてきた。憲法で認められた労働組合の権利に基づいて活動しただけである。
なぜ、警察と検察は躍起になって関生支部を弾圧するのか。2週にわたってお届けする。
関生支部の湯川裕司委員長らに判決が下る3月2日。大津地裁の傍聴席は、労組の関係者や、生コン業者、マスコミの記者ら約70人でいっぱいになった。
畑山靖裁判長は、判決の言い渡しを後回しにして、裁判所として認定した事実から述べ始めた。ようやく主文を読み上げたのは、2時間後だ。
「被告人、湯川裕司を懲役4年に処する」
実刑判決に、傍聴席がどよめいた。他の組合幹部ら5人も、執行猶予つきで、懲役1年~3年の判決だった。生コン業者や建設会社に対し、「工事現場において軽微な不備を指摘する活動」を繰り返したことなどが、業務の妨害や脅迫にあたると認定した。
だが、関生支部にとっては工事現場での不備を指摘することは重要だ。些細なミスであっても積み重なれば大事故につながることがあるからだ。これは労働災害を防ぐために、米国のハーバート・ウィリアム・ハインリッヒが提唱した「ハインリッヒの法則」として知られる。この法則によると、1件の重大事故に対して29件の軽微な事故と300件の異常がある。働く人の安全を守る労働組合としては、たとえ裁判所が「軽微な不備」として片付けても、現場で改善を求める活動は必要だ。
実刑判決が下っても、湯川委員長はまっすぐ前を見て表情を変えない。職員に連れられ、法廷を後にした。
傍聴席から、畑山裁判長に向かって叫ぶ人もいた。
「それでも法曹か!」「憲法28条で保障された行動やないか!」「裁判官やめろ!」
畑山裁判長は退廷を命じることもなく、沈黙していた。
関生支部の組合員、松尾聖子さんはこの日の裁判を傍聴していた。判決後、涙をこらえながら悔しがった。
「労組の活動してただけやん。なんで、警察と検察の言う通りに有罪になるねん」
松尾さんは、今から24年前の1999年2月、生コンのミキサー車の運転手として働き始めた。シングルマザーで、1歳半の娘と、5歳になる双子の娘の、3人の子どもを育てていた。彼女自身は26歳だった。
「子どもを育てるために仕事を探しててんけど、幼い子どもがおったらなかなか採用されんかった。性格的に、水商売もできへんし。そんな時に友人に紹介してもらったのが、ミキサー車の運転手やったんです」
関生支部には、しばらくして加入した。労働組合について何も知らなかった松尾さんだが、憲法や法律を一から学び労働者の権利の重要性を知った。京都と滋賀にまたがる、関生支部の京津ブロックで書記長にも就任した。
労組の働きかけで給料は上がり、2007年には日雇いから正社員になることができた。
ところが18年、組合への弾圧が始まった。警察は、組合員が労働条件の是正を求めて行なう交渉やビラ配り、ストライキを恐喝未遂や威力業務妨害とみなし、逮捕し始めたのだ。
19年4月19日朝6時前、松尾さんの自宅のインターホンが鳴った。警察官6人が突然やってきた。
「私と同じ関生支部の組合員やった義兄が逮捕され、捜査対象になったんです。男性の警察官がズカズカと家に入ってきました」
警察官はまず、玄関に置いてあったゴミ袋を開け、中を調べ始めた。クローゼットから風呂場の収納まで家の中すべてを捜索した。
警察官は、松尾さんの下着の入った棚の引き出しまでガッと開けた。松尾さんは「やめてください。そこに何があるって言うんですか」と抗議した。だが、警察官は聞く耳をもたない。中に手を入れて物色した。
松尾さんをはじめ多くの組合員が同じような目に遭った。弾圧を恐れ、約700人が組合を去った。だが松尾さんは組合を辞めない。
「労働組合の活動は、労働者が声をあげる手段ですよね。警察や検察がおかしくても、私は泣き寝入りはしたくない」
関生支部を徹底的に弾圧する姿勢は、検察の取り調べにも表れている。
18年8月9日、多田尚史副検事(現在は検事)は組合員への取り調べでこう述べた。「連帯」というのは関生支部のことを指す。
「私は一人でやってるわけじゃない。警察と検察官は何人もいるからね」「連帯をきちっと削ってくださいという話もある。当然やりますよ。これからどんどん削っていきますよ」
同年11~12月にかけては、横麻由子検事が取り調べを通じて組合からの脱退を迫った。
「連帯の労組員を続ける気持ちは変わらないんでしょうか。今後も同じ活動を続けていたら、同じことになる。同じ状況になっても続けていく意味はあるんですか」
なぜ、関生支部が狙われるのか。次回、報じる。(p.30~1)
『週刊金曜日』(№1418 23.3.31)
警察・検察による産業労働組合「関生支部」弾圧事件(下) 中川七海・渡辺周 日本にある労働組合は、ほとんどが「企業内労働組合」だ。主に大企業のなかにあり、その企業に入社した際に加入する。経営側に求めるのは、自社の社員の給与アップや福利厚生。業界全体のことは考えない。
しかも企業内労働組合の幹部は、任期が終われば再び社内の人事システムに組み込まれる。自分の出世を気にして経営側と馴れ合うことがしばしばだ。企業内労働組合が経営側とまともに闘うことはほとんどない。会社にとって都合のよい、形だけの労働組合なのだ。
これに対して関生支部のような産業別労働組合は根本的に仕組みが違う。所属する会社の垣根を超えて、同業者の労働者たちが個人の資格で加盟する。同じ業種に携わる労働者全体の待遇改善のために、組合の執行部は経営側と闘う。
労働者の立場が経営側よりも弱いという前提があるからこそ、労働者は団結する権利が認められている。そう考えると、同じ業界の労働者が連帯して経営側に対抗できる産業労働組合こそが、本来の労働組合だといえる。
関生支部は1965年、183人の組合員で結成された。生コンを運ぶミキサー車の運転手や、重機のオペレーターらが加入する全国組織「全日本建設運輸連帯労働組合」の支部として活動してきた。
73年からのオイルショックで業界内の倒産や解雇が多発した際には、企業との間で労働協約を締結し、労働者たちの権利を守った。賃金アップや、非正規労働者の正社員化も実現してきた。
81年には、約3000人の組合員からなる産業労働組合に成長した。だが組織の拡大に伴い、経営側の危機感は募る。
三菱鉱業セメント社長などを歴任し、79年~87年には日経連(現・経団連)の会長を務めた大槻文平氏は、関生支部の活動について次のように語っている。
「箱根の山を越えさせない」
「資本主義の根幹にかかわる」
大槻会長の日経連での任期と時期を同じくして、捜査当局による関生支部への弾圧が始まる。80年~83年にかけ、19件の活動で幹部らが摘発された。
その後も弾圧は続く。2005年には大阪府警が当時の武健一委員長ら関生支部の幹部7人を逮捕した。
そして18年から始まった今回の弾圧。逮捕者数は延べ89人に上り、湯川裕司委員長には大津地裁で実刑判決が下された。関生支部が発足して以来、最大規模だ。関西一円の警察が一斉に捜査に乗り出した。
その本気度は、検察の取り調べにも表れている。
18年8月9日、多田尚史副検事(現在は検事)は組合員への取り調べでこう述べた。「連帯」というのは、関生支部のことを指す。
「私は一人でやっているわけじゃない。警察と検察官は何人もいるからね」
「連帯をきちっと削ってくださいという話もある。当然やりますよ。これからどんどん削っていきますよ」
同年11月~12月にかけては、横麻由子検事が取り調べを通じて組合からの脱退を迫った。
「連帯の労組員を続ける気持ちは変わらないんでしょうか。今後も同じ活動を続けていたら、同じことになる。同じ状況になっても続けていく意味はあるんですか」
なぜ今、最大の弾圧なのか。
私は産業労働組合への政治・経済権力の警戒感がかつてなく高まっているからではないかと考える。
背景には非正規労働者が増え、給与も上がらない日本の経済状況がある。
22年の非正規労働者は2101万人。労働者全体の4割近くだ。1990年の非正規労働者は881万人だったから、約30年で約2・4倍に増えたことになる。
年間給与も90年には平均463万円だったが、2020年は433万円に下がっている。
この状況では、労働者が産業労働組合で活動するようになる可能性は高まる。関生支部への弾圧は、そうした動きを牽制するための「見せしめ」ではないだろうか。
だがこうした警察と検察による弾圧に、待ったをかける裁判所が出てきた。大阪高裁である。
23年3月6日、大阪高裁は、関生支部の武谷新吾・書記次長ら3人に無罪を言い渡したのだ。一審の和歌山地裁では、威力業務妨害で次のように述べている。
「産業別労働組合である関生支部は、業界企業の経営者・使用者あるいはその団体と、労働関係上の当事者にあたるというべきだから、憲法28条の団結権等の保障を受け、これを真折るための正当な行為は、違法性が阻却される」
大阪高裁は21年12月にも、京都地裁で有罪判決が下った関生支部の組合員に逆転無罪を出している。
代理人として、国を相手取って訴訟を起こしている弁護士たちもいる。海渡雄一、太田健義、萩尾健太、木下徹郎、小川隆太郎の各氏だ。18年以降の関生支部の組合員たちの逮捕や起訴を「ありとあらゆる不当な刑事訴追が繰り広げられている」と主張している。
Tansaも、捜査当局による関生支部組合員の逮捕・起訴は、労働者運動への弾圧であると捉える。今回の弾圧が誰の意思と指示により行なわれているのか。その中枢を特定するため取材を続ける。
これは関生支部だけの問題ではない。非正規労働者が増え、賃金が下がり、生活が苦しくなるこの国で生きる全ての人々にとっての問題である。(p.42~3)
そう、財界が政府とつるみ、警察・検察を動かして労働組合を弾圧する。これは小説の世界ではなく、現実に起きていることなのです。労働者を低賃金かつ劣悪な労働条件で酷使して利益をあげたい財界にとって、もっとも恐ろしいのは労働者の団結であるということがわかります。よろしい、古代中国人の智慧を実践しましょう。
