2005年 05月 20日 ( 1 )

『「日本株式会社」を創った男 宮崎正義の生涯』

 『「日本株式会社」を創った男 宮崎正義の生涯』(小林英夫 小学館)読了。敗戦後の経済成長を推し進めた日本型経営システムの見直しが叫ばれています。資本と経営の分離、日銀による資金統制、企業別労働組合と労使協調、企業活動全体に対する官僚の指導などがその内容ですね。ムードに踊らされてこうしたシステムを一挙に葬り去ると、グローバリゼーションの餌食にされてしまうので慎重に考え行動した方がよいと思いますけれど。
 それでは、いつ、誰が、なんのために、こうしたシステムをつくりあげたのか。これについては、野口悠紀雄氏が「1940年体制」論を唱えて、太平洋戦争直前の国家総動員体制にその端緒があると述べられています。しかしこの本は射程をさらにのばし、「満州国」にそのルーツがあると主張しています。そのキー・パーソンが、満鉄調査課ロシア班に所属した宮崎正義(1893~1954)です。彼はロシア留学中にロシア革命を経験し、その後のソ連の国家統制経済による急速な重工業化を研究します。そして石原莞爾との出会い。日米による世界最終戦争を主張する彼は、そのために国家統制による重工業化が必要と考え、日本経済と「満州国」経済を有機的に連携させようとします。そのブレーンとして宮崎に眼をつけたわけですね。以後、この二人が中心となって日満財政経済研究会を組織し、ソ連をまねた「生産力拡充五ヵ年計画」として結実します。石原はその準備期間として10年(20年説もあり)必要と考え、この間一切の戦争をすべきではないと主張します。しかし日中戦争の勃発(1937)とその泥沼化により、石原と宮崎の計画は完全に破綻してしまいます。これ以後は二人とも歴史の舞台から消えていきます。そして生産力拡充ではなく、戦争遂行のための官僚による経済統制がはじまっていきます。これが「1940年体制」ですね。ここから主役は岸信介を中心とする新官僚へと代わっていきます。そして敗戦後も…
 国家による経済統制という緻密なプランをねりあげる思考力、それを実現するための行動力、凄い人物だなと思いました。しかし敗戦後、彼はこう言っています。「願う処は将来世界平和の一つの支柱たり得るほど日本が正しく成長することである」(1947) 彼にとって重要なのは生産力をシステマティックに拡充することだけであって、その目的は戦争から平和に簡単にシフトできる程度のものだという印象を強烈に受けます。いかにして効率的・合理的に目的地に着くかを考えるのが技術、どこを目的地にするかを考えるのが教養だとすると、彼は典型的なテクノクラートなのですね。石原莞爾を含め、教養を欠く優秀な官僚が日本の近現代史をひっぱってきたのだなあという思いを禁じ得ません。
 もう一つ気になったこと。宮崎や石原は、当時の資本主義の腐敗・堕落の原因は「大株主のその場主義的我利の横暴」(p.104)であると批判します。だから経営者と官僚が主導権を握るべきだという考えです。そして今、グローバリゼーションがめざしているものは、まごうことなく「大株主のその場主義的我利」なのですね。歴史は進歩していないということを痛感します。
by sabasaba13 | 2005-05-20 06:13 | | Comments(0)