自分が一番したいことはするな。敵がもっとも嫌がることをせよ。]]>
『未明の砦』
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2024-03-15T06:09:00+09:00
2024-03-15T06:09:15+09:00
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本
2023年も小説、詩集、専門書、随筆などなどいろいろな本を読みました。その中で五指に入れたい一冊が『未明の砦』(太田愛 角川書店)という小説です。以前に拙ブログで『天上の葦』という傑作を紹介しましたが、その次の作品がなかなか発表されずやきもきしておりました。一日千秋の思い待ち焦がれましたが、ようやく刊行の運びとなりました。即時購入し、残りページが少なくなるのを惜しみながら、一気呵成に読了。読書の醍醐味を心から満喫しました。抜群のストーリー・テリング、張り巡らされた伏線とそれが解きほぐされていく快感、登場人物たちの絡み合いと性格描写の面白さ、随所にちりばめられたユーモア。『天上の葦』と甲乙つけがたい傑作ですが、テーマの重要性という点で本作に軍配をあげましょう。現代日本の暗部と恥部、われわれの命と暮らしを脅かす労働問題と、財界による苛烈な搾取、そしてそれを支える政治の腐敗と警察権力の暗躍がそのテーマです。
主人公は矢上達也、脇隼人、秋山宏典、泉原順平という四人の非正規工員。舞台は、ユシマというグローバル自動車企業とその工場。これは参考文献を見ると、明らかにトヨタをなぞっています。日々の過酷な労働と劣悪な労働条件の克明な描写も鮮烈です。疲労のために何も考えられず休日は宿舎に閉じこもってスマートフォンと戯れる彼らを、ベテラン正規工員の玄羽昭一は夏休みに千葉県の実家に誘って合宿を行ないます。現状に疑問と怒りをも四人を見込んで、彼らを立ち上がらせようとするためですね。そこにあった蔵書で労働者の闘いの歴史を学び、蒙を啓かれた四人。彼らを知的に刺激する、リリアン・ギッシュに似た崇像(むなかた)朱鷺子という地元の老女も魅力的です。
朱鷺子の性格を考えれば、黙ってその姿を見せることで若い四人を導いたのではなく、無知は恥であると面罵したのではなかろうか。(p.242~3)
しかしその玄羽が工場の劣悪な労働環境のせいで倒れて見殺しにされ、しかも労災に認定されません。人間を使い捨てるユシマに怒った四人は、ユニオン(個人で加入できる労働組合)の相談員・國木田莞慈や専従・岸本彰子の助けを借りながら、新しい労働組合を立ち上げ、ストライキによってユシマに闘いを挑みます。これに対してユシマはさまざまな妨害や嫌がらせを行ない、社長・柚島庸蔵は与党の政治家を通して警察を動かし、あろうことか警察は四人に共謀罪の濡れ衣を着せて指名手配にしてしまいます。さあ人間の尊厳をかけたこの闘いの結末はいかに。
この血湧き肉踊るストーリーに、四人の思いに共感を覚える刑事・藪下哲夫と小坂剛の凸凹コンビ、ジャーナリストの溝淵久志と玉井登の「ブチタマ」コンビ、社員の日夏康章と灰田聡、派遣警備員・山崎武治と派遣清掃員・仙場南美といった多彩な脇役の動きが絡み、物語をより豊穣なものにしていきます。
また現状を鋭く批判する著者のメッセージが作中にちりばめられているのも、読みどころです。例えば、労働者を酷使し使い捨てて利益をあげる大企業。
「國木田さん、俺たちの身にもなって下さいよ」と、秋山は悲しげな声をあげた。「一日中働いてくたくたになって、たまの休みの日にリアルデモする余力なんてないですよ」
「それが使う側の思う壺なんだ。言われるままに働くから、働かせたいだけ働かせてくたくたにして、ものを考える時間など与えない…」 (p.345) 「君は利口なんだね」
「別にそうは思いませんけど、でも世の中って、要は自分の力でどう人を出し抜いて、せり上がっていくかってもんじゃないですか。自分の身は自分で守るしかないわけですから」
日夏は来栖に微笑を返しながら腹の中で呟いた。君のような貧しい若者がそう思ってくれることが、雇用主にとっては一番ありがたいんだよ。貧しい若者同士のより卑劣で過酷な精神のダンピング合戦になるんだから。(p.366) 矢上は大きな声で問いかけた。
「今、ここにいる工員の中に、本気であんな賃金制度を望んでいる者がいるのか。本気で〈人物力〉で自分の価値を測られたい者はいるのか」
線のある制帽もない制帽も、庇が斜め下に傾くのが矢上にはわかった。もう決まってしまったのだから、できるだけ考えないようにしてきたことなのだ。だがそれではユシマの思う壺なのだ。気がはやり、矢上は緊張で唇が乾いているのを感じた。
「あれが始まれば、自分以外の全員が敵になる。あいつよりも、こいつよりも、もっとやる気をアピールしなければ、熱意を見せなければ評価してもらえない。すぐにどんな無茶も理不尽も先を争って引き受けるようになる。そうやって際限なく競わされるんだ。それも、体か神経か、あるいは両方が壊れるまで、ずっとだ。そこまでやっても賞与は一円も出ないかもしれないし、昇給もゼロかもしれない。俺たち非正規にいたっては、これまで通り働いても、いくら金が入るのかまったく示されていない。こんなふざけた話があるか」 (p.445) 「俺たちは、心と感情を持った生きた人間なんだ」
矢上はそう言うと、かつて玄羽がいた持ち場に目をやった。作業着を着て制帽を被った玄羽の姿が目に浮かぶようだった。
「人間は仲間の死をなかったことにはしない。この工場が、玄さんの鼓動を止めた。まだ小さい子供のいた小杉圭太の鼓動も止めた。それなのに、ユシマの心臓は平然と鼓動を打ち続けている。このラインのタクトがユシマの鼓動だ。正確に、必要なだけ、秒単位で血液のように自動車を送り出すユシマの心臓の鼓動だ」
矢上は両腕を広げて工員たちの視線をラインへと導くと、ひときわ声を張った。
「この鼓動のために、これからも労働者の鼓動が止まるだろう。それでもユシマは労災を認めず、労働者の死を無視する。それなら俺たちがユシマの鼓動を止める」
静まり返った工場に、誰かが驚いて息を吸い込む音が響いた。組長の市原が愕然とした様子で呟いた。
「まさか、ストライキをするつもりか…」 (p.578) しかし今、矢上は自分にも大勢の工員にも聞こえる声をあげていた。
「想像してみてくれないか。労働者はどんな理不尽にも決して抗うことなく、黙って命も惜しまずに働く。そうできない者は落伍者か犯罪者になる。今の子供たちが大人になった時、そんな世界で生きてほしいと思うか」 (p.582)
そして労働者を容易に搾取できる体制を維持するために、与党に政治献金を提供する大企業。それを平然と受け取り、労働者の人権を無視して見殺しにする政府与党。両者の癒着と共犯関係についても鋭いメスが入ります。昨今、自民党のパーティー券に関する疑惑が大きく取り沙汰されていますが、政治献金を提供することによってこうした非人間的な体制を維持させようとする大企業の責任をもっと追究すべきだと考えます。メディアの調査報道に期待します。
「さっきの話では、その法改正は、企業が非正規を使い倒すのを規制しようって趣旨があったはずですよね。それなのにどうしてですか」
「おまえたちが学校で習ったとおり、法律を審議して制定するのは国会の役割で、法改正も同じだ。だが改正案が国会に提出される以前に所管庁、この場合は厚生労働省だが、そこに招集された分科会等で具体的な内容までほぼ固められていることも少なくない。労働法の改正の場合、その種の中枢メンバーには必ず、財界の意向を反映すべく大企業の役員クラスが名を連ねている。そして、そいつらと結びついた政治家が肝心なところで常に財界に有利になるように立ち働く」
「もちろん政治家には見返りがあるわけですね」
矢上は語尾を上げずに玄羽の目を見た。
「ああ、それも大手を振って受け取れる見返りがな。大企業を中心に構成された利益団体は長いあいだ、政党別に政策を評価してそれを発表してきた。そして、その評価をもとに団体に加盟している企業に堂々と献金を呼びかけてきた。おかげで、財界に都合の良い政策をやる党や政治家にどっさりと金が舞い込むようになった。これが批判を浴びて政治資金規正法が改正されたのが1994年。ようやっと企業や団体から政治家個人への献金が禁止された。だが、それでどうなったかといえば、政党支部を利用した迂回献金やパーティー券の購入を通じて相変わらず政治家に金が流れ続けているわけだ」 (p.117~8) この数十年、いやそれ以上のあいだ、中津川(※政権与党の幹事長)のような選挙しか頭にない高齢政治家がいかがわしい団体と平然と手を組み、利権に群がり、法と人事を弄び、これでもかというほど国を破壊し尽くしてきた。おかげで、今さら政治で国を立て直せるような悠長な時間は、この国には残されていないのだ。(p.333) 萩原は中津川に似た高齢政治家を大勢知っていた。共通しているのは、自分に尾を振らぬ犬とわかれば、官僚人事に横槍を入れて思い知らさねば済まない幼稚さだ。それこそ志半ばでそのような事態に見舞われることは避けねばならない。萩原は中津川の思い込みを利用することにした。
「先生の政治理念は存じ上げているつもりですよ」
おやっというふうに眉を上げた中津川に、萩原はあえてゆっくりと言った。
「〈あるべき我が国への回帰〉」
尾を振る子犬たちに囲まれた高齢政治家たちのあいだで、ある種の符牒のようにもてはやされている言葉を萩原が知らぬわけがなかった。
変化を忌み、どこまでも退嬰的になったあげく、戦前まで巻き戻ったかのような世界観、実際にはかつて一度も存在したことのない家父長制時代への過激なノスタルジーだ。そこでは子たるものは常に親を尊敬し、礼節を守り、偉い人の言うことをよく聞いて、女は女らしく、男は男らしく事があれば進んで戦場にも赴く。(p.334~5)
安倍政治に対する皮肉には快哉を叫びたくなりました。ブラーバ!
「五十畑は、自分の工場で起こったことは、自分でなんとかできると思っているようです。つまりは、習慣から抜け出せない。都合の悪いことはもみ消す。そうすればなかったことにできる。幼稚な為政者が範を垂れたおかげで、近年この国のいたるところで乱用されるようになった手法です。…」 (p.459)
財界と政治家の癒着と共犯関係がつくりだした日本社会の忌わしい状況にも、著者はきっちりと言及します。
自分のオフィスに戻り、パソコンのディスプレイに向かっても田所の言葉が耳に残っていた。
-お前も常々言ってたじゃないか。日本には民主主義は根づかなかったとな。
確かに、と萩原は思った。それは、この国の民主主義が国民の手で勝ち取られたものではなかったからだ。民主主義は人間の長い歴史の中で、民衆が王や宗主国などの巨大な権力と闘い、革命や戦争による犠牲も厭わずもぎ取ってきたものだ。しかし、この国はそうではない。広島、長崎と原爆と投下され、ようやく敗戦を迎えた後に、民主主義もまた投下されたのだ。
突如として、想像もしなかった景色が開けた。臣民が国民となって国家の主権を持ち、大人も子供も老人も国のために死ねと命じられることがなくなった。ひとりひとりの人権が保障され、女性に参政権が与えられ、労働組合法が作られ、国民は健康で文化的な生活を営む権利を有するまでになった。しかし、投下された民主主義が根づくことはついになかったのだ。
すでに選挙制度すらまともに機能していない。主権者の責任を果たしている者は半数そこそこで、結果として国の行き先を決めているのは無関心な者らなのだ。政治家という名の利権分配屋は何をしても処罰されることなく、もはや法治国家でさえなくなりつつある。
この国の人間には社会という概念がないのだ。あるのは帰属先だけ。自分のいる会社、自分のいる学校、自分のいる家族。顔の見える相手がいて息苦しい人間関係に縛られた帰属先しかない。そもそも社会という概念がないのだから、社会にどれほど醜悪な不正義や不公正が蔓延しようと、自分に実害がないかぎり無関係な事象でしかないのだ。
社会とは空気のようなものだ。生きるためには呼吸せねばならず、体のどこかは常に空気に触れている。だがこの国の人間は、その空気が不正義や不公正に汚染されて次第に臭気を放ち始めても、世の中はそんなものだと呟きながらどこまでも慣れていく。コロナ禍でいわれたようにこまめに手洗いするなど身体的な衛生観念は高いのだろうが、自分たちの社会に対する不潔耐性も極めて高いのだ。
時折、萩原はこの国にある規範は二つだけではないのかと思う。〈自己責任〉と〈迷惑〉だ。別に今に始まったことではない。江戸の昔から共助社会だったといわれているが、共同体からの助けは、ある種の辱めや罰と引き換えにしか与えられなかった。年貢を払えず村に助けてもらった農民が、米を提供してくれた人の家に入る時には門の手前で履き物を脱いで這うようして入れと命じられた例さえあった。おかげで、助けを求める屈辱よりも夜逃げを選ぶ家もあったという。
現在、衰退途上にあるこの国では、これから先、いつ助けを必要とする境遇に陥るかわからない人々が急速に増えていく。ところが、実際に自分がそうなるまでは、どのような人生を歩んできた人が、どのような事情で助けを必要とするようになったのか、考えようとすらしない。自分の仕事と食べ物と住み家があるのは、自分が努力したからだと信じて疑わない。だから、年貢のように取り立てられた税金を地位の高い人やそのお仲間が湯水のように使うのは気にしないが、自分より〈努力の足りない〉貧しい人間のためにそれが使われるのはどうにも我慢ならないのだ。
臆面もなく共有されるそのような意識が、この社会に夥しい数の静かな死を広げていく。誰にも助けを求めることなく、電気やガスがとめられた部屋でひっそりと死んでいく老いた姉妹。見捨てられ置き去りにされた子供。街の片隅で冷たくなって発見される老人、あるいは黙ってビルの屋上や駅のホームから飛び降りる男や女。
この社会の意識では、命は救えない。このままでは犠牲が出るのをとめられない。(p.514~6) 「おまえは矢上たち四人の行動を逐一、会社の誰かに報告してたんだろ。そこそこ上の方にいる人間で、鶴の一声でおまえを正社員にできるんだよな。そいつは誰だか教えてもらおうか」
来栖が目を潤ませ、小さく口を開けて喘ぎながら、必死に沈黙を守っていた。
「おまえも共謀罪の仲間の一人に加えようか。四人と一緒に活動してたんだからな。ホットドッグ屋の店主って証人もいるわけだし。それくらいは下っ端にだってできるんだぜ。警察はな、あったことをなかったことにできるし、なかったこともあったことにできる。もうわかっているよな?」
「そんな…戦時中じゃないんだから」
「ほう、利いた口をきくじゃないか」
薮下は来栖の肩に軽く手を置いて教え諭すように言った。
「だがな、おまえみたいに自分の目先の利益しか考えない人間が、上から下までわんさか増えたおかげで、今はな」
最期は怒声でしめくくられた。
「ほとんどもう戦時中なんだよ!」
薮下は本気で腹を立てていた。涙より先に、来栖の鼻腔から洟が垂れた。(p.542~3) 「小坂」と、薮下は小坂の肩を掴んででタイル張りの壁に押しつけた。「矢上たちは俺たちのことを知らない。じゃあ代わりに何を知ってる? 彼らが知ってるのは、力のある奴らが初めから法律に抜け穴を作って、あいつらみたいなのを食い物にしてもなんら咎められない現実だ。政府の偉い人間は不正を働いても嘘をついても、周りがみんな口裏を合わせてくれて罪には問われない、黒を白に変えられる、そういう世の中を子供の頃から見てきたんだ。そんな世の中では、力のない自分たちは、たとえ無実でも、力のある者たちが望めば罪に問われる。そう考えるのが現実的だと思わないか。そう考えた時、おまえならどうする」(p.565~6)
そしてこうした非人間的な日本社会の現状を、私たちにリアルに伝えないメディアにたいする舌鋒鋭い批判も見逃せません。
溝渕はどこかで読んだ格言を思い出した。曰く、専制主義的国家のメディアは、平時においては不都合な事実を隠蔽して消極的な虚偽情報を行う。だが戦時においては、事実を捏造して積極的に虚偽報道を行う。歴史の教訓である。(p.539) 萩原は、記者席でノートパソコンから目を上げることなくひたすらキーボードを打ち続ける報道陣を、まるで自動人形のようだと思いながら淡々と会見を行っていた。記者クラブに所属するこれら大手メディアの人間たちは為政者や官僚の口から出た文言をそのまま垂れ流すのに忙しく、その内容の真偽を検証することはまずないらしい。単なる拡声器のような役割を報道の職務と考えているのなら、いずれ淘汰される職業のひとつになるだろうが、今日はその拡声器の役目を存分に果たしてもらおうと萩原は考えていた。(p.586)
さらに太田氏は、この国の近未来を予見します。このまま過酷な労働条件が続き、格差社会が耐えられないものになると、労働運動や反貧困の民衆運動が激化する可能性・危険性が高い。それを恐怖する財界・政府の意を呈した警察権力は、労働運動への峻烈な弾圧を行なうに違いない、と。いやこれは近未来の話ではありません。関生支部への弾圧など、警察による労働運動への弾圧はもうすでに始まっています。心してかからねば。
この国ではこれから先、貧富の差が急激に拡大する。そして一握りの超富裕層と若干の富裕層、その他大勢の貧困層と極貧層へと分化する。この流れは加速し、想像を絶する格差が生まれる。社会は不安定になり、犯罪が増加する。共謀罪を始動させるのなら、そのタイミングだ。社会不安に乗じて大衆を扇動する者たちを一挙に叩くのだ。(p.480~2) 「だが新型コロナ禍以降、不当解雇や雇い止め、休業補償の未払い等が頻発し、助けを求める労働者を取り込んでユニオンや合同労組の労働運動が活発化している。労働争議の件数が増えれば社会問題として表面化する。そのあたりは非正規が労働人口の四割近くになれば、存在を無視できなくなったのと同じだ。しかし、このまま非正規が半数を超えれば、事は雪崩を打って大きく逆に傾く。貧者の方が多数派になるんだ。過激な労働運動が相次ぐ局面に我々は備えておかなければならない」
萩原は瞬時に理解し、愕然となった。
この機に労働運動全体に危険分子というレッテルを貼り、反社会的で暴力的なイメージを世間に刻印する。それが将来的にこの国の秩序と安寧を守るために肝要なことだと田所は考えているのだ。(p.512~3) 団体交渉を恐喝罪や強要罪、ストを威力業務妨害罪としてとりあえず逮捕するのは、労働運動を抑え込みたい時の警察の常套手段だ。その証拠に、逮捕されてもほとんど起訴には至らない。労働者の団結権、団体交渉権、争議権は憲法で保障されているので、法廷で有罪判決に持ち込むのは難しいからだ。逮捕イコール有罪ではない。つまり國木田に前科はない。以前、國木田自身が、自分たちの若い頃に前線に立っていた奴らは、誰でも何度か逮捕されていると笑いながら当時のことを話してくれた。
だが、警察が顔写真を出して逮捕歴を列挙すれば、世間はその人物が犯罪者であるという印象を抱く。矢上たち自身、何も知らない頃ならそう思ったに違いない。
警察は、矢上たち四人に反社会的で暴力的な集団であるというレッテルを貼るために、國木田の逮捕歴を利用したのだ。(p.531~2)
漆黒の闇に鎖された暗黒の日本。しかしそれを仄かに照らすいくつかの炬火を、著者は掲げてくれます。不条理で不公正な体制に対して怒ること。企業のために生きているのではないと自覚すること。闘う場所に立つこと。声をあげること。敵を見極めること。そして仲間と助け合うこと。
「より良い方向がある時、そちらに舵を切らなければ、おのずと悪い方向に進む。そう信じているだけだよ。現状維持は幻想だとね」
理不尽や不合理は、放置すれば惰性のまま時を歩み、その轍を深くし、いつしか伝統やしきたりなどと呼ばれるまでになる。
遠くの空を渡っていくセスナ機の音が微かに聞こえていた。
「彼らの闘いに希望はあると思いますか」
岸本が尋ねた。
「少なくとも、彼らの中には怒りがある。私は、怒りは希望だと思っている」 (p.378) 矢上は自分の生の声が食堂の奥の天井に跳ね返るのを聞いた。気がつくとハンドマイクを使わずに工員に話しかけていた。矢上はマイクを足元に置き、深く息を吸って続けた。
「俺たちはユシマ仕様の消耗品じゃない。労働者は、企業の利益のために生きているんじゃない」 (p.447) 長身の派遣工は口の中で何かもごもご言っていたが、上から脇の声が降ってきた。
「おい、紙コップ。おまえは『勝たなきゃ意味がない』、それが現実だと思ってんだろ。だから自分より強いものと闘うのは、無意味で馬鹿らしいことだと思ってる。勝つと決まってないのなら、やるだけ無駄だってわけだ。だがな、あいにく俺らみたいなのには、勝つと決まってる勝負なんて巡ってこないんだ。おまえが本当に勝ちたいのなら、まず闘う場所に立つことだ。これまで通り不戦敗を続けて一生使い倒されたいのなら好きにしろ」
矢上は工場の中央で宣言した。
「俺たち労働者が求めるものをユシマが何ひとつ与えないのであれば、俺たちもユシマが求めるものを与えない。それは、労働者の労働力だ。ユシマが労働者は人間だということを思い出すまで、俺たちは労働力を与えない」 (p.580~1) 「…私たちは事の善し悪しよりも、波風を立てずに和を守ることが大切だとしつけられてきた。今ある状況をまず受け入れる。それが不当な状況であっても、とにかく我慢して辛抱して頑張ることが大事だと教えられてきました。同時に、抵抗しても何ひとつ変わりはしないと叩き込まれてきた。
しかし、おかしいことに対してそれはおかしいと声をあげるのは、間違ったことでも恥ずかしいことでもない。声をあげることで私たちを不当に扱う側を押し返すこともできる。少なくとも、もうこうは言わせない。『誰も何も言わないのだから、今のままで何の問題もないんだ』とは。声をあげる人が増えれば、こうも言えなくなる。『みんなが黙って我慢しているのだからあなたも我慢しろ』とは。
力のある人とその近くにいる人たちだけがより豊かになるのではなく、大勢の普通の人たちが生きやすい世界へ変えていくためには、力を持たない私たちが声をあげるところから始めるほかない。どうか、〈ともとり労組〉に共感する人たちは声をあげて下さい」 (p.592) 「薮下さん、どうしてあの四人がストライキをしに工場に戻るとわかったんです?」
「わかってたわけじゃあない。ただ、あいつらはこの夏、笛ヶ浜の文庫で、まぁ大袈裟にいえば、闘ってきた人間たちの歴史と、自分たちがどういう社会に生きているかを知ったんだ。この国の当たり前が、世界の当たり前としばしば一致しないこともな。で、俺は、あいつらは最後まで闘うだろうと思ったわけだ。闘うってのは、自分たちの手で今ある状況を変えようとすることだ。柚島庸蔵をヤッたところで、ユシマ的なものは何も変わりゃしないだろ」
なるほど、と小坂は思った。彼らの敵は、労働者をコストとしか思わず、あたまから人間扱いしないユシマ的な考え方そのものなのだ。(p.593~4) 矢上は、そもそもあの時に尋ねるべきだったことを尋ねた。
「おまえ、なんで労働組合なんて思いついたんだ?」
脇は指についた、米粒を食べながら、二つ目のおにぎりに手を伸ばした。
「初めから組合を考えていたわけじゃなくてな。俺がこのさき頑張ってなれるもんがあるとしたら、これしかないと思ったんだ。それでまず決めたわけだ。いい労働者になろうって」
「いい労働者…」
思いがけない言葉を聞いて、矢上は我知らず繰り返していた。
「いい労働者ってのは、ただ一生懸命働くだけじゃないんだ。隣に困っている労働者がいたら、その労働者のために闘う。つまり自分たちのために闘うのが、いい労働者なんだ」 (p.601~2)
ちなみに四人がつくった労働組合の名称は「共に闘う人間の砦(ともとり)労働組合」と言います。本書のタイトルはここに由来するのですね。果てしれぬ暗闇とそこを照らす明かりを、魅力的な登場人物と物語とともに伝えてくれる傑作小説。心よりお薦めします。
付言です。NHKニュースによると、労働組合の組織率は16.3%と前の年を下回り、過去最低となったことが厚生労働省の調査でわかったそうです。
そういえば、元日のニュースで、初詣に来た若者が「何をお願いしたか」と訊かれて「給料アップ」と答えていました。…賃上げをしてくれるのは神なのか。私は、労働者が労働組合に結集して労働争議によって勝ち取るものだと思っていました。労働者が賃上げを願掛けするほど、労働組合の組織率が落ちて弱体化していることなのでしょう。先進国の中で唯一、賃上げがほとんどなされていないのが日本であるということの原因はここあると考えます。労働組合が弱体化したのは何故なのだろう、そしてどうすればいいのだろう。自分なりに調べて考えたいと思います。
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『ガザ~オスロ合意から30年の歩み』
http://sabasaba13.exblog.jp/33282536/
2024-03-14T07:07:00+09:00
2024-03-14T07:07:39+09:00
2024-03-14T07:07:39+09:00
sabasaba13
映画
エルアクラ家の長男バッサムは、学生時代に抵抗運動に参加してイスラエル占領当局によって2年間投獄された経歴を持つためにイスラエルでの仕事も許可されず、かといってガザの中でも仕事を見つけられません。長男でありながら、弟たちの学用品1つ買ってやれない自分が惨めで情けないと話します。同家には成人男性が7人ほどいますが、仕事についていたのは1人だけ、彼の収入だけで15人家族が食いつなぐ生活です。ガザの異常に高い失業率がよくわかります。
しかしそうした苦境の中で、一家は互いを思いやり助け合います。長男バッサムは、弟の学費のために結婚しないと言います。また彼は大学卒で英語に堪能ですが、アメリカに行って稼ぐ気はありません。「家族・コミュニティの中に幸せがある」と彼は言います。
貧しいけれどもあたたかく固い絆で結ばれた家族、家の増築を手伝ってくれるコミュニティ。父親のアブ・バッサムは「イスラエルに奪われた故郷に帰れると思うか」と尋ねられて、「私には無理だが、私の家族が帰る」と答えます。あの苛烈な環境のガザにおいて、パレスチナ人の心を支えているのは、こうした家族やコミュニティなのだと痛感しました。そしてもしその家族やコミュニティを、イスラエルのジェノサイドによって奪われたとしたら… その痛みと悲しみと怒りは、想像を絶するものでしょう。それがいま、ガザで起きていることなのですね。
第2部は「ハマス」(約1時間20分)。ハマスがガザ市民の支持を得る要因を、無料の幼稚園運営や就職先の紹介などの慈善事業と、イスラエルに対する断固とした武装闘争から説明します。しかし、その強権のため海外からの支援金を着服するなどの腐敗が起こっていることも明らかにします。またハマスの武装闘争に対するイスラエルの報復や封鎖によって、ガザの生活環境が過酷なものとなっていることを映像とともに紹介します。病気の蔓延、精神の崩壊、自殺の増加… そしてイスラエルによる激甚な報復を承知の上で10月7日の襲撃を敢行したハマスに対するガザ市民の悪感情は決定的となったと結びます。
映画の終演後に、土井敏邦監督のトークがありました。以下、私の文責でまとめます。
等身大・固有名詞でないとパレスチナ人の痛みはわからない。あなたが大事な人を失った時の痛みと悲しみを想像してほしい。いまガザではその3万倍の痛みと悲しみが渦巻いているのだ。パレスチナ人の「人間の顔」を伝えたい。
ハマスは、自らのイデオロギーのために市民を犠牲にした。これは絶対に許せない。ハマス‐イスラエルという二項対立ではない。私の立ち位置は「民衆」であり、民衆にとって良いことか悪いことかが判断の基準となる。
ガザはもう立ち直れないのではないかと、途方にくれてしまう。私たちに何ができるか。それでもガザに踏みとどまる人びとがいるだろう、その人たちを支え生きさせる。餓死者を一人でも減らす。そのためにも国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を潰してはならない。UNRWAの現地職員がハマスのイスラエル奇襲攻撃に関与した疑惑が浮上したことを受け、米国や日本などがUNRWAへの資金拠出の停止を決めたが、同機関は戦時下のパレスチナ自治区ガザで人道支援活動の中核だ。活動資金の枯渇は住民の命を脅かす。またUNRWAに雇用されて命を繋ぐガザ市民も多数いる。声を上げ、日本政府に圧力をかけて資金拠出を再開させないと、多くの人命が失われる。
なぜ10/7の襲撃をハマスは敢行したのか。カタールやサウジアラビアがイスラエルと和平を結ぼうとしているので、それを分断するためであろう。「アラブの大義であるパレスチナ問題を忘れるな」ということである。
これだけ民間人を殺したのはホロコースト以来であり、ホロコーストを食い止めるためには何をしてもよいとイスラエル国民は考えている。ハマスを選んだガザ市民も同罪であり、多少の犠牲は仕方ないとも。「沈黙を破る」運動は逼塞しているだろう。
地べたの人の声を受け止めて、何をすべきか。どういう立ち位置にいるべきか。自分の生き方を問い直す。問題(パレスチナ・原発)は描かず、人間を描く。人間の後ろに問題がある、それを感じ取ってほしい。そして登場人物に、自分を映す鏡を見たい。自分はどうなんだと問いかける鏡を。
右が土井敏邦監督、左が江古田映画祭実行委員会代表の永田浩三氏です。
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『パレスチナからフクシマへ』
http://sabasaba13.exblog.jp/33281789/
2024-03-13T06:14:00+09:00
2024-03-13T06:14:35+09:00
2024-03-13T06:14:35+09:00
sabasaba13
映画
第13回江古田映画祭のチラシが舞い込んできました。3年前に『襤褸の旗』を観て以来ですね。どりゃどりゃ、面白そうな映画が上映されるかな。おっ、ぺちょ(筆者注:唾をつける音)、これはいい。土井敏邦監督の映画二本と、監督のトークがあるぞ。
『パレスチナからフクシマへ』 56分
パレスチナ・ガザ地区の人権活動家ラジ・スラーニが原発事故で故郷を追われた飯舘村への旅と村民との対話の中で、パレスチナとフクシマの普遍性を探っていく。『ガザ~オスロ合意から30年の歩み』[初上映] 約180分
土井監督がガザと関わってから半世紀。その集大成3時間を初公開する。命が脅かされ、人権が破壊される極限状況をなぜ世界は見放すのか。オスロ合意を起点に見つめていく。
これは是非観にいきましょう。なお山ノ神は合唱団の練習があるので行けないとのこと。ひとりで会場の武蔵大学に行ってきました。かなり広い会場ですが多くの人がつめかけていました。やはりこの問題に関心を持つ方が多いのでしょう。鑑賞後に購入したDVDの解説を転記します。
パレスチナ・ガザ地区の人権活動家ラジ・スラーニは、イスラエル占領下で解放運動に献身し、5年間の投獄と拷問の日々を強いられた。その後もガザで人権擁護の活動を牽引し続けている。その活動は世界で高く評価され、「ライト・ライブリフット賞」など数々の国際平和賞を受賞した。
そのスラーニ氏が2014年10月の来日時に、福島・飯舘村を訪問した。放射能汚染のために家と石材工場を失った村民、乳牛を失い失業した元酪農家を訪問し対話する中で、スラーニ氏はフクシマの現実と直面する。彼がパレスチナの現実と重ね合わせたのは、いずれも"責任の所在"が曖昧にされ、その責任者たちが処罰されない不条理なフクシマの現実だった。
そんなスラーニ氏が飯舘村の被災住民に訴え伝えたのは、数十年の侵略と破壊の中でパレスチナ人を支えてきた人間の"尊厳"と"正義のための不屈の闘い"だった。
冒頭、凄まじい砲撃を受けるガザの市街地、瓦礫にされた建物、片目を抉らえた子どもの死体といった直視できない映像から映画は始まります。いや、目を背けてはいけない、これは今起きている現実なのだと自らに言い聞かせつつ凝視しました。そしてその破壊の跡や被害の状況をつぶさに聞き取り記録するスラーニ氏。今にして思えば、これはイスラエルが行なった戦争犯罪を裁くための証拠にするためなのですね。
そのスラーニ氏が来日し、土井敏邦監督に伴われて福島県飯舘村を訪れます。そして被災した方々の話をじっくりと聴き、質問を重ね、自分の考えを述べる。それだけの内容なのですが、深く深く心に響く映画です。まず被災者と向き合い対話をする時のスラーニ氏の表情。彼は、被災者の怒り・悲しみ・不安に対して、真摯に、共感と同情をもって向き合います。その表情や眼の何と人間的なことか。おそらく自分がガザで経験したことと重ね合わせているのでしょう。
さらに彼が被災者を励まし、慰め、助言をする際の力強い言葉の数々には圧倒されました。自分の心に刻み込み、多くの人に伝えたい言葉です。幸いなことに、会場でDVDを販売していたので購入して、再生しながら書き留めました。以下、ぜひ紹介します。
言葉を失ってしまいます。誰でもミスを犯すものですが、これは人為的なミスです。人為的な大惨事です。なんて愚かなことを。
これは単なる補償の問題ではない。家への思いを打ち砕かれることです。彼と奥さんは家の隅々まで、心をこめて大切にしてきたに違いない。これは工芸品ですよ、単なる「家」ではない。石を丹念に削って作り上げるように。
これは恥です。これは犯罪ですよ。明白な犯罪です。お金を盗むとか、店から食物などを盗むとかのレベルではない。これはまさに犯罪です。共同体全体が消滅してしまった。
世界では、誰かが緑豊かな地域にやって来て、その木木を伐採してしまったら、工業地帯を造るという理由で。魚を殺す、例えば湖で。それをやった犯罪に対して責任を問われます。環境を破壊した犯罪に対してです。そこで暮らす住民に対する犯罪です。こんなことが起こったのに、誰も責任を取らないんですか? とても深刻な問題が振興しているんですよ。福島で原発関係者が全く責任を取っていないなんて考えもしなかった。問題は津波や地震ではない。問題の全ては、責任者たちが取ったあらゆる手順と処置です。こんな事故が起こらないように保障することです。それは彼らがずっと言ってきたことです。彼らは、あらゆる手順や処置はやっていると言ってきたのだから。
こんなことを放置するなんてありえない。十分な保障もなく、抗議もできない。ただ避難を余儀なくされる。もし国内で正義が実現できなければ、国際的な法的な裁きを求めるべきです。我われの場合と同じだけど、違った見方が必要だ。もしイスラエルの法的機関でパレスチナ人の正義が実現できるなら、イスラエルの戦争犯罪を訴えるために国際的な司法機関や欧州などに訴えたりはしない。国際刑事裁判所のような多国籍企業の犯罪を裁く国際司法機関に訴えるべきだ。だからこの原発にどの企業が関与しているのかを尋ねたんだ。どのような多国籍企業が関わっているのか知らないが、もし多国籍企業に責任があるのなら、こんな犯罪に強い関心を持つ弁護士に会う。私はこの問題を彼らに提起するよ。日本でこんなことが起こっていることに、彼らは間違いなく衝撃を受けるはずだ。
あなたの日常生活が完全に中断させられたんですね。完全に中断させられた。誰に責任があるんですか? これは明らかに犯罪です。あなたは仕事を失い、牛を失った。自分の存在そのもの、周囲の共同体も失った。村全体と、そこでの生活を消滅させられた。誰かに責任があるはずで、その責任を負うべきです。それはあなたのためだけではありません。日本のどこかで同じ事を繰り返さないためにです。誰に責任があるんですか?
原発は誰が所有し、誰が建設し管理してたんですか? 安全な環境が整えられるべきだったはずです。その責任者は、住民をどんな危険からも保護すべきだったはずです。政府の他に、どこか建設した会社はあるんですか? その会社の者がやって来て、「あなたの生活を破壊して申し訳ない。ここから避難して新しい生活を始めてほしい」と言いましたか? 会社は明らかに安全のために十分に投資をしてこなかったと思います。地震や津波が原発事故に関係しているだろうが、そのツケを払っているのはあなたであり企業ではない。
私たちは闘い、抵抗しなければならない。自分たちの権利のために闘わなければなりません。これは慈善や施しを求めることではありません。私たちには戦う権利があるのです。第2に"法の支配"が行われるべきです。真に効果的な"法の支配"を心底求めています。そうでなければ"弱肉強食の法"に支配されます。法があれば、私たちはそれに従い適用していきます。"正義"が絶対的に適用されるべきです。どこでも、どんな国でも、どんな宗教でも、またどんな民族に対してもです。日本人でも、パレスチナ人でも、占領下でも、自治政府の下でも、"正義"と"法の支配"が絶対行われるべきなのです。第3に、最も重要なことですが、"人間の尊厳"を守り抜くことです。"人間の尊厳"は正義によってもたらせされます。"尊厳"と"正義"が守られるべきだと感じることです。
フクシマで起こっていることは、まさにフクシマで起こっていることです。ガザや西岸の占領地でです。前回のガザ攻撃のように、犯罪の証拠は明らかでどこにもあります。住民は家や農場や工場を失い、何千人という人が命を失いました。法的なシステムは役に立たず、何の歯止めにもならない。全く責任も取られない。2014年のガザ戦争だけでなく、08~09年、12年の戦争でもそうだった。法的また政治的な「免責」がイスラエル国家に与えられていて、国際的な司法の場で裁くことができない。両者には多くの共通点があります。犯罪も責任も明白なのに、両方とも全くその責任を取られない。それが私企業や多国籍企業であろうとパレスチナ人に対する占領であろうと、両方とも"正義"が否定されています。
私はずっと目を閉じて、あなたたちの話の内容をじっと聞いていました。まさに(ガザ攻撃で廃墟となった)ベイトハヌーン町やシュジャイーヤ地区やフザー村と同じ人間の話です。両方とも同じく人が起こした災禍だからです。それは自然災害ではなく人災なのです。家を失い農地を失い、家族を失った。74家族が抹殺されました。ナジャール家やジャワール家など、他にもたくさんの家族もです。家族29人、27人、22人、19人、17人… たった1発の爆撃で終わりです。家族全員が殺されたのです。農地は根こそぎにされました。土井は私たちの農地のことを知っています。23ヘクタールの農地でした。今はもうありませんが。かつては井戸や池があり、オレンジの木が生い茂っていました。そこに2トンの爆弾が投下され、大きな穴ができてしまいました。深さ18メートルの穴です。それは人による災禍です。ここも全く同じです。それは私たちの人生に深刻な影響を及ぼしました。それは人生の転機です。それがあなたたちの人生に起こったのです。ガザではこの6年間に3度も戦争を体験しました。最愛の人を失い、家族はバラバラになりました。しかし私たちにとって最も大切なことは、"人間の尊厳"です。最も大切なものを失ったと感じる、それは尊厳です。なぜなら、それが私の人生や家族を形づくり自分の社会を選んできたのだから。それが一瞬にして抹殺されました。私のせいではなく、他の誰かが決定を下したのです。または誰かが過ちを犯し、私がそのツケを払わされるのです。全く謝罪や遺憾の表明もなく、"法の支配"も全くない。私は「従順な犠牲者」になることを強いられるのです。私たちは"責任を取らせる"必要があります。"犯罪の責任"を取らせるべきです。"正義"が必要です。それこそが私たちの尊厳を取り戻すことです。それが人間としての権利を取り戻す方法です。強い意志を持ち続けてください。どうか諦めないでください。犯罪の責任を取らせるまでは。そして尊厳を取り戻すまでは。
自分に言い聞かせるようにスラーニ氏。食い入るように彼を見つめ、その言葉に聴き入る被災した方々。実に感動的なシーンでした。
中でも最も心に残ったのは、銀杏を栽培していた農夫が「諦められない。諦めないで福島にいます」と呟いたときに氏が静かに語った言葉です。
私たちには"諦める権利"はないんです。
民主化のために闘い命を落とした(奪われた)アレクセイ・ナワリヌイ氏の妻、ユリア・ナワルナヤ氏も同じことを言われていました。
私に諦める権利はない。
辺野古新基地建設を阻止するために闘う仲宗根寛勇(かんゆう)氏も。
私たちは諦めませんよ。諦めたら負けです。諦めなかったら勝つんです。
福島第一原発の水素爆発と炉心溶融は事故であると同時に犯罪であること、そしてその責任者は処罰されなければならないことを、胸に刻み込みます。
そして人間を尊厳を脅かす力に対して、福島とガザと沖縄とロシアの人びとともに諦めずに闘い続けましょう。
ほんとうに良い映画でした。そしてラジ・スラーニ氏がご無事であることを心より祈ります。
追記です。『チェルノブイリの祈り』(スベトラーナ・アレクシェービッチ 岩波現代文庫)に、次のような言葉がありました。
セルゲイ・ワシーリエビッチ・ソボリョフ
国は詐欺師ですよ、この人たちをみすててしまった。(p.146)
ゾーヤ・ダニーロブナ・ブルーク
私はすぐには分からなかった。何年かたって分かったんです。犯罪や、陰謀に手を貸していたのは私たち全員なのだということが。(沈黙) (p.189)
ワシーリイ・ボリソビッチ・ネステレンコ
私は人文学者ではない。物理学者です。ですから事実をお話ししたい。事実のみです。チェルノブイリの責任はいつか必ず問われることになるでしょう。1937年〔スターリンによる大粛清〕の責任が問われたように、そういう時代がきますよ。五〇年たっていようが、連中が年老いていようが、死んでいようが、彼らは犯罪者なんです! (沈黙) 事実を残さなくてはならない。事実が必要になるのです。(p.237)]]>
東京空襲資料展
http://sabasaba13.exblog.jp/33281021/
2024-03-12T05:59:00+09:00
2024-03-13T20:15:06+09:00
2024-03-12T05:59:38+09:00
sabasaba13
鶏肋
~戦中・戦後の生活や労苦を物語る資料に加え、当時の様子を写した写真資料を展示~
昭和16年(1941)12月に太平洋戦争は始まり、東京は昭和17年(1942)4月18日に初空襲を受けました。昭和19年(1944)夏以降、空襲は本格化し、昭和20年(1945)3月10日に現在の墨田区・江東区・台東区を中心とする下町地区に米軍のB29爆撃機約300機が来襲し大規模な空襲が行われました。この2時間余りの空襲で10万人ともいわれる尊い生命が失われました。その後も昭和20年8月15日までに100回を超える空襲が続き、東京は焦土を化しました。
東京都は、平成2年(1990)に3月10日を「東京都平和の日」と定め、様々な記念行事をおこなってきました。また、平成13年(2001)には都立横網町公園内(墨田区横網・旧被服廠跡)に「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」を建設し、その内部には犠牲となられた方々のお名前を記した「東京空襲犠牲者名簿」を納めています。本展では戦中・戦後の生活や労苦を物語る資料に加え、空襲下の東京を写した写真資料を展示しています。
また本年度は共催市である三鷹市より、市所蔵の戦時資料の展示協力を受け、調布市からは市ゆかりの人物について、東京都の資料と併せて展示します。
違和感を覚える紹介です。なぜ責任の所在をぼやかすような曖昧な表現をするのでしょう。「太平洋戦争は始まり」は「日本は太平洋戦争を始め」に、「この…空襲で10万人ともいわれる尊い生命が失われました」は「この…空襲でアメリカは10万人ともいわれる尊い生命を奪いました」とすべきではないでしょうか。見識を疑います。
ま、それはともかく、地下1階アトリエウエストは予想外に狭い会場でした。もっと広いスペースにすべきだと思います。
最大のお目当ては、空襲に遭った方々が経験談を語る映像です。その凄まじい経験に言葉を失い、一時間ほど見入ってしまいました。戦争の実相を知るために、これはいつでも視聴できるライブラリーとして整備してほしいものです。(もうされているのかな) そして同じことが今、イスラエル軍によってガザ市民に対して行なわれていることも忘れないようにしましょう。
心に残った言葉があります。ある方がこう言われました。
悲惨な時代だった… どうしようもない時代だった…
「どうにかできる時代」にするよう、みんなで尽力しましょう。主権者なのですから。
東京大空襲については、これまでも拙ブログで、「東京大空襲」、「東京大空襲2」、『東京大空襲の戦後史』(岩波新書)、映画『ペーパーシティ』といった記事を掲載してきたので、ぜひご笑覧ください。
そして展示品と解説を見学。いくつか紹介します。
M60油脂焼夷弾筒(左)
油脂焼夷弾はナフサネートやパーム油などをガソリンと混ぜ、鉄製の筒に詰めたナパーム弾。東京では木造家屋の密集する下町地区で大量に投下され、空襲後の罹災地域では油脂が燃え尽きた後の筒が大量に残された。
M50テルミットマグネシウム焼夷弾(右)
昭和20年(1945)に都内で拾得された金属焼夷弾。油脂焼夷弾に比べて貫通力に優れており、テルミットで外側を包むマグネシウムを燃焼させ、着弾すると閃光を発しながら火花をまき散らし、火災を引き起こす。同年8月の八王子の空襲などで大量に使用された。
隣組防空群腕章
従来からあった「家庭防火団」が昭和14年(1939)に「家庭(※隣組カ)防空群」となった。近隣10戸程度で組織された民間の防火組織で、警察の指揮統率の元、適切な消火活動ができるよう、退避や消火訓練がおこなわれた。
東京都区部焼失区域図
昭和28年(1953)に東京都が発行した『東京都戦災誌』の付録地図。東京都区部で空襲により焼失した地域を色分けして示している。
戦後に撮影された、東京中心部と周辺
戦後、米国によって全国各地の空襲被災地などが撮影された。
『国民防空図譜』 第21図 隣保班
空襲時における防火活動や防空服装、隣組・警防団・消防署との連携や隣保共助を説いたもの。『国民防空図譜』は、めくり式の絵解き資料で、東京都で所蔵しているものは第35図まで収録されている。
なおこの図譜の上部には、こう書かれています。
『空襲時の防火にとって隣保班の陣営ほど重要なものはない 「我家は我手で護る」の信念を堅持すると共に隣保共助の精神を強化して家庭と隣組との総力で沈着機敏に防火に従事し是非とも自衛防火の徹底を期さなければならぬ』
自助、共助…あれ、公助はないのか。国家権力は市民の命や暮らしを守る気はないということですね。日本という国家の体質は、いまも戦前とあまり変わっていないようです。でも変えなければ、主権者ならできるはずです。
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『津島』
http://sabasaba13.exblog.jp/33280286/
2024-03-11T07:17:00+09:00
2024-03-11T07:17:18+09:00
2024-03-11T07:17:18+09:00
sabasaba13
映画
土井敏邦監督による『津島 -福島は語る・第二章-』が上映されるそうです。100人近い福島原発事故の被災者たちから集めた証言を丹念にまとめ前作『福島は語る』に続く第二弾です。パレスチナや福島など、人間としての尊厳を脅かされている人びとに寄り添い、映像におさめて私たちに届けてくれる土井監督。本作もぜひ観にいきましょう。山ノ神を誘いましたが、またまた所用のため断られました。
小雪の舞い散る酷寒の金曜日、ひとりで新宿の新宿の「K's cinema」に行きました。客席に入ると…カアカア…閑古鳥が咆哮しています。8人! ま、とても寒いということもあるでしょうが、それにしてもねえ。福島は忘却されつつあるということでしょうか、危惧してしまいます。
まずは公式サイトから、イントロダクションと津島の紹介を引用します。
イントロダクション
帰還困難区域に指定された故郷・津島 100年は帰れない故郷の姿を100年先につなぐ 災禍の時代を共に生きる私たちに託された圧巻の証言ドキュメンタリー
浪江町津島は福島県の東部、阿武隈山系の山々に囲まれた人口約1400人の平穏な山村でした。福島第一原発から北西に30キロも離れているにもかかわらず、2011年3月11日の事故直後に大量の放射性物質が降り注ぎ、地域の大部分が「帰還困難区域」に指定されたまま、現在も多くの住民が帰れずにいます。
故郷を離れ10年以上を経た今も、人々の心の中には津島での日々がありました。貧しかった開拓時代の記憶、地域コミュニティと共にあった暮らし、綿々と受け継がれてきた伝統文化、今は亡き家族との思い出…。
津島について
福島県浪江町津島地区は、阿武隈山地の東斜面に位置する。面積は95.5km2で山手線の内側の約1.5倍。住民約450世帯・1,400人(2011年3月の震災直前)が暮らす平穏な山村だった。
しかし原発事故直後の風向きで、原発から北西に約30キロも離れた津島に、大量の放射性物質が降り注ぎ、高濃度の放射能に汚染された。事故から4日後に、津島の全住民に避難指示が出され、住民は福島県内外へ避難を余儀なくされた。
その後「帰還困難区域」に指定され、12年経った2023年3月に一部解除されたが、他の大部分の区域は、まだ帰れないままである。
地域住民は自然溢れる環境の中、互いに協力して受け継がれてきた歴史や伝統、文化を大切に、地域に根付いて生活し、沢山の年長行事に楽しみを見いだし、生きがいを感じて暮らしてきた。しかし、原発事故はこれらの一切を、根こそぎ奪い去った。
2015年9月に住民の半数、約700人が「ふるさとを返せ!津島原発訴訟団」を結成して福島地方裁判所郡山支部に提訴、補償と原状回復を求めて闘っている。
「私たちは どこから来て どこへ行くのだろうか」というテロップで、映画は静かに始まります。ほんとうに、原発を抱えて、被災者を切り捨てて、私たちはどこへ行くのでしょう。足元しか見ていないのではないかな、眼前に千尋の谷が迫っているというのに。
映画は、インタビューと映像で綴られる九つのテーマで構成されており、その合間に津島の自然と動植物の映像が流されます。春夏秋冬、晴れ、雨、曇り、雪、津島の人びとはもうこの美しい自然の懐に帰れないのかと思うと胸が痛みます。
第一章 "記録"
毎月津島を訪れて各地点の放射能測定を続け、その結果を避難している人びとに伝えている今野義人さんへのインタビューです。彼は津島の歴史についても独自にまとめられています。
第二章 "開拓"
開拓の様子や労苦について、関場健治さん・三瓶宝次さん・志田昭治にインタビューをします。満蒙開拓団https://sabasaba13.exblog.jp/33218688/の引き揚げ者も多かったことも知りました。二重に国策の犠牲にされらわけですね、この国の酷薄さをあらためて痛感します。
第三章 "共同体"
津島というコミュニティについて石井ひろみさんと今野千代さんと須藤カノさんが語ってくれます。石井さんは、布団を干して出かけたら突然雨が降ってきたので慌てて戻ったら、誰かが布団を家の中に入れておいてくれたと話されていました。すごい…鍵もかけないんだ。
第四章 "伝統文化"
津島に伝わる田植え踊りについて今野秀則さんが話してくれます。田植え踊りを通して歴史が育まれ、それを受け継いだ人びとが将来に繋げていく、それができない悔しさがあるから裁判を闘えるという話が印象的でした。
第五章 "家族喪失"
亡くなった義父の思いを引き継いで裁判を闘う三瓶春江さん、嘘をついてまで避難させた母が認知症となって急死したことを悔やむ武藤晴男さん、夫と息子を相次いで失った佐々木やす子さんが、それぞれの思いを語ります。
第六章 "子どもの傷"
避難先でいじめにあった結美さんのご両親である柴田明美さんと明範さん、隼人さんと玲さんと祖母の須藤カノさんが、その経験を話します。
第七章 "棄民"
国家に棄てられた津島。津島原発訴訟原告団長の今野秀則さんは、その思いをこう語ります。
もし、より多くの人の、より多くの幸福を願うとすれば、(津島のような)少数派を放り出し、実質的に避難という形にしても、きちんと手当なり賠償なり制度を設けていけばいいと。経済効率的にはそれが最善の策なんだろうね。でも、それは違うと思うんですよ。そうやって一部を切り捨てて、経済効率的な観点から、一人ひとりの日本国民の住民の被害を見て見ぬふりをして、効率性の観点から切り捨てていく。それは、住民の生活にとって、本当に切実に必要とする部分を削り取っていくということだと思うんですよね。
津島区長会会長の末永一郎さんの話です。
「帰る、帰らない」は別の話だ。汚したものは、きれいにして返しなさい。それは原則でしょ。今回の事故の原因は、東電は、この津波自体が想定外だって言ってるわけね。だけど、いろんなものを自然災害もテロも含めて、あらゆるものを想定するのが事業者でしょ。それを認可したのは国でしょ。東電が単独で原子力発電所を扱えるわけがないのだから。そしたら一蓮托生で国の責任でしょ。その中でこの過酷な事故が起きたのだから、あなたたちは無条件で、俺がその時言ったのが、「山林も含めて元の姿に戻せ」と。
第八章 "故郷"
馬場績(いさお)さんが、故郷への思いをこう話します。
私や津島を追われた人にとっては「故郷は生きる根源だ」と断言します。津島で生活を築いてきた、命をつないできた。その土台を奪われたわけでしょ? 山から流れてくる水、家の側で採れる山菜やキノコが私たちの命をつくってきた。それを、よそからもってきたもので償うことができるのか? それはできないでしょ。脈々とつながってきた家族や地域や社会のつながり、そこに自分はいたんです。自分の居場所を奪われたという点でも、奪われた故郷は私にとって命の根源です。「だから、それを返してくれ」というのは、当然の叫びだ!と私は思います。
最終章 "帰郷"
2023年3月31日、避難指示が解除された後、妻と共に津島に戻り築200年の実家で暮らしはじめた紺野宏さんは、「ここで死ぬ」という覚悟を語ります。
私の心に残った話が三つあります。まず関場健治の話です。
真上には、ちょうど天の川が横たわって、ロマンチックな夜、お風呂入って、橋の上で夕涼みする時に、ホタルが飛んでて、お金じゃ替えられない。
紺野宏さんは、あるとき、畑でチョロチョロと微かな水の音を耳にしました。
音のする方を見ると、鉛筆の芯くらいの氷水がとけて流れてきたの。あれが春の音。生きてる、って思った。
そして須藤カノさんの話。
オレは、津島でみんなに育ててもらって、引っ張ってもらって、ここまで育ってきたという気持ちがある。津島にいた時は喜びがあった。「オレは生きている!」という実感があった。
お金では買えないもの。それは豊かな自然であり、人と人のつながりであり、生きているという実感。津島にはそれに満ち溢れていたのですね。みなさんの話から、そうしたかけがえのない故郷の姿がひしひしと浮かび上がり、それを一瞬にして奪い去った原発事故の禍々しさを照らしだします。肝に銘じましょう、お金で買えない大切なものを原発事故は破壊するのだと。
ふたたび公式サイトから、土井監督のメッセージを引用します。
監督メッセージ
「津島の記録映画を作りたい」と私を駆り立てたのは、一冊の裁判記録だった。そこには、32人の原告たちが裁判所で陳述した、家族の歴史、原発事故による家族と人の心の破壊、失った故郷への深い想いが切々と綴られていた。「あの原発事故は住民の人生をこれほどまでに破壊していたのか」と、私は強い衝撃を受けた。「この陳述集の声を映像で記録したい」――それが映画「津島」制作の原点である。
2021年春から、私は陳述集に登場する原告たちを訪ね歩き始めた。横浜から福島まで車で往復し車中泊を繰り返す、ほぼ10カ月がかりのインタビューの旅だった。
"津島"は、人口約1400人の問題に終わらない。「多数派の幸福、安全、快適さのために少数派を犠牲にする」在り方への、津島住民の"異議申し立て"であり"抵抗"だともいえる。そういう意味で、"津島の存在と闘い"は小さな一地域の問題ではなく、日本と世界に通底する"普遍的なテーマ"を私たちに問いかけていると私は思う。
「『フクシマは終わったこと、なかったこと』にされてたまるか!」
映画の中で涙ながらに語る証言者たちの声の後ろに、そんな悲痛な叫び声を私は聞いてしまうのである。
終幕後、予定にはなかった土井敏邦監督の舞台挨拶というサプライズがありました。そして多くの人が観るべき映画になったと自負している、ぜひ口コミで本作のことを広めてほしいと話されました。合点承知之助、拙いブログですがお手伝いします。福島のことを忘れるな!
追記その一。購入したプログラムに、三浦英之氏による次のような一文がありました。人為的・政治的悲劇、いやこれはもはや犯罪というべきですね。
津島は原発事故以来、この国の為政者や電力事業者たちにとって、最も「語られたくない」地域なのである。
東京電力福島第一原発が外部電源を失い、危機的状況に陥ったとき、国が所管する「SPEEDⅠ」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)は、事故発生時に放射性物質が北西へと飛散することを予測していた。しかし、国はその情報を浪江町には伝えず、福島県庁もその予測をメールで受け取っていながら、やはり浪江町には伝えなかった。
その結果、何が起きたか。
原発事故の翌日、浪江町長だった馬場有は、原発の10キロ圏内で暮らしている浪江町中心部の住民約1万6000人を、原発から20キロ以上離れた津島地区に避難させることを決断し、約8000人もの住民が当時、津島地区に身を寄せた。上空から放射性物質が降り注ぐ危険性があるなかで、子どもたちは外で縄跳びをして遊び、地域住民は避難者のために外で煮炊きを続けた。
町長の馬場はその際、突然避難所周辺に現れた男たちの姿を見て驚愕する。厳重な防護服で身を包んだ男たちは手に重厚な線量計を持ち、周囲の放射線量を測定して回っていた。何をしているのか、ここは危険なのか、と尋ねても、彼らは何も答えなかった。
馬場は2018年に胃がんで亡くなる直前、私のインタビューに次のように答えている。
「もし、津島に大量の放射性物質が降り注ぐことを予測していたら、私は住民を逃がさなかった。国や県の行為は、あるいは『殺人罪』にもあたるのではないかと、私は今考えています」
津島とは、つまりそういう場所なのだ。極めて人為的に、そして政治的に、悲劇が作り出された場所なのである。(p.17)
追記その二。『週刊金曜日』(№1463 24.3.8)に、沖縄を描く映画『戦雲』を完成させた三上智恵監督の言葉がありました。(聴き手:松村洋氏) 日本政府が意図的に「命を軽んじる状況」をつくり、国民の無作為がそれを支える。福島でも沖縄でも起きている現実です。
-そうした命を軽んじられている状況を変えていくには?
これは沖縄ではなく、日本全体が起こしている問題なんですが、全国の人がそれに気づかない限り、この構造は崩れない。被害を受け、これまでの生活と未来を奪われる側から見ると、日本政府の意図や日本国民の無作為が手に取るように見えます。誰かが伝えないと、全国の人にはわからない。だから、2時間でわかるような形にしています。(p.53)]]>
京都観桜編(4):京都平安郷(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33279476/
2024-03-10T07:10:00+09:00
2024-03-10T07:10:57+09:00
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sabasaba13
京都
京都・嵯峨野の中でも特に平安時代の面影を残していると言われる一角に平安郷(敷地面積約3万坪)があります。この地域は歴史的風土保存特別地区に指定され、美観や歴史的風情が保たれています。
柔らかな山並みの麓、広沢池の畔に位置する平安郷は、広々とした庭(約1万5千坪)に2本の小川が配され、梅、桜、楓など季節を彩る花木や約100種類もの山野草が植えられています。さらに庭の奥には、閑静な竹林(約3千坪)や嵯峨野を一望できるスポットもあり、四季折々の美しさを満喫できます。
広沢池は古くから月の名所として知られていますが、桜の時期や名月の頃には、平安郷の庭を広く市民に開放しています。広沢池越しの借景が心地よい野点をはじめ、特設ステージで催される雅楽や邦楽などを楽しむことができます。
また平成27年4月、平安郷参道入口の南東に岡田茂吉記念館が開館しました。教祖の書画の展示をはじめ、平安郷庭園の四季の情景などを紹介しています。
「春の一般公開」ということで、無料で拝見することができました。桜はそれほど多くはないのですが、堂々とした古木が何本かありました。
すぐ近くに岡田茂吉記念館がありましたが、彼が教祖のようですね。
解説板を転記します。
岡田茂吉記念館は、宗教法人「世界救世教」教祖である岡田茂吉師の宗教的・社会的偉業を記念して建設されました。病貧争の克服と地上天国の実現という岡田茂吉師の願いと教えは、世界救世教の活動の根幹として国内外で多くの人々に受けとめられ継承されてきました。今日では、地上天国の雛型である聖地の建設が、箱根神仙郷、熱海瑞雲郷、京都平安郷に、そしてタイやブラジルにおいても実現しています。箱根と熱海の聖地では、教祖の「美による救い」という教えに基づく美術館(箱根美術館、MOA美術館)が付置されていますが、ここ京都平安郷の岡田茂吉記念館では、教祖揮毫の書画を中心に展示を行っています。
MOA美術館と世界救世教の関係については何となく知っていましたが、箱根美術館もそうだったのか。
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京都観桜編(3):佐野藤右衛門邸(植藤造園)(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33278676/
2024-03-09T06:58:00+09:00
2024-03-09T06:58:09+09:00
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sabasaba13
京都
自転車で十数分走ると佐野藤右衛門邸(植藤造園)に到着です。公式サイトから引用します。
植藤造園は創業天保3年、代々御室御所に仕え、植木職人として御室仁和寺の造園工事に携わった家業の植木屋を前身です。明治より造園業を営み14代目より滅び行く桜を憂い、日本各地の名桜の保存に努め、現在約200種を保存してきました。また、各国で桜の育成にも努めてきました。 造園工事についても積極的に施工し、多くの作品を手掛けてきました。造園工事設計・施工並びに造園材料の販路は遠くヨーロッパ、アメリカ各地に及び、海外各地の要望に応えています。
私たちの手掛ける桜や庭園が、皆様にいつも新たな感激や感動をもたらすことがでできるよう努めてまいります。「植藤」をどうぞよろしくお願いいたします。佐野藤右衛門 古く仁和寺御室御所に仕えた家の十六代目。
イサム・ノグチ設計のパリの日本庭園や京都迎賓館の作庭に携わるいっぽう「桜狂い」と称されながら、私財を投じて日本全国の桜の調査、苗の保存に尽くした祖父、父の志と情熱を継ぎ自らもまた、稀代の桜守、花咲爺として国内外を飛び回る。話し上手の遊び上手、手すさびに琴や尺八を奏でる粋人でもある。
「桜狂い」の植木職人が集めた種々の桜をまとめて、しかもロハで拝見できるところです。こちらの桜もお見事ですね。いろいろな桜が競うように咲き誇っていました。またあまり有名でないためか、観光客もまばらです。ここもお薦め。
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京都観桜編(2):大覚寺(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33277891/
2024-03-08T07:37:00+09:00
2024-03-09T17:08:52+09:00
2024-03-08T07:37:42+09:00
sabasaba13
京都
大覚寺の東に位置し、周囲約1kmの日本最古の人工の林泉(林や泉水などのある庭園)。嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたって、唐(中国)の洞庭湖を模して造られたところから、庭湖とも呼ばれる。当時は最先端の文化の発信地となった。池のほとりには、茶室望雲亭、心経宝塔、石仏、名古曽の滝跡があり、国指定の名勝地になっている。
池の周囲にはたくさんの桜があり、ここを先途と咲き誇っていました。一花繚乱! 池の面に映る桜花も素晴らしい。さらにオーバーツーリズムなんて何処吹く風、観光客も少なく、広大な面積なのでほとんど気になりません。もう写真を撮りまくり。
というわけで大覚寺大沢池は桜の穴場、お薦めです。なお公式サイトに下記の注意事項がありましたので、その趣味がある方はご留意を。
個人的・趣味的撮影を含み、コスプレ撮影禁止 ※七五三や成人式・ブライダルなどの前撮り含む]]>
京都観桜編(1):大覚寺(18.3)
http://sabasaba13.exblog.jp/33277071/
2024-03-07T05:59:00+09:00
2024-03-09T17:09:33+09:00
2024-03-07T05:59:24+09:00
sabasaba13
京都
この時は私の仕事の都合で、一泊二日の旅とあいなりました。さら定宿の「琵琶湖ホテル」は満室。京都に泊まるのは至難だろうなあ、インターネットで滋賀県にある宿を探していたら「ホテルテトラ大津」に空きがありました。謳い文句はこれ。
↓真下に電車↓ トレインビュープラン【大津駅側確約!】大津駅直結!京都まで9分!
自称鉄三郎としてはそそられますね。二人で21800円と宿代は少々高いのですが、ここに決めました。新幹線の指定席を押さえて準備完了。持参した本は『イギリス人の患者』(M・オンダーチェ 新潮文庫)です。
弥生末日、東京駅の地下にある吾々ご用達の駅弁屋『祭』で「唐揚げざんまい弁当」を購入して新幹線に乗車。すぐに食べましたが、生姜醤油風味とにんにく醤油風味と南蛮黒酢たれ和えという、味のトリコロールを楽しめました。
静岡県に入り右手を見やりますが、残念ながら富士山は雲の中。
京都駅で下車して、駅のコインロッカーに荷物を預け、嵯峨野線に乗り換えて嵯峨嵐山駅に着きました。すこし歩いて嵐電の嵐山駅に行きこちらで自転車を借りました。まず目指すは大覚寺です。街で見かけた顔はめ看板を撮影、でもこれは何だ? コロッケパンか? さらに「世界一当たる!」というおみくじ機を撮影。
十数分ほど走ると、大覚寺に着きました。おおっ、いきなり満開の桜のお出迎え。
お堂に入ると、桜と勅使門という豪華なツー・ショットを撮影できました。
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「エメット・ティルの死」
http://sabasaba13.exblog.jp/33276337/
2024-03-06T06:02:00+09:00
2024-03-06T06:02:33+09:00
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sabasaba13
音楽
わが敬愛するボブ・ディランが、「エメット・ティルの死(The Death of Emmett Till)」という歌をつくったことを、映画『ティル』のプログラムではじめて知りました。これはぜひ聴いてみたい。さっそく「アーリー・イヤーズ・ベスト・セレクション~くよくよするなよ」を購入しましたが、歌詞カードがついていない! せんかたない、彼がノーベル文学賞を受賞したときに買った『ボブ・ディラン全詩集』(片桐ユズル・中山容訳 晶文社)を紐解いて、歌詞を転記しましょう。
エメット・ティルの死それはしばらく前のミシシッピー州のこと
シカゴから若者ひとり南部の家のドアーに来た。
その若者の身の毛もよだつ出来事はいまでもはっきりおぼえてる。
肌は黒く その名はエメット・ティルだった。この若者は納屋につれこまれウツケルひどい仕打にあった。
それにはなんとか理屈があったけどなんだったのかおぼえなし。
いためつけたよおもいきり 口にもだせぬむごいこと。
納屋の中から悲鳴がきこえ あざけ笑いは町までとどいたさ。そしてヤツラは傷つく体をひきずって血色の雨をつきぬけ入江にはこぶ
水になげこめば悲鳴をあげる苦しみもやむ
ヤツラは殺しに理屈をつけた うそじゃない
ちょっとふざけてみたかった ゆっくり死にざまみたかった。そして国中が裁判しようとさわぎたてたので
二人の兄弟があわれなエメット・ティルの容疑者に名のりでた
ところがこんなおそろしい犯罪に手をかしたヤツラが陪審さ
だから裁判なんてオチョクリで気にするものはだれもなし。朝刊ひろげておもわず視線をそむけたよ
兄弟二人ほほえみをうかべ裁判所の階段おりていく
陪審どもは無罪ときめて二人を釈放したからさ
エメット・ティルはうかんでた 黒人差別の南の海の泡の中。もし諸君がこんな不正な犯罪に抗議の声をあげなけりゃ
諸君の目には死人のゴミがいっぱいさ 諸君の心はクズでいっぱいさ。
諸君の手足は錠と鎖にしばられ 諸君の血は流れてはいないのさ
諸君が人間を落しこむことになるのさ 極みつきの最低に!このうたは諸君同志諸君にもう一度おもいださせるためのもの
あんな仕打がいまもなおユーレイ装束のクー・クラックス・クランでは生きてるんだ
だがもしおれたちみんなが同じ考えで もしやれるだけやれば
この国をもっと暮しいいところにもできるだろう。
詩人の茨木のり子は、かつてこう言いました。
つづまるところ詩歌は、一人の人間の喜怒哀楽の表出にすぎないと思うのですが、日本の詩歌はこれまで「哀」において多くの傑作を生んできました。「喜」や「楽」にも見るべきものがあります。ただ「怒」の部門が非常に弱く、外国の詩にくらべると、そこがどうも日本の詩歌のアキレス腱ではあるまいか、というのが私の考えです。
そういう意味でこの歌は、不正義と不公正に対するディランの怒気がぎっちりと詰まった傑作です。叩きつけるような歌で"怒り"を表出する彼の気概には圧倒されます。
そして彼も、メイミーのようにこう言います。声をあげよう。
もし諸君がこんな不正な犯罪に抗議の声をあげなけりゃ
諸君の目には死人のゴミがいっぱいさ 諸君の心はクズでいっぱいさ。 If you can't speak out against this kind of thing, a crime that's so unjust,
Your eyes are filled with dead men's dirt, your mind is filled with dust.]]>
好味屋のプリン・アラモード
http://sabasaba13.exblog.jp/33275650/
2024-03-05T07:26:00+09:00
2024-03-08T23:36:17+09:00
2024-03-05T07:26:00+09:00
sabasaba13
鶏肋
とある日、恋の予感と言いますか、ガラスケースにあったプリン・アラモードに目が釘付けとなりました。小さなカップにもられたプリンとクリームと果実、好味屋さんがつくるのですからきっと昔ながらの味に違いありません。旦那さんに訊くと、相好を崩して、卵黄・卵白と手作りのカラメル・ソースを合わせた昔ながらのレシピで先代から受け継いだやり方を愚直に守っていると誇らしげに話してくれました。さっそく購入して、山ノ神に紅茶をいれてもらい一緒に食べましたが…美味しい。滋味にあふれる昔ながらの味に感動しました。
以後、わが家のスイーツの定番となり、食卓を飾っております。ただ難点がひとつあります。プリンを二つ入れた紙の箱をおさめたレジ袋を、自転車のハンドルにぶら下げて持ち帰るのですが、紙の箱が大きめなので震動によって上部構造物が崩壊してしまったことが三回ほどありました。山ノ神は「いいのよ」と眼では許してくれましたが、口角は確実にひきつっていました。それ以来、『恐怖の報酬』のイヴ・モンタンのように、細心の注意を払って運搬しております。ま、大きな問題ではありませぬ。機会がありましたら、好味屋のプリン・アラモードという奇跡、ぜひご賞味あれ。
